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ガイドブックには載っていない…「バンクーバーの朝日」の舞台、日本人が生きていた証。

かつて、バンクーバーに日本人街があり、日系人が住んでいたことはご存知だろうか?

時は戦前1900年代初頭。
カナダという新天地に期待を寄せてバンクーバーに辿り着いた日本人たちであったが、実際は過酷な肉体労働や貧困、差別という厳しい環境を強いられていた。

日本人街はそういった日系人が住んでいた街であり、その近くにあるパウエル球場で「バンクーバー朝日」という野球チームを結成し、現地の野球リーグに参加していた。

この野球チームの実話は
映画「バンクーバーの朝日」で描かれている。

〈あらすじ〉
1900年代初頭、新天地を夢見てカナダへと渡った多くの日本人が、過酷な肉体労働や貧困、差別という厳しい現実に直面する。日本人街に誕生した野球チーム「バンクーバー朝日」は、体格で上回る白人チーム相手に負け続け、万年リーグ最下位だった。ある年、キャプテンに就いたレジー笠原は、偶然ボールがバットに当たって出塁できたことをきっかけに、バントと盗塁を多用するプレースタイルを思いつく。その大胆な戦法は「頭脳野球」と呼ばれ、同時にフェアプレーの精神でひたむきに戦い抜く彼らの姿は、日系移民たちに勇気や希望をもたらし、白人社会からも賞賛と人気を勝ち取っていくが……。

映画.com

バンクーバーに留学する前に
バンクーバーが舞台になっている映画を観ようということで「バンクーバーの朝日」を鑑賞。
そこで初めて、戦前にバンクーバーで多くの日本人が生きていた事実を知った。

「現地を見てみたい」と強く思った。


そして2016年3月19日、その思いが叶った。

かつて「パウエル球場」となっていた場所は
今は「オッペンハイマー公園」となっていた。

桜が綺麗
当時は日本のイベントなども
たまに開催されていたそう

桜の花が咲いている景色をみると、
「日本人街だったんだなぁ」という要素が感じられて嬉しかった。

そしてそこには
バンクーバー朝日軍の名前が入ったボードと記念碑が。

ここで朝日軍が頑張っていたんだなぁ、生きていたんだなぁと思うと同じ日本人として
すごく心にくるものがあった。



今回、わたしがこの場所に来れたのはホストファザーのおかげだ。

なぜなら、この旧日本人街のエリアは、ホームレスや薬物中毒者などが屯っており、とても治安が悪く、女性1人では立ち寄るには危険とされている場所だからだ。

ホストファザーには、「このエリアの歩行者信号機のボタンも触らないように気をつけて」と忠告されたほど。

周辺も閑散としていて
バンクーバーの街中とは雰囲気が違う
近くに教会があって、
ホームレスの人への食糧の配給の長蛇の列が。

2016年当時は、公園にはそこまでホームレスが屯っている様子は無かったが、
Googleマップなどを見ると、今は浮浪者のテント街になっているんだとか。


どうしても行きたかった私は
ホストファザーに「ここ行きたいねん、でも危ないって聞いて…」と相談したら
「一緒に行ってあげるよ!」と行ってくれて
運良くハプニング無く行くことができた。

ただ、私の訪問時よりも今はさらに治安は悪化している様子なので、できれば行かない方が良さそうだ。

もし、どうしても訪問したい場合は
厳重に注意すること、
必ず明るい時間に行くことをオススメする。




行くことをオススメしないのに
この場所を紹介した理由は、
バンクーバーにもかつて日本人街があって、
多くの日本人が生きていたんだということを知ってほしかったから。
そして自分がそこに訪れたという記録を残したかったから。

いくつもの屈強の中、異国の地で頑張っていた日本人の方々に尊敬の念を示すとともに、
連れてきてくれたホストファザーに感謝の気持ちをここに記したいと思う。

ホストファザー、本当にありがとう!

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