2024年 この三冊

①マルクス・アウレーリウス『自省録』(岩波文庫)
読むものや聴くもの、見るものが溢れかえった生活では、考えることが二重に奪われていると思うことがある。見て聴くことに費やすために考える時間を失うし、人の考えを受け取り過ぎるため、自分で考える前から考える物事の落ち着く先が見えているように感じてしまう。
しかし、考えた先に突き当たるものが既に知れたものであっても、それが人の役には立たなかったとしても、何事かについて一人でとことん考えてみることは、考えるその人自身にとっては意義のあることなのではないか。
一人だけで書き、考えるという言葉の運動の豊かさ、どのような思想が語られているかよりも、その豊かさを感じる一冊として読んだ。

②水村美苗『続 明暗』(ちくま文庫)
何ヶ月かの間、毎日少しずつ漱石を読むということ続けていたのだが、それに合わせて本作も読んだ。
未完に終わった漱石最後の長編「明暗」の続きを描くという野心的な一作。漱石が残した連載「百八十八」から始まる小説は漱石「明暗」の文体を模倣し、その物語を引継ぎながらも漱石の「明暗」とは別のものになっていく。
書く人は誰でも、「誰かの後から書く」ことから逃れられない。そのことをいかに引き受けるか考える時、「あとがき」も含めて、本書から得られる洞察があるかもしれない。
ところで、この作品のある箇所を見て「これは漱石の文体じゃない」と感じたとして、その時、違和感によってたしかめられる「漱石の文体」とはどのようなものだろうか。

③安部公房『けものたちは故郷をめざす』(新潮文庫)
ずっと続けている読書会では今年、ソローキン『親衛隊士の日』、ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』、大江健三郎『水死』などを読んだ。本書もそのうちの一冊。
各作品の紹介文を眺めると都会、現代、夢、寓話や前衛という言葉ととともに読まれているように見える安部公房だが、本書を読む限り、この書き手の魅力は骨身にまで訴えてくる執拗な描写にある。
終戦の直前、日本を目指し満州からの脱出を試みる青年の姿を描く、というのが本作なのだけれど、もう進む先のないどん詰まりを前にして、なお進もうとするかのように小説は展開する。その筆致には読んでいる側までどっと疲れさせてしまう迫力があった。

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