「人生」と「時間」
今日のお題は、「人生」と「時間」
人生は、「時間」であり、
「時間」は「ストローク」のために費やさるから、
「人生はストローク」とも言い換えできます。
もっと言えば、
「ストロークの質は、人生の質」とも、言えます。
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人生は、文字の通り、
人が生まれてから、死ぬ時までの、時間経過 というのが、
客観的に解釈しやすい概念かと思います。
人生は時間を超える要素ががあることを、
私は認めますが、理論的に説明するのは時間がかかるので、
「時間を超える要素」については、また後日。
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「人生という時間」
「時間」量には限りがあります。
物理的な側面です。
しかし、長く感じるか、短く感じるか、
時間の長さの感覚は、実に、人それぞれ、
「時間」の質に関係するのかもしれません。
交流分析に、「時間の構造化」という理論があります。
「時間の構造化」は、ストローク(心の栄養)の理論を元に、構築されています。
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心の栄養・成長の元を、「ストローク」(交流分析用語)といいます。
人は、
水や空気や食物が必要なのと同じように、
心身の成長に、ストロークを必要とし、
ストロークを求めやまない性質があり、
その時間と知恵と行動の、目的は、「ストローク」であると、考えると、
「人生」や「時間」を整理して考えやすくなります。
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ストロークとは、交流分析では、「存在認知」という意味で、
肉体的には、水や空気や食物が必要不可欠なように、
精神的に、必要不可欠な刺激、のことです。
心理学的な用語で言えば、刺激と反応の一往復の単位。
解りやすく言うと
「アクション」と「リアクション」
「行動」と「結果」
「働きかけ」と「報酬」
のような、ペアのやり取りのこと。
「リアクション」「結果」「報酬」などを得ることで、
自分の存在証明(存在認知)を確認できる
自分を感じることができる、
自分の存在を確認できることが、人の成長に必要なもので、
「生きる」という方向性では、
無意識レベルの動機や目的と言い換えることができます。
子供の頃は誰でもかまって欲しいし、誉めて欲しい。
存在を認めて欲しい。
必要な、注目が得られないとき、
悪いことしてまで、注目を浴びたい・・。
これ、キレイな水が無ければ、泥水でも呑むのと同じ、
人間が欲して止まない必要不可欠なものの一つが ストロークという訳です。
リターンとしての、「リアクション」や「結果」や「報酬」ばかりを
目的としがちですが、
「ストローク経済の法則」があり、
ストロークは、更なるストロークを産み、
正のストロークには正のストロークが循環しやすく、
また、環境やタイミングや影響力の作用で効力の時差も生じることから、
アクション、リアクションは、「卵が先か?鶏が先か?」
と同じ価値感なります。
だから、対で「心の栄養・ストローク」という訳です。
ストロークには、正(栄養)と負(毒)もあり、
言葉、態度、モノ、お金、評価、感覚、など様々な形態でもあり、
対象(相手)は、他者だけでなく、自分、環境、自然、時間、未来、など、
精神の発達レベルや洞察範囲によって、理解や認知の対象が増えてゆきます。
自分でOKストロークを、自分に与えることができる(自尊)と、
精神的な自律が可能になります。
発達心理学でいう、アイデンティティーの確立(概ね20才程度)の
発達課題にあたります。
心の栄養ストロークについては、
過去のweblog ↓を参照ください。
https://kizuki-ya-k.hatenablog.com/entry/2016/11/03/165807
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「時間の構造化」理論での、「時間の使い方」は、
以下の6つに分類できます。
交流分析の言葉の定義や、独特の用語は、日常用語と混乱する部分も多いので、
今回は、なるべく、解りやすく、私の言葉に置き換えて、解説に努めたいと思います。
(カッコに、交流分析用語を残します)
時間の使い方の種類は、
1)「自分メンテナンス」(引きこもり、閉鎖)
2)「ルーティーン」(儀式)
3)「社交」(社交)
4)「活動」(活動)
5)「不毛な関係」(ゲーム)
6)「本音の交流」(親密)
個々に解説すると、
1)「自分メンテナンス」(引きこもり、閉鎖)
自分と対話している時間。 自分で自分にストロークを与える状態。
たとえば、ほーっとしたり、睡眠したり、
趣味をしたり、自己メンテナンス時間。
※ リターンとしての、心の栄養価量(ストローク刺激量)は、
他の時間に比べて少ないが 確実に安全に得ることができる。
心の栄養価の質(ストローク刺激質)は、自分で選択できる。
2)「ルーティーン」(儀式)
形式的、習慣的な他者とのストローク。
挨拶や、朝礼、ペットのえさやり、など
※ リターンとしての、心の栄養価量(ストローク刺激量)は、
1)に比べて優位だが、6種の中では、5番目で、
3,4,5,6)に比べて少ない。
習慣的に得ることができる。予測できる。
心の栄養価の質(ストローク刺激質)は、習慣の質による。
3)「社交」
表層の情報交換。
形式的なストローク交換。
ルーティン(儀式)とは違い、場所やタイミングは固定されていない。
様子伺い。仮面(ペルソナ)・肩書き・表層的。
関係の発展性は、あまりない。
※ リターンとしての、心の栄養価量(ストローク刺激量)は並。
1)2)に比べて優位だが、6種の中では、4番目。
心の栄養価の質(ストローク刺激質)は、仮面や立場・肩書きによる部分も大きい。
4)「活動」
目標や任務などの、具体的成果を得るためのストローク交換の交流
※ リターンとしての、心の栄養価量(ストローク刺激量)はやや高い。
6種の中では、3番目だが、具体的で正当な成果に対しては、効率的。
心の栄養価の質(ストローク刺激質)は、
具体的で正当な成果を得ることができるため、
活動量と、成果の妥当性の考慮をすれば、質の選択が可能。
5)「不毛な関係」(ゲーム)
繰り返し起こる、人間関係のトラブルパターン。
裏面の交流。
駆け引き、暴力、略奪や嫉妬、悲劇的な関係。
依存症、共依存関係。上下支配。淋しがり。
「思いやり」という思い込みによる裏面の他人コントロール。
他者の時間と、ストロークを奪う様なもの。
※ リターンとしての、心の栄養価量(ストローク刺激量)は高く強烈。
ストロークの刺激量は強いが毒素も強い。
6種の中では、2番目だが、建設的な結果にならない。
心の栄養価の質(ストローク刺激質)は、不毛な結果に終わり、
建設的な結果にならない。
激痛で強烈な場合が多い。時間ムダ使い。
不快なゲーム関係(交流分析用語)のレベルもあり、
a) ブラックユーモアのようなものもあれば、
b)社会的に人に言えないレベルのもの(いじめ・不倫・二股など)や、
c)詐欺、犯罪や殺人レベルのものもある。
最終的に、無念さ、虚無感を、お互いに味わうが、
自分の影響力や存在感を強烈に 刺激的に味わうことができる。
「不毛な関係」を見分けるキーワードは、
「繰り返し」、「犠牲者」「救援者」「迫害者」、「役割スイッチ」、
「正義感」「罪悪感」のラケット感情を持っている人は、カモになりやすい。
大抵の人の場合は、行動範例となる見本があり、
無意識的に、衝動的に、心の穴を埋める方法として、
習性的に、不毛なやり取りで自分の存在を確認しようとする場合が多い。
6)「本音の交流」(親密)
心のふれ合いを目的としたストローク交換、交流。
立場にとらわれることなく、対等に、本音で、気持ちや感情の話ができる交流。
本音は、防衛心や虚栄心が強い人にとっては、
一見傷つくことも多い様に、思えるかもしれないが、
嘘がないという部分は、信頼ができ、安心の基盤となる。
本音の交流には、
I am OK, You are OK.(私は私でOK、あなたはあなたでOK)の構えが基盤になり、
比較するのではなく、平等を主張するのでもなく、
違いを認め合い、尊重し合える関係が必要なる。
※ リターンとしての、心の栄養価量(ストローク刺激量)は最も高い。
共感の範囲を選ぶことで、部分的な、刺激量を得ることもできる。
心の栄養価の質(ストローク刺激質)は、本音なので、本物。
自分と他者の心理的な発達度に関わる部分はある。
他者と自分を比べしまうときは、逆効果なので、影響を受けすぎないよう、
距離をとれる距離感も大事になる。
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6つの時間を、自分はどのように使っているだろうか?
時間の使い方の、分布をグラフにするワークをすると、解りやすいです。
私の場合は、
自分の「時間」の使い方(=人生)を 見直す切っ掛けになりました。
私の場合は、以前も、今も、「活動」が多いです。仕事好き。
好きなことを仕事にしているのもあり、
以前も、今も、活動に一番時間を使っています。
以前と、今の違いは、
「活動」時間には、明確な「成果・報酬」を意識するようになりました。
目的を明確にすることで、
「活動」の人間関係が、「不毛な関係」(ゲーム)にならずにすむようになりました。
あとは、「本音の交流」を増やせたら満足感があるのかもしれませんが、
相手にも限りがありますから・・。
「本音」と「表層」のリターンは意識するようになりました。
他者の影響を受けやすい私は、
自分が自分でいるために、
「自分メンテナンス」(引きこもり、閉鎖)に、
時間を使う必要性を感じています。
何と言っても、「不毛な関係」は、
早く気づいて、極力、関わらないようにするようになりました。
「時間の使い方」を変えると、人間関係も変わります。
時間を構築すると、人生の構築にもなる、という仕組みです。
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「時間」は、有限で、限りがあるので、時に選択をすることになります。
これもまた、人生の選択というなのだと思います。
人生は、自分で選択できる、という交流分析の指針です。
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人生の終わりについて、考えることがありました。
哲学やいろいろで、死を意識してきた自分の死生観は、
死を忌み嫌ったり、怖がったり、意識してこなかった人からすると、
同調なきフラットに感じるかもしれません。
実際に、死に向き合う場面の方には、
辛さや複雑な感情を、刺激してしまう側面もあるかもしれません。
死について、哲学するのは、
実社会ではデリゲート(忌み)なことなのかもしれません。
しかし、「人生」や「生きる」ということを考えるとき、
区切りであったり、相対にある「死」を意識するというのも、
必然であったりします。
全ての人に配慮できない部分があると思います。
もし訳ありません。
そして、改めて人生をふり返る機会をくれた友へ
感謝の気持ちです。ありがとう。
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「死ぬまでにやりたいこと」列記してみました。
以外と少なかったですし、
若い頃とあまり変わってなかった。
私は「仕事がしたい」ということも、よく解りました(笑)。
今の私は、以外と、必然な状態なのかもしません。
そう思ったとき、痛みや理解できなかった過去のつじつまが、
すーっと、繋がった気がしました。
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最近は、今期は、お仕事が毎週徹夜という状況だったのですが、
今週一段落したところです。
少しカラダも心もメンテナンスした方がよいなぁと、
感じていたりします。
読んで下さってありがとうございます。
もしよろしかったら、是非、あなたの時間の使い方、聴かせて下さい。
よろしければ、サポートをお願いいたします。愛あるモノをつくる活動に使わせていただきます!。