「空の発見」展で、とある画家の作品に心奪われた話
先週の連休最終日、妻が近所の道端にある掲示板に目を留めています。
目線の先には 空の発見の文字と、わずかな空間に描かれた星空が印象的な絵画。
「こういうの、好きなんじゃない?」
「面白そう。今から行ってみるか!」
そうして、行き当たりばったりの美術館デートが始まりました。
会場は、渋谷の高級住宅街の一角にある松濤美術館。初めて訪れました。
まず印象的だったのは、建築物としての構造です。吹き抜けを見上げると卵型の空がぽっかり。どことなく今回の展覧会のポスターの絵と似ています。
「空の発見」展は、6章構成となっていました。
解説によると、日本の美術では近世になるまで「空」を現実的に描こうとする意識は薄かったようです。「空」(そら)は(くう)とも読めるように、神の世界である「天」でも、人間のいる「地」でもない、曖昧な場所である、と。
確かに言われてみれば、屏風画、水墨画、浮世絵などであまり青い空が描かれているイメージはありませんね。
ところが近世になると、西洋絵画などの影響から青空を描く画家が現れ、特に明治以降は本格的な西洋画教育や、科学的な気象観測の導入をうけて、刻々と変化する雲や陽光を写しとろうとする画家たちが登場したようです。
3章ではその時代の画家の作品が多く展示されていましたが、そこでとある作品に心を奪われました。琴線に触れる、とはこういうことでしょうか。
明治初期の東海道の宿場(宿駅)を描いた、亀井竹二郎の作品、石版『懐古東海道五十三驛眞景』油彩原画の『島田驛』。
これまで、亀井竹二郎という画家の存在はおろか、明治初期の日本美術について全く知らなかった私にとって、当時こんな写実的な絵画があったことに衝撃を受けるとともに、暮れゆく(明けゆく?)空の光と影の美しい表現に、見入ってしまいました。
亀井竹二郎は、幕末に江戸の下町に生まれ、明治初期にわずか23歳で生涯を閉じた画家だということでした。兄とともに十二歳の頃から洋画を学び、二十歳を過ぎたばかりの頃、この『島田驛』が含まれる東海道の五十三駅の油絵を描いたと伝えられています。何らかのプロジェクトで行われたようですが、強行スケジュールだったらしく、竹二郎は無理がたたって病に倒れてしまったとのこと。あまりにも残念ですが、命を削って描かれたのですね。
『島田驛』の、人の往来はあるものの、どことなく物悲しさが漂うような風景を見ると、まるで当時にタイムスリップしたような感覚になります。
ちなみに島田は、静岡県の大井川左岸(東京側)にある旧東海道の宿場町で、右岸(京都側)の金谷とともに、特に大井川が増水などで渡れないときは、とても賑わったようです。両者は川の対岸同士で「双子都市」とも呼ばれていますが、平成の大合併により、現在は両者含めて静岡県島田市です。
「空の発見」展で、亀井竹二郎の作品は『島田驛』のほかにも、石版『懐古東海道五十三驛眞景』油彩原画が5点、計6点展示されていました。そのどれもが、当時の風景がカラー写真のように描かれています。この地域の150年ほど前の景観に思いを馳せることができますね。
歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』はあまりにも有名ですが、変わりつつある明治初期の旧東海道を描き留めた、洋画版の東海道五十三次とも言える作品集があるとは・・・
「空の発見」展では、他にも多くの素敵な作品に出会うことができました。
思いつきの旅は、思わぬ出会いがあって素敵なものですね。
ちなみに、「空の発見」展のポスターにもなっている作品は、香月泰男の作品『青の太陽』。太平洋戦争中に抱いた思いがモチーフになっているとのことでした。
参考文献
・渋谷区立松濤美術館「空の発見 Discovering the Sky」 https://shoto-museum.jp/exhibitions/205sora/(閲覧日:2024年11月9日)
・郡山市美術館(1997)亀井竹二郎 石版『懐古東海道五十三驛眞景』油彩原画『懐古東海道五十三驛眞景』
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?