【読書感想文】すべては1人から始まる_研究職キャリアとそこから離れたことを振り返る
読みました。
これは面白かった。
この本を読み終わったタイミングで、4年前まで在籍していた会社の先輩と2人でゆっくり話す機会があって、めちゃくちゃ色々整理された。
「問題を作る」と「問題を解く」
これまで、明言することを(おそらく無意識的に)避けてきていたけど、ある意味で、僕は研究者としての自分のキャリアに限界を感じていたんだと思う。こう書くと、挫折の話のようだけど、挫折の話ではないつもりで書いているし、内心はめちゃくちゃ清々しい。
僕にとって、理想の研究者像というのは、大学のときの指導教官の教授のような、「問題を作ることのできる人」。
さらに、その教授に限らず、実際に問題を作ることのできる先輩の元で研究をする、という幸運に恵まれたことも相まって、なおさら、自分が問題を作る側にはなれないだろう、と感じたことが、アカデミアでのキャリアを積むのではなく、修士で区切りをつけてメーカーに就職することを決めた一つの理由だったと思う。
(実際はその消極的な理由は全体の数%くらいだったけども)
そんな経緯で就職した素材メーカーにおいても、いまだに、僕は自分に「問題を作る力」があることを、ずっと信じていたかった。
研究テーマを提案できるやつに価値があると思っていたし、「あなたの(お客さまの)イノベーションを支援します」という会社のスローガンに対して、「僕らがイノベーション起こすんじゃないんですか」と怒りを表明したものだった。
しかし、冷静に振り返ると、僕が1番バリューを発揮していた瞬間って、何かの問題を作っていたシーンではなく、問題を解いていたシーンだったと思う。なんだかんだ、量産検討やってた時間が1番長かったし。当時は向いているとはこれっぽっちも思わなかったが。
そんなある日、今の会社と出会い、転職し、研究職というキャリアから離れて、「問題を解く」ことに邁進している自分を、冷静に見つめられるようになった。
あれ?僕、問題を解くのが得意かも…?そして、楽しいかも…?
「ソース原理」という補助線
ここで、この一連の僕の心の動きが「ソース原理」という補助線によって、さらによく理解できると思う。
「ソース原理」については、こちらのリンクを参照ください。
簡単にまとめると、以下のような考え方。あらゆる活動(イニシアチブ)には源泉となる1人のソースがいる。逆にいうと1人しかいない。
全ての人は自分の人生のソース。
一方、他人のイニシアチブに、サブソースとして参加することも可能。その場合、サブソースは、ソースのイニシアチブに完全に内包されていることが重要。
イニシアチブへの参加の仕方には、ソース、サブソースの他に「業務協力者」もいる。イニシアチブに対して自分の人生のソースとの重なり合いを感じられない形で参加すること。
上述の「問題を作ることができる」「研究テーマを考えることができる」というのは、つまり「ソースとしてイニシアチブを率いることができる」ということなんじゃないだろうか。とりわけイニシアチブの最初のソースの場合には。
「問題を解く」のは、必ずしもサブソースであるとは限らないが、誰かの作った問題を解いている状態は、サブソースとして振る舞っている状態と言える。
「ソース原理」と研究者の関係
さて、アカデミアの研究の世界では「オリジナリティはどこにある?」や「それはあなたの研究?」というフレーズに象徴されるように、ほとんど「ソースであること」が、至上の価値、というか、唯一の価値、と思われていると思う。特にD論の審査ではその傾向が強い。(先輩たち大変そうだったな…)
前職の会社も、企業と言えど、研究所はそのメンタリティをある程度引き継いでいるので、「ソースであること」に価値を感じていた。ソース原理からいうと、会社というクリエイティブフィールドの中で新たなソースになる、というのはちょっと定義上おかしいのだけど、そんな気概だったようにおもう。
このような価値観の下で、自分が健やかでいられるためには、研究の文脈でのソースになる=テーマを提案するか、あるいは、自分がサブソースとして参加したいと思えるようなソース(研究テーマ)に出会うか、なんだと思う。
あ、あともう一個、「自分は自分の人生のソースなんだ」と真っ直ぐに信じて、何をやるかは関係ないと思えるか、もある。そういう人も極めて少数ながらいた。
自分のキャリアをソース原理で振り返る
僕は、研究という世界において、ソースにはなれなかったし、本当の意味でのサブソースにもなれていなかったのかもしれない。
自分で言っちゃうが、なまじ、仕事はできるだけに、ギリギリ、サブソースっぽい振る舞いはできていたのかもしれないが、実際のところは業務協力者だったのかも。
そんな僕が、自分の健やかさを獲得するためには、研究から離れる、というのは必要なステップで、研究から離れることで初めて、自分がサブソースになることを認められたのかもしれない。
同時に、サブソースとして参加したいと思えるほどのソースに出会えたことも幸運だった。
それでようやく、問題を解いている自分に居心地の良さを感じられるようになったんだろうな。
あともう一つ、僕が「こういう新規事業の作り方好きなんだよなあ」と、思うタイプのビジネスのやり方についても、このソース原理によって説明できるかもそれない。
それは、ビジネスラインを支えるような社内の仕事を極めていった先に、その仕事が事業になる、という形。
これ、サブソースが、ソースになる、という物語に思えて、僕はそこに憧れていたのかもしれないな、と感じた。