Kizun
どうやら15年近く勤めてきた会社を退社することになりそうだ。 アラフィフの年齢や貧弱なスキルを考えると、かなりリスクのある意思決定をしてしまったのでは、と不安になり、時折心臓が高鳴り、手の震えが起こる。 私は日系企業の海外支社にローカル採用社員として勤める中堅サラリーマン。 ここまで持ち前のちまちました性格と、日系企業で特に有利な、同調圧力への高感度アンテナをフル発揮することで、社内ではそれなりの信用を獲得し、雀の涙ほどから始まった給料も、現在では猫の額ほどに成長し、この
出会いの価値は1億 私(ヒレヨ)はシンガポールでの就職活動の末、めでたく?ローカルのシステム会社への就職が決まり、急遽翌週から働き出すことにになった。 なお、観光ビザしか無いのに報酬を受け取る活動をする事は、不法就労である。 そんな道を踏み外した不良外人になってでも、このシンガポールのカオスビル(Sim Lim Square)で見つけた怪しく魅力的な会社の一員になりたくなってしまった。 詳細前号参照 偶然掴んだこの頼りげの無い、龍の尻尾を一時でも離したくなかった。 そ
リモートワーク化や、活動制限などで自分を取り巻く仕事環境が目まぐるしく変わっておりますが、中でも心から頭を痛めているのが、放ってけば雨後のタケノコのごとくニョキニョキ現れる会議の数。 私は某製造業の海外拠点に勤務しているのですが、その業務は営業・部品調達・製品出荷にクレーム処理とその範囲は幅広く、日本側と現地スタッフとの仲介を勤める下っ端中間管理職。 現地同僚たちとの通訳的業務も行いながら、自らの労働も受け持つグレーカラーな労働者。 いわば現地ツアーガイドが、B級グルメの
ソーシャルネットワークが苦手だった筈の自分が、2021年の8月にツイッターを始め、 同年12月にはnoteを始めた。 一体どんな心境の変化があったのだろう。 ほんの少し前までは 「書いたものが衆人環視の下に晒されるなんて」 「自分が書いたモノ何てどこに需要があるのさ」 何て感じで文章が人前に出ることに対しては、相当否定的な姿勢だったのに何処かで自分の中の方向転換が起こった。 今では、あたかもそれが何かの義務でもあるかのように、日々の気づき、読書からの学びなどを文章化する
整然と雑然 感情の選択小学校低学年の頃、一時期特別学級に入れられていた事がある。 理由は覚えていないが、他の父兄からの要請であったことを後々両親から聞いた。 集団生活に必要なある程度の均質化を求められる学校生活の中で自分の一体全体何が欠けているのかがわからず、時は過ぎていった。 中学校に進学しても、成績も振るわず、ある教師からは露骨に嫌われたり、担任から『ヒレヨ君は大丈夫!』というようなかえって不安を煽るような言葉が続いた。学校生活では不信感と疎外感をずっと抱え続けてきた。
龍でブタ?シンガポール建国の父、リークワンユー。 1965年マラヤ連邦(マレーシア)から分離独立し、シンガポールを建国。 独立と言ってもマレーシアからの事実上の切り捨て。 面積が東京23区程度の小国シンガポールでは、天然資源も僅少。水すらもまともに確保することが出来ない中では死刑宣告にも等しい。 そんなハードランディングな独立は不安一杯、 涙ながらに独立を語るリークワンユーの演説が心に刺さる。 だけどその後がすごかった。 立地を生かしたハブ港の建設、海外企業を呼び込む世界
扁桃体ジャックと理性の脳 アジア4小龍の名前の由来は1960年以降に主に工業化による経済発展を遂げていたシンガポール、香港、台湾、韓国の4カ国のことで、1985年にあったプラザ合意では日本が円高不況に陥った際、多くの日系企業の海外進出先として選択され得た国々。 そんな経済優位な状況も手伝って急速な発展を遂げた4つの小国は、龍に例えて4小龍、または新興経済地域アジアンNIEsと呼ばれていた。 中でもシンガポールはアジア通貨危機を乗り越え、今ではアジアの金融センターとしての地
逃げる勇気、諦めのスキル 羽田空港出発ロビーの雑踏の中で前方の行列を眺めていた時、頭の中に突如龍のイメージが浮かんだ。 そうか❗️ 私がシンガポールに行く理由は、きっと子供の頃テレビで聞いたあの“アジア4小龍“という魅力的で何か象徴的な単語がずっと潜在意識の中に残っていたからだ。 —-半年前—- 私ヒレヨは会計士の資格取得に向けた受験勉強をする苦学生。 仕事を辞めて勉強に専念すること4年、 あと一歩と言う所まで来ていた。 そして妻のミチは、新婚で余裕のない中、私のヒ
職場での楽しい昼食時に、各々憧れの旅行先の話をしていたらインドネシア人の同僚の一人が、 「バリ島は恐ろしい場所なので、母親から行ってはいけないと言われている。」 とポツリ呟いた。 あのステキなバリ島が?? なぜ? 質問しても I don’t know.. と言うばかり。 テーブルには他にもたくさんのインドネシア人がおり、会話に参加していたのに皆ニコニコしているだけで黙っている。 結局その先は誰もこの話題に触れず、会話がストップしてしまった。 その後も “バリ島