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どうせ、愛だ。

それぞれの世界から忍び寄る憂鬱から逃れるようにして、恋人とお揃いのTシャツを身に纏ってみる。貰った時の感情とか、燦々とした情景とか、彼女の笑みなんかが香ってくる。身体の奥の奥の方からぽわりと温かいものが漂ってきて、彼女のことが恋しくなっては、会いたくなる。会えない時間にどうしようもなく会いたくなるのに、ないものねだりだな、会える時間を疎かにしてしまう瞬間がある自分に後になって気がつく。バイバイと手を振り合った後に、もっと話すことあったなぁと後悔する自分が嫌になる。

仕事をしている時間に、ふと恋人のことを思い出すとどうしようもなくなって、通知をオフにしたスマホの奥に潜む彼女からの連絡に身を寄せる。これ話そう、あれ話そう、って話したいことはたくさんあったはずなのに、彼女の顔を見るとどこかに消えてしまう。話したかったのに話せなかったままになっている記憶が多分僕の中にこんもりと溜まっているけれど、そのほとんどは限りなく透明に近くなってしまっているから、これからも話せないままなのだろう。でも、それでもいい。一緒にいる時間に感じたことや考えたことを共有できているのなら、それでいいとも思える。

仕事帰りにスーツのまま恋人の元へ向かった日。スーツ姿を喜んでもらえるかと期待していたけれど、意外にも無反応だった時は少しだけ悲しくなった。数日後、また仕事帰りに会いに行った時は「かっこいいね」と言ってもらえた。単純だ。至極単純だった。雨粒が僕の表面をゆっくりと滴っていき、次第に消えていった。その一言で、僕は単純で素直な人間になれた。そして、僕は彼女に伝えられていただろうかと不安になり、肝に銘じることにした。明日からの自分に命じた。

通勤に使う堤防の傍に並ぶ反射板にハイビームの光がぶつかっていて、十二月に訪れたイルミネーションをおもった。2021年、2022年と続けて同じ場所へ見にいった、並木を彩るイルミネーション。車内から見る堤防の傍のイルミネーションはしょぼかったけれど、僕の心は熱を帯びた。彼女の瞳の中で輝く光と、煌めく彼女の嬉しそうな表情の記憶が、疲れ切った僕を癒やそうとしてくれているみたいだった。

喧嘩をすることは滅多にないのだけれど、無いことは無い。彼女の顔からうれしいたのしいが消えていくのが耐えられなくて、できる限りすぐに仲直りがしたいのだけれど、仲直りまでに必要な時間は人それぞれだから強要はしたくない。喧嘩なんてしないに越したことは無いけれど、喧嘩しないから良いカップルなのかというとそうでもないじゃない。私の意見と僕の意見は違っていて当然なのだから、ある程度の喧嘩が怒るのは然るべきだ。極論を言ってしまえば、セックスをすれば仲直りはできると言っても過言ではないから、気まずくなった時は服を脱げ。(鵜呑みにしないで)(しないか)

憂鬱のほとんどは愛するべき人間とのハグで解決するし、キスで消化する。完全完璧にとまではいかなくとも、何も変わらないことはないはずで。
愛する人と一緒にいてもいなくても、愛する人がいるというだけで感情は絶えず移り変わっていく。感情にも四季があるし、日によって、或いは時間によって温度は違う。それでも、好きだという気持ちに嘘がないことはわかる。好きだから悲しいし、好きだから嬉しいし、好きだから嫌いだし。でもそれ全部、どうせ愛のせいだから。いろんな気持ち掬って、救って抱きしめて。どうせ、愛だ。

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