信州には蕎麦とおやき以外、何もないから…などと、信州人にはよく言われるけれど…。【飲酒文化 前編】
信州人に、ここの名産はなんですか?と尋ねると、よく返ってくることの多い「信州には蕎麦とおやき以外、何もないから…」という表現。
自信のなさからくるものなのか、はたまた自信があるがゆえのゆとりなのか、謙遜なのか。
なかなかお国自慢の始まらない信州人に、東北生まれの自分としては、少々、拍子抜けしてしまう。
ひょっとして、信州人たちは、自分たちのフィールドを護るために、他県人の目からはあえて隠しているのではないか。
そんなような考えも、浮かんでは消える。
信州人が、わざと隠しているのではないかと思わず勘繰ってしまうものの代表格、それが信州の各地に根付く飲酒文化なのである。
さて、これからさまざまな酒について取り上げていくつもりでいるのだが、酒類の味に関しては、わたしなどより遥かに味覚に優れた方や、一家言をお持ちの方が五万といると思われるので、これを批評的に記すことはあらかじめ控えようと思う。
【飲酒文化】
信州にやってきて、驚いたもののひとつには、選択肢の豊富な酒のジャンルが多いことが挙げられる。
酒蔵、ブルワリー、ワイナリー、ディスティラリー、信州という土地にない酒造施設はないとでも言わんばかりに、リカーコーナーには郷土の酒が並んでいる。
日本酒、ビール、ワイン、焼酎、ウイスキーと、醸造酒・蒸留酒問わず、信州人は、酒ならなんでも自前で作らなければ気が済まないのではないかと思えてくる。
自前でここまで酒類を造りあげるとは、どれだけ酒好きの県民性なのかといった風であるが、そこは真面目な信州人であるから、酩酊してしまうような呑み方をする人は少ないようだ。
ここまで自前で酒を造っておきながら、秋田や新潟、土佐や薩摩などのようには酒豪のイメージがまとわりつかず、むしろ稀薄であるのも、信州人の気質を物語るものかもしれない。
酔うための酒ではなく、味わうための酒、といった大人の飲み方をするのが、信州人の酒の嗜み方であろうか。
議論好きのあまりに「議論倒れ」と揶揄される信州人であるから、たとえ酒の席であったとしても、呑みすぎのあまり頭が回転しなくなるのは、本意ではないのかもしれない。
酒に酔うより、理屈に酔いたいといったところであろうか。
秋田人も似たような気質を持っているような気がするけれども、秋田人ならば、酒と理屈の両方の酔いを求めるあまり、議論倒れになる前に酔い潰れることが多いのではないかと思う。
信州人は、ややスマートである。
端麗辛口のキャッチフレーズで全国を席巻した新潟県が、日本酒の聖地のようになっていることもあって、隣県である信州・長野県の日本酒の影は薄い。
けれども、信州を訪れて初めて知ったことではあるが、実のところ、新潟県に次いで酒蔵数の数が多い都道府県がどこかと言えば、それは信州・長野県なのである。
まがりなりにも酒どころと呼ばれる秋田県で生まれ育った人間としては、かなり驚いた事実であったのだけれども、同時に、秋田県がランキング10位以内に入っていないということもわかってしまい、固定観念を覆された次第である。
たしかに、スーパーの酒販コーナーの日本酒は、信州のどの土地を訪れても、各地域ごとの地元の酒蔵を主体に売り場が構成されているし、地酒の充実ぶりは東北各県を凌いでいるかもしれないと勘づいてはいた。
信州だけでも10の地域に区分されるようなところに生まれた信州人は、地元の酒を愛し育てて飲み続けようという意識が高いのだろうと考えて納得していたのだけれども、その意識がまさに中小の酒蔵が存続していくエネルギーになっていたのだと思われる。
信州の酒蔵には、ちょっとした逸話を持つところも多い。
諏訪地域には、甲州街道諏訪5蔵と呼ばれて、酒蔵見学などで売り出し中の蔵元がある。
松尾芭蕉の奥の細道の旅に同行した門人・河合曾良という人物が、この上諏訪宿の生まれであり、その生家は、諏訪5蔵のひとつ麗人酒造の隣接地にあったという酒造家・高野家であった。
当時の諏訪地域には末子相続の伝統が残っていたために、酒蔵は弟が継ぎ、曾良は養子に出されたのちに、芭蕉門人として活躍したという。
残念ながら、飲酒を戒めた気配のある松尾芭蕉や、河合曾良にはいい感じの酒の句はなく、いい感じの酒の句は、ほかの門人・宝井其角の方に見受けられるようである。
酒の詩人と言えば、李白、陶淵明、ハイヤーム、ボードレールといったところが思い浮かぶけれども、酒の歌人ならば、大伴旅人、若山牧水の名が挙げられるだろう。
大伴旅人は信州を訪れたことはないものの、その出身である大伴氏は、馬牧の経営から信州の地に深い繋がりを持ち、長く影響力を保持していた形跡が見受けられる。
そして若山牧水は、信州を旅することも多く、浅間山の景観や佐久鯉の味、佐久の地酒を気に入って、しばしば佐久のホテルに逗留したという。
御園竹という酒の名が、牧水の歌の中にも登場してくることもあり、今でも佐久地域には、佐久13蔵といって多くの酒蔵がひしめいている。
・参考① 宝井其角の酒の句
十五から 酒を飲み出て 今日の月
到来を さあと云ふまま 酒にして
花に酒 僧とも侘ん 塩ざかな
酒を妻 妻を妾の 花見かな
蝸牛 酒の肴に 這はせけり
酒買ひに 行くか雨夜の 雁一つ
手をあてて 外から見たる 酒の燗
富士の雪 蠅は酒屋に 残りけり
・参考② 大伴旅人の酒の歌
験(しるし)なき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
中々に 人とあらずは 酒壷(さかつぼ)に 成りにてしかも 酒に染みなむ
・参考③ 若山牧水の酒の歌
かんがへて 飲みはじめたる 一合の 二合の酒の 夏のゆふぐれ
白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり
寒鮒の にがきはらわた 噛みしめて 昼酌む酒の 座は日のひかり
寂しみて 生けるいのちの ただひとつの 道づれとこそ 酒をおもふに
やまいには 酒こそ一の 毒という その酒ばかり 恋しきは無し
足音を 忍ばせて行けば 台所に わが酒の壜は 立ちて待ちおる
あな寂びし 酒のしづくを 火におとせ この夕暮の 部屋匂はせむ
ウヰスキイに 煮湯そそげば 匂ひ立つ 白けて寒き 朝の灯かげに
信州の酒造りの伝統は古く、過去に協会推奨酵母として、秋田の新政酵母と並び称されたのが、諏訪5蔵・宮坂酒造の蔵付き酵母・真澄酵母であった。
信州には、遠路はるばるやって来る善光寺参拝客へ振る舞われたという、善光寺名物の冷やし甘酒の文化も存在しているけれども、新潟県が一大ムーブメントを巻き起こした端麗辛口酒とは一線を画する、濁り酒などの旨口酒の文化があるような感じがしている。
端麗辛口の看板は、お隣の新潟県に完全に譲ってしまって、農醇旨口という真逆の方向に、我が道を見いだしているのだとすれば、なかなかにしたたかな戦略ではあるまいか。
実際には、信州の食文化が地酒の味をもたらしたものと思われるので、信州の日本酒界隈は、農醇旨口酒という方向性を、新潟のようには上手に活用できていない様子である。
新潟の辛口酒は、新鮮な白身魚や貝の刺身などと合わせて呑むように進化を遂げ、信州の旨口酒は、佃煮や甘露煮などの調理法と合わせて呑むように進化を遂げたものであろう。
ザザムシの佃煮や小鮒の甘露煮などと合わせると、信州の旨口酒はなんとも言えない広がりを見せてくれるし、一瞬躊躇するような奇抜な食材も、信州の地酒と合わせることで箸の止まらない酒肴ともなる。
実際に、地元の酒と合わせると、食材の見てくれなんてものは吹き飛んでしまうので、面白いものである。
一方、ビール業界は、大手のメーカーによって独占されていた時代が長く続いてきたけれども、クラフトビールブームの時代から徐々に風向きが変わってきたようだ。
2000年代ぐらいから始まった地ビール・クラフトビールのブームを牽引したブルワリー、ヤッホーブルーイングというブルワリーが本社を構えるのが軽井沢町である。
軽井沢から、地ビール・クラフトビールの文化は広がって行ったと言えるかもしれない。
「軽井沢ビール」という名称については、ヤッホーブルーイングと軽井沢ブルワリーとの間で論争があって、それぞれ、ヤッホーブルーイングは軽井沢高原ビール、軽井沢ブルワリーはTHE軽井沢ビールをブランド名とすることで落ち着いたという逸話が残る。
ちなみに、ヤッホーブルーイングの醸造所は佐久郡御代田町に、軽井沢ブルワリーの醸造所は佐久市にあるので、ともに、佐久郡軽井沢町に醸造所があるわけではないのが面白い。
ヤッホーブルーイングの知名度は全国的ともなり、よなよなエール、インドの青鬼、水曜日のネコ、東京ブラックなど、コンビニやスーパーで見かけることも多くなってきた。
個人的によく視聴するYouTube動画・源流居酒屋さんも、よなよなエールでの乾杯シーンが定番で、もはや5番目の大手ビールメーカーに限りなく近い存在となっているのかもしれない。
かつて、岩手県が誇っていたクラフトビールの先駆け的ブランド、銀河高原ビールも、今ではヤッホーブルーイングの傘下となり、その銘柄のひとつとなっているのだから驚きだ。
軽井沢町が、信州クラフトビール文化の第一人者であるとすれば、信州スポーツバー文化の第一人者は、間違いなく松本市である。
パブリックビューイングを伴うスポーツバー文化は、信州においては、地元サッカーチーム・松本山雅FCの躍進によってもたらされた。
松本山雅FCのホームであるサンプロアルウィンスタジアムとその周辺では、松本山雅FCを応援しながらの、グリーンビールが定番である。
山雅カラーに色付けされたグリーンビールは、リキュールによって色付けされたビアカクテルに分類される。
オレンジ果皮によって造られるリキュールであるブルーキュラソーを、黄金のビールに少量混ぜ合わせると、爽やかな山雅カラーのグリーンに発色する。
オレンジのリキュールを、山雅カラーに染め上げるグリーンビールは、松本市民にとっては、してやったりの酒なのかもしれない。
キリンビールが、松本市周辺でだけ販売しているものらしいので、信州でも、このグリーンビールが味わえるのは松本地域だけということになる。
長野県全域で飲めるようにすればいいのでは…と、信州を訪れたばかりの他県人はすぐに考えてしまうところであるけれども、そこは信州特有の事情というものが存在する。
長野市民が応援しているのは、オレンジをチームカラーとするAC長野パルセイロである。
松本市と長野市の文化的・歴史的な相違、県庁所在地を巡る確執などが過去にあったことがプラスに作用し、信州は、一県単独で巨人阪神戦のようなダービーマッチを愉しめている。
松本山雅FCとAC長野パルセイロの試合は、たとえその舞台がJ2であってもJ3であっても、J1の試合を凌駕するような熱気の渦に包まれる。
欧州のクラブチームのように、市民自身が、自分たちの都市のプライドを賭けて応援する、真の意味でのダービーマッチ。
それを自然体の状態で持っている信州のスポーツ文化は、他県からやって来た者にとってみれば、とてもうらやましく見えるのだ。
ろくにフランチャイズ球団を持たなかった東北地方の人間からしてみれば、この熱量こそは財産だろうと思われる。
運営局などによって企画されたようなダービーマッチではなく、市民自身が本当の意味で負けられないという気持ちで戦う、真の意味でのダービーマッチを、信州は持っている。
根底に、県庁所在地を巡る哀しい対立や、武士の時代の松本と長野の対立などがあるものの、それらを健全に消化していきさえすれば、未来のスポーツ振興に繋がっていく道に間違いないはずである。
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