やさしさてなんだろうと考えたらあの人にたどりついた
「50歳のお父さん」
僕は勝手に心でそう呼んでいる。
矢野・兵動の兵動さん。幾度となくお仕事をご一緒させてもらっている大先輩。
35歳の自分に50歳のお父さんは物理的におかしいが、そう思ってしまうには理由がある。
はじめて兵動さんにお会いしたのは、芸人をはじめて1年目のとき。
大阪に以前あったNGKスタジオで行われた「矢野・兵動の60分」よしもとのケーブルテレビチャンネルで放送されていた番組だ。
僕たちはそこで前説をさせてもらった。
右も左もわからない僕たちは、汗をかきながら盛り上げようと奔走した。会場を盛り上げることはできなかったが、なんとか持ち時間をやりとげ、舞台を降りた。
主役、矢野・兵動さんお2人が登場した矢先、兵動さんが「前説の子ら頑張ってくれてたね、ちょっと呼んであげよ」と僕たちを舞台上へ招いてくれているではないか。
舞い上がり、何を話したか覚えてはないが、こんな1年目の若手を自分たちの時間を割いてまで、舞台にあげてくれた兵動さんのやさしさに非常に驚いた記憶がある。
月並みな表現だが、器がでかい。
そう感じた。
これは僕の勝手な思い込みなのかもしれないが、僕たちのターニングポイントになるところに兵動さんがいることが多い。
テレビで前説をしていた番組の本番にようやく出る場面。
衣装や芸風を変えたタイミングなど。
1番そう思ったのは、
去年のMー1グランプリ。
3回戦で落ちてしまった僕たちは、どん底にいた。
言い訳もなく、実力不足をただ痛感し、体を切ってみれば自己嫌悪が溢れ出してくる、そんな状態だった。
変に芸歴を重ね、いらぬプライドが邪魔をし、誰にも思いを吐露できずいたところに
「50歳のお父さん」が
僕の目の前にあらわれてくれた。
ABCラジオで兵動さんがメインとなり、その年Mー1グランプリ3回戦で落ちたメンバーを慰め、叱咤激励する、来年への決起集会的なラジオの収録にお声をかけていただいた。
もちろん兵動さんが企画したわけではない。なんなら俺なんかおこがましいとずっと低姿勢。
呼ばれたメンバーはだいたい6、7年目くらいのこれから出て行くメンバー。そこに結成11年目、芸歴13年の僕らがぽつんと入る、いわば「おいしい」立ち位置。
しかし、その「おいしい」立ち位置ですら自らは受け入れ難い状況だった。
それほどあの悔しさはまだまだ鮮度を保って僕の心の中にいたのだ。
一組一組ブースに入り、ネタをし、それぞれのMー1の話を聞いていく。
僕たちは、最後に呼ばれて、ネタをしたのち、Mー 1への思いを話し始めた。
兵動さんは笑いながら、時にはイジリつつ、僕たちの話を聞いてくれた。
その雰囲気で、僕は普段話さないようなMー1への苦手意識や、現場での心境をべらべらとしゃべってしまった。
兵動さんからでるやさしさが、僕たちの気持ちを吐き出させてくれたのだろう。
それはまさにお父さんに
「聞いてや、がんばってんけどな、あかんかってん」と泣きながら矢継ぎ早に話す子供のよう。
そして最後、兵動さんに
「もうここには帰ってくるんじゃないよ」と。
やさしさの毛布に包んでもらった。
その日から僕は、あと15年後、こういう人間になっていたいと思うようになった。
やさしいという言葉はたった4文字だが、その中には色んなものが詰まっている。
強さや、思いやり、他人を受け入れる度量、包容力など、言い出せばキリがないほど。
それをすべてひっくるめてやさしさというのだろう。
僕は50歳になったとき、何をして、どこにいるのかわからないが、この「やさしさ」を持ち合わせた人間でいたい。
兵動さんと話して、そう思わせてもらった。
ここまで書き連ね、相方である矢野さん(パイセン)について全く書いてないことに気づいた。
矢野さんに会うといつも無条件で明るい気持ちになります。はい。
兵動さんとの割合がおかしくなってしまったのは、文字数の関係で、深い意味はございません。
「おかしいやろ!パイセンやで!!」
という矢野さんの声が聞こえてきそうです。