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「フィンランド教育の失敗 日本の詰め込み教育はそこまで悪いのか」で語られていないけれど重要なこと

この1週間ほどで、私のタイムラインで何人かの方がこの動画をシェアしていました。

私も見てみたのですが、私が知らなかった情報まで丁寧にまとめてくれて、勉強になることが多かったです。いくら広告記事とは言え、ここまで調べてまとめるの大変だっただろうなと思うので、こういったものを作ってくれることに感謝です。

詳しくは、上記の動画を見てもらえればと思いますが、内容を簡単にまとめますと

・フィンランドの生徒主導型の教育は失敗だったというデータが多数見つかってきた。
・世界の学力が高い国の多くは、詰め込み型の教育の国が多い。
・日本の学力は他国と比較しても高い水準にある。
・そこから考えると、詰め込み型の教育は悪いとは言えないのではないか。
・フィンランドの教育で成果が確認できているのが公平性である。
・日本も今、教育改革を進めていこうとしているが、公平性という観点から考えるとマイナスに働く気配が感じられる。
・教育の成果が見られるのは数十年後ということを考え、今後の日本の変化には注視していく必要がある。

という話でしょうか。

ここで語られている内容については、細かい点は理解できていなかったものの大枠についてはある程度知っていたということもあり、個人的にはそこまで大きな驚きはありませんでした。

それよりも驚いたのは、私のタイムラインでいろいろな人がこの動画をシェアしていたということです。

フィンランドの教育についてこんなに注目度が高かったんだというのが驚きでした。

ただ、この動画では言及していないが、私はこれは重要だと思った点があり、そこに引っ掛かりを感じました。

この動画がそこまで注目されていないのであればスルーしておこうかなと思ったのですが、本エントリーでは、その点について補足させてもらえたらと思います。

ちなみに、先に結論を書きますと以下のようになります。

この結論は、お世話になっている先輩が「森本さん、この動画についてどう思う?」と私にコメントを求めてくれた際に、私が返信したものになります。

この返信は、先輩がフェイスブックに動画をシェアした投稿にあるものです。

ご覧の通り、私のコメントに8つほど「いいね」をつけてくれている方がいます。

誰がつけてくれたんだろうと覗きに行ったところ、全然私の知らない方ばかりでした。しかも大学の先生など、知的好奇心が高い方がこの見方について興味深く感じてくれた様子が伺えました。

それもあり、もう少し詳しく書いた方がいいだろうなというのが、本エントリーが生まれる背景にあるものとなります。

多少、長くなりますが、以降、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。


Q1、フィンランドの教育は失敗しているのか?


フィンランドの教育が失敗だったと騒がれ始めたのは2023年頃からです。

詳しくはこちらの記事にまとめられているのでぜひお読みください。

まさにこの記事が書かれた昨年の秋頃、私はフィンランドを訪れていました。

当時、私はフィンランド教育にポジティブなイメージを持っていたこともあり、以下のような回答が返ってきた時には、とても驚いたのを覚えています。

「フィンランドの教育がすごいと言われていたのは、昔のことであり、今は、そこまででもないと言われている」

「この国は、いろいろとポジティブなことを言われているが、それは
国のサイズがそこまで大きくないからだと思う。みんながそこまで注目しないから悪い面がわざわざ報道されていないだけの話ではないか。実際にくるとそんな夢みたいなことはないことに気づいていく」

「みんなフィンランドの幸福の話を取り上げるが、実際、そこまでみんなが毎日、ハッピーかと言われるとそんなことはない」

という話を聞かせてもらっていました。


なんかえらい謙虚な反応だなと思ったのですが、もともと、フィンランド人の国民性として、内向的で、そんなに積極的に自分を表現しようとしないということは聞いていたこともあり、ああ、これがそのことかと思いました。

そして、そこからデータで見えてくるものと、国民の意識には隔たりがあることが実感できるようになってきました。

それをきっかけにデータも鵜呑みにするのではなく、そのデータが意味しているところについて、一度、見つめてみることが大事だなということを実感しました。


そして、よく書かれているフィンランドは、教育に限らず、幸福度ランキングでも常に上位にいるわけですが、日本人が感じる幸福感と、フィンランド人が想像する幸福感にはかなりの違いがあることも実感できるようになりました。

ここの違いについて書くとまたとても長くなるので今回は割愛しますが、簡単にいうと、日本人の想像する幸福はドーパミン的な刺激的な幸福であるのにたいして、フィンランド人が想像する幸福はセレトニン的な今あるものを深く味わうような幸福というイメージという感じでしょうか。

ただ、教育に関しては、本当に課題があると認識している人がいることも見えてきました。

もともと、フィンランドの教育の中心的な人物の一人であるパシ・サルベリという方がこんな話をしています。

新カリキュラムによって、OECDの学習到達度調査(PISA)によって得られた「学力世界一」の評判が落ちるのではないですか。

そうかもしれませんが、それがどうしたというのでしょう。「フィンランド的考え方では、PISAランキングの意義は取るに足りません。PISAは血圧測定のようなもので、時々自分たちの方向性を確かめるうえではよいですが、それが永遠の課題ではないのです」と、教育専門家のサルベリは断言します。「教育上の決定を行う際、PISAを念頭に置いてはいません。むしろ子どもや若者が将来、必要とする情報こそが大事な要素となります」

フィンランドの学校がこう変わる!Q&A10選
 https://finlandabroad.fi/web/jpn/ja-current-affairs/-/asset_publisher/h5w4iTUJhNne/content/-q-a-/384951


この言葉が冒頭、私が先輩に返信をした際の根拠となっている言葉です。

ちなみに、この方がパシ・サルベリ(音声的にはサルバーグが近いみたいですね)さん。

これは、2年前の動画でですが、ここでも、PISAの学力テストについても否定的な見解をされています。

この動画の3分頃を見てもらうと以下のような話をしています。

ご存知のとおり、この 20 年間で私たちが学んだことは、学校間の競争のようなビジネスでは、勝者よりも敗者の方が多くなるということです。
これは、世界のこの地域の例に対する教訓の 1 つです。 
私たちは、標準化された画一的な教育では生徒の学習が向上しないことを学びました テストベースの説明責任はより良い学習成果に結びつかないことを学びました 

日本語訳については私が翻訳アプリを使って書き起こしました。


Q2、フィンランドの教育が向かっている先とは?フィンランドの教育はそんなに悪いものなのか?

教育上の決定を行う際、PISAを念頭に置いてはいません。むしろ子どもや若者が将来、必要とする情報こそが大事な要素となります」

先ほどのパシ・サルベリさんのコメントでは、上記のようなコメントがありました。

とすると、フィンランドの教育が何を重視しているかになるわけですが、このように資料にまとめられています。

フィンランドの教育 駐日フィンランド大使館 https://toolbox.finland.fi/wp-content/uploads/sites/2/2024/04/finfo_education_ja_pdf_toolbox.pdf

https://toolbox.finland.fi/wp-content/uploads/sites/2/2024/04/finfo_education_ja_pdf_toolbox.pdf

上記の資料の一番上にも出てきますが、一番最初に書かれているのは、教育の機会を全ての人に届けることです。

文字が小さく読みづらいため、左側に書いてあることを大きくしてみますと、そこには「自分の人生を自由に選択しやすくなるように設計している」とあります。

詳しくは資料を読んでもらえればと思いますが、資料に目を通していくと、子供の頃から大人まで、生涯を通じたウェルビーイングの土台を作れるようにと設計されたものとなっていることが読み取れます。

パシ・サルベリさんが、強調していたのがまさにここになってきます。


まず、あの動画を見るにあたっては、別にフィンランドの教育がPISAのスコアの向上のためにできているものではない点を前提としておかないと、議論がおかしな方向に行くというのは、ここで確認しておきたいなと思いました。

もちろん、フィンランド政府が「ここ20年の教育施策は失敗だった」というコメントを出していることから、問題があるという認識のもと、今後、いろいろと変わっていくことが予想されます。

それについては、現時点の私ではわからないことも多く、また現地に行った際に話を聞いてくるなどし、もう少し時間をかけて生まれてくる反応を待ちたいところです。


そして、生涯を通じたウェルビーイングの土台という観点から現時点のフィンランドを見ていくため、生涯学習についてのデータも紹介してきます。

現時点では最新のものとして、10年以上前の古いデータではありますが、PIACC・国際成人力調査を紹介します。

この調査において、30歳以上で何らかの学位や卒業資格を取るために学習している人の割合ではフィンランドが世界で1番多いことがわかっています。

また、日本のスコアは他国と比較し、低い水準となっていると指摘されています。

経済協力開発機構(OECD)が2012年に実施した「国際成人力調査(PIAAC 2012)」では、各国の成人に「現在、何らかの学位や卒業資格の取得のために学習しているか」を尋ねています。30歳以上の成人の割合を見ると、1位はフィンランドの8.27%、次いでノルウェー、イギリスなど欧州の国々が上位をしめており、多くが5~8%となっています。一方日本は1.60%と他国と比較しても低い水準となっているのです。
これだけの差が生まれてしまう理由は、ランキングの上位国では教育有給休暇や学費の無償化など、成人が「学び直し」できる制度が整っていることなどが関与していると言われています。

(出典:経済協力開発機構(OECD)「国際成人力調査(PIAAC 2012)」)

Q3、それじゃあ、日本人の教育はダメなのか?


それじゃあ、日本人の教育はダメなのかと思いがちなのですが、全くそんなことはありません。

先ほどの動画でも紹介されていますし、直前の生涯学習のデータでも引用しているOECDの実施する国際成人力調査という調査を見ていくと意外とも言える事実が浮かび上がります。

PIACC・国際成人力調査では、24か国・地域において、約15万7千人を対象に16歳から65歳までの成人を対象とした読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力の3分野のスキルの習熟度を測ることを目的とし、調査が実施されています。

1回目の調査が2011年に行われ、2回目の調査は2022年から23年に実施されています。

2024年の8月現在は2回目の結果が公開されるのを待っているという状態のため、まだ結果は1つしか明らかになっていませんが。

1回目の調査では、日本はOECDの先進国の中でも、読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力において、なんと1位を獲得しています。

「特筆すべき結果」という点に注目!

https://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/20220712-mxt_kouhou02-1.pdf?fbclid=IwY2xjawE34mZleHRuA2FlbQIxMAABHVZuUDEtpBKxRrmFJRZw_xmDdbiopdwxx_BW3vMF065QgS2BZZGFnhMLSg_aem_EbN5lR4kvASUBe9Hpl_yGQ

読解力や数的思考力で1位はわからなくもないですが、なんとITを活用した問題解決能力まで1位だったとのこと。

行政組織を中心に一向にデジタル化が進まない実情や、世界のデジタルランキングで悲しい順位が明らかになった点を考えると、上記のITを活用した問題解決能力が高いと出てくるのが嘘みたいな話ではありますが、実際、それでも他の国よりはマシだということなのでしょう。

ちなみに、こちらが世界のデジタル競争力ランキング。日本は32位でした。でも、悲しいかな、個人的にはこちらの順位の方が納得感が高いです苦笑

次の第2回目のPIACCでは何位と出てくるのかがドキドキです。

https://www.imd.org/wp-content/uploads/2023/12/Digital_2023.pdf
https://www.imd.org/wp-content/uploads/2023/12/Digital_2023.pdf


これ、なんでこんなこと(ITの問題解決能力は高いのに、デジタル化が進まないのか)が起こるのだろうかというのが不思議で仕方ありませんが。

おそらく冒頭紹介した動画でも「日本人は創造力を活かしても儲からない経済状況に置かれている」という表現の方がなされているように、知性の問題というよりは、社会構造などの外部環境の問題の方が大きいような気がしています。


Q4、日本の詰め込み教育はそこまで悪いのか?


次の問いとして、動画の副題についている「詰め込み教育はそこまで悪いのか」について、私の考えを書いてみます。

まず、前提として、この問いは「かなり粗い問いだな」と感じました。

と言いますも、詰め込み教育が良い悪いを判断するにあたっての、観点が定義されていないからです。

「どの観点から考えた際に」を定義しないことには、詰め込み教育が良いか悪いかについては、良いとも悪いとも言えないなと思いました。

例えば、詰め込み教育は【PISAのテストのスコアを上げるという点で】良いのか悪いのかであれば判断ができるでしょう。
そして、PISAやPIACCのスコアから考えると、日本の詰め込み教育は相当効果的であると言えそうです。

ただ、だからと言って詰め込み教育が本当に良いと言ってのかはまだなんとも言えないなということを思います。

Q5、日本の詰め込み教育の特徴とは


詰め込み教育についてもう少し考えていきます。

詰め込み教育の最大の特徴として知識を大量に暗記させていくという点があります。

これも動画でも言及されていたように、創造力は多くの知識を状況に合わせて適切な形で活用することで生まれていくため、子どもでも大人でも、知識の獲得、つまり詰め込み教育は一定の成果があることが考えられます。

一方で、日本の詰め込み教育の特徴として、何を学ぶか、何を詰め込むかが学校から指定されるという点も挙げられます。

学ぶ内容は上から指示され、あとはいかにそれを上手に処理するか、という活動になっていきます。

この活動は、知識を大量に獲得していくという点では有効に働くと思いますが、一方で、自分が何を学ぶかの選択や意思決定をするという点では訓練としてとても弱いと言えます。

そう考えると、私は大量の知識の詰め込み、獲得も大事ではあると思いつつ、以下の記事で言及されている点の方がより重要なのではないかと考えています。


Q6、フィンランドの哲学者が指摘している重要な視点とは?


フィンランドの哲学者が語る言葉について紹介している記事があるので、そちらも併せて紹介します。

このフランク・マルテラさんの考え方、個人的には「まさに重要なのはそこ!!」と強く思うことばかりでした。

最初から最後まで重要な要素が盛り込まれているため、本当だったら全部引用したいくらいなのですが、ここではポイントだけ紹介します。


「パシ・サルベリという教育学者がフィンランドと米国の教育制度を比較しているのですが、大きな違いとして、教師の自己決定権の度合いを挙げています。フィンランドでは教育文化省が各学年の学習目標を設定してはいるのですが、その目標達成までに教師がどのような教材を用い、どのようなスタイルで授業をするのかという教育プロセスについては個々の教師に委ねられています。

一方、米国では、この科目ではこの教科書を使って、この授業の順序で進めるというカリキュラムが厳密に決められています。それによって優秀な教師はストレスを感じ、教職を辞してしまう例も多いと言われています」

マルテラは心理学の「自己決定理論(self determination theory)」にも触れる。ロチェスター大学のリチャード・ライアンとエドワード・デシというふたりの教授によって確立された理論だ。人はエサや報酬などの「外発的動機づけ」がなくても、心理的欲求から何かに取り組めばそこに喜びや満足が生まれるという「内発的動機づけ」が学習や勤労に導き、そこに選択と決定の自由があること、つまり「自己決定性の高さ」が保証されていれば高いパフォーマンスと充足感が生まれるという理論だ。

「教師に自己決定権が保証されていれば、子どもたちを楽しく学ばせるために自分から多くを学んで授業のことを考えますし、それは跳ね返るようにして生徒や学生たちの学習のモチヴェイションの向上にもつながります。何を学びたいか考える自由があり、楽しみながら学べるからです」

現在、マルテラは自己決定理論の開発者であるリチャード・ライアン教授など各国の学者たちと共同研究を続け、哲学と心理学の視点からマネジメントについて大学で講義をするなど、自らの研究を実社会に役立てることを意識している。彼にとっての研究と教育活動の動機というのは、先述した「人に役立つこと」と「幸福」の関係と一致する。つまり、幸福を条件づけるものではないだろうか。

マルテラさんは、教育を考える上で、幸福や自己決定の関連性について言及しています。私も、自分の人生を通じて、そここそがテストのスコア以上に重要だと感じているため、もう本当にその通りだと思いました。

また、同じ記事で、幸福の前提となる社会のあり方についてもこのように語っています。

「フィンランドは世界で最も政治汚職の起こりにくい国のひとつであり、政府の機能が高く、市民の声を聞き、届けようと決めたことを的確に届けることができます。指導者の権限が確保されているために適切な存在感を発揮できますし、同時に市民の権利も保障されている。政府と市民の信頼関係のベースはそこにあります。無職で困っている人や病気の人々、退職者の面倒を政府がみるシステムが確立されているなど、福祉給付の充実にも政府と市民の信頼関係が表れていますし、市民の幸福度の平均値を上げています」

政府と市民の信頼関係は一朝一夕で築けるものではない。その原点がどこにあるのかをマルテラに聞くと、100年以上前からすでに政府と市民の信頼関係を大切にする風土が生まれていたという。

「北欧諸国は共通してどこも小さな国です。1809年にスウェーデンはロシアに戦争で敗れたのですが、結果としてスウェーデンは支配下にあったフィンランドをロシアから奪われました。つまり、領土の3分の1を失いました。また、デンマークも19世紀半ばにプロイセンと争い、敗れて広い領土が敵国に占拠されました。そこで北欧諸国に共通して生まれたのが、再分配の意識です。エリートが市民たちの利益を吸い取ることをせず、市民全員が政治に参加し、国の資本をきちんと再分配する仕組みをつくらなければ国力を維持できない。大国にすべてをもっていかれてしまう。そう考えるようになったのです」

中世以降、ヨーロッパに限らず世界では庶民が搾取され、支配者層であるエリートたちが国の利益を享受することが当たり前だと考えられてきた。利益を共有し、資本を再分配するという発想すらなかったのだ。高い教育水準と社会福祉の充実をおこない、国民に政治参加を求める国づくりの背景が、幸福度ランキングで北欧諸国が上位を占めている理由と重なる。

こちらを読むと、教育と実現したい社会の繋がりについて、見えてくるもの、感じられてくるものがあるのではないかと思います。

そして、これを読むと、冒頭に紹介した動画の「フィンランド教育の失敗」についても違った見え方がしてきませんでしょうか。

先ほども述べたようにフィンランドの教育の目的は、学力テストのスコアの向上にあるわけではありません。

その代わり、国民一人ひとりが、自分の人生を自由に選択できるように、また安定した社会を作るため、生涯に渡って学びを続ける仕組みを作ることに一生懸命に取り組んでいます。

その結果、ここ3年間でフィンランドは世界1位のウェルビーイングの国としてランキングされています。
https://happiness-report.s3.amazonaws.com/2024/WHR+24.pdf

ちなみに、日本は51位ですね。

このランキングも学力同様、現時点では上位にきていますが、今後、落ちていくこともあるでしょう。

ただ、それも別にランキングを上げることを目的にしていない文化や国民性があることから、さほど大きな問題にはならないのではないかと想像しています。

言うなれば、ランキングをメタに見て、良い状態を意識しながら、読み取る姿勢を持っている人が多いとまとめられるでしょうか。

同じくフィンランドの教育改革に取り組まれたオリペッカ・ヘイノネンさんは、このように語っています。

──改革には終わりがないと、ご自身も語られています。フィンランドの教育改革に残された課題はなんでしょうか。

課題は2つあります。まず現代社会のさまざまなテーマに向き合ううえで欠かすことができない、一般教養についての定義が、変わりつつあるということです。 学校教育は科目ごとに分けて教えるのが一般的です。しかし、実際の世界における問題は、決して科目に分かれて発生するわけではない。
学校で教えられることを、実際の生活 における問題解決につなげるための 方法が求められています。
もう1つは、試験の役割です。今でもフィンランドの生徒たちはテストに苦しめられています。
アインシュタインも言っていましたが、方法を極めながら目標を見失ってしまうことは本末転倒です。試験でよい成績を挙げることは決して教育の目標 ではない。学習のプロセスこそが重要であり、そのためには学校における試験のあり方について、さらなる改革が必要だと思います。

https://www.works-i.com/works/item/w123_sinka.pdf

「方法を極めながら目標を見失ってしまう」というのは耳の痛い言葉だなと思いました。

Q7、つまるところ、日本人は何が弱いのか?


余談ですが、本エントリーを書くにあたって、先日ある友人(ここではSさんとしておきます)と話をした時のことを思い出されたので、それも併せて共有しておきます。

彼は、日本生まれ、アメリカ育ちで、今は、日本を拠点にグローバル人材育成をテーマに教育活動に取り組んでいます。簡単に紹介してみます。

私:今回、Sさんと久しぶりに会うにあたって、聞いてみたいことがあったんです。

「よく日本人は考える力が弱い」という指摘をしているのを目にしますが、私はそれについて懐疑的に思っています。

というのも、いろいろな国の人と話をしたり、プロジェクトを進めるようになって思いますが、日本人の思考力が弱いと感じる場面は少なく、むしろ他国の人と比較すると高い人が多いのではないかという体感があるためです。

もちろん、ネットで多くの反応をみると、思考が浅いなと感じる人は少なくありませんが、それは、日本だけでなく世界中で見られる反応にも思えてきます。

たしかに、トップ層を比べていくと思考力が弱いというのはあるのかもしれませんが、ミドル層やボトム層を比べると、むしろ高いという気がするんです。

日本とアメリカの両方の教育を知っているというSさんから見ると、この問いについてどう感じますか?

と。すると、彼はこんな返答をくれました。

なるほどー。たしかに森本さんの言う通りかもしれないですね。

私も日本人の思考力が弱いと言われているのを聞いたことがあります。

今、考えてみましたが、私も森本さんと同じようにアメリカの人たちと比較して日本人の考える力はそんなに弱いとは思わないと思いました。

そして、むしろ高い人の方が多いのではないかという感覚も理解できます。

一方で、そう聞かれて思ったのは、『「自分のことを自分で考えて決める」という時の思考力においては、明確に日本の人の方が弱いかもな』ということですね。

学校で習うこと、訓練を積むこともそうですし、大学入試での試験で問われることも影響を生んでいるだろうなと思います。

アメリカでは、小さいころから徹底して「あなたの考えを聞かせて」と言われ続けます。

そして、そこの考えの質が低いと、大学には合格できないという点があります。

私が日本人向けに教育活動をしていて、学生向けにアメリカの大学入試の準備を行っていく中で、苦労するポイントもまさにそこです。

そこの思考力が日本人は明確に弱いなということは思いました。

と。

この話は、今回のフィンランドの教育の動画と重なるがあるのではないかと感じました。

我々日本人は、上から与えられたことを、真面目に消化することには長けていますが、そもそも本当に大事なことはなんであるのかを意識した上で自己決定していくという点ではまだまだ未熟な点があるのではないかと思います。

ちなみに、日本の幸福度は、2024年版では51位だそう。

日本の低い点としては、「寛容さ」の低さが挙げられていますが、その要因の根っこにあるものも、私には自己決定力の低さがあるように思えてなりません。

まとめ

以上、いろいろと書きましたが、私の考えをまとめるとこのような形になるかなと思います。

・フィンランドの教育が失敗しているかどうかについては、一部、失敗している点もあるのでしょうが、それだけではない部分が大きく存在しています。

・学力が高いか低いかは、もちろん大事なテーマではありますが、それ以上に重要なのは、学力を上げてどういう状態にしたいのか?の方にあると考えています。

・日本の学力が高いかどうか、また、日本の公教育が良いか悪いかで言うと、世界でもトップクラスに良いと言えそうです。

・詰め込み教育はそこまで悪いかというと、間違いなく悪くはないでしょうが、それだけでは不十分な点はもちろんあります。

・特に不足が多い点としては、自己決定をする力、特にリスクがある中で、時に失うものを受け入れながら意思決定をすることではないかと私は考えています。

・ただ、意思決定する力については、学校教育だけの問題ではなく、文化や外部環境など、いろいろな要素を含むものになってくるため、不十分な点については、公教育以外の部分も含めて、生涯をかけて取り組んでくことが大事になってくるでしょう。

という形でしょうか。

ということで、長くなりましたが、以上になります。

繰り返しになりますが、冒頭紹介した「フィンランド教育の失敗」の動画のおかげでまた考えを深めることができたことに感謝しております。

また、ここに書いていることの中には、まだまだ不十分な点もあるかと思います。ぜひみなさんの意見も聞かせていただけると嬉しいです。

ということで、素晴らしい学びの機会をどうもありがとうございました。


PS:私の個人プロジェクト、きづきくみたて工房では、フィンランドを舞台にしたツアーや、これから先の日本社会が向かう先に必要なことを学ぶツアーを企画運営しています。


今後も継続して企画し、情報発信をしていけたらと思います。

もし興味がある方はこちらもチェックしてみてもらえると嬉しいです。







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