研究ノート AIを利用して作成した作品の著作権は、利用者に帰するため、記すこともありませんが、私は、AIの利用法を変え、試作として、大江健三郎さんの作品、特に、『個人的な体験』(1964)について、私は、本書を50歳の時に、何度も、読み直し、その契機となった出来事は、個人的な迷いであり、米大学から教授の誘いがあった時、状況からして、日本での評論を捨てるか、さらに、家族を捨てるかの選択の中で迷い、ウイスキーに溺れる日々でしたが、最終的には、家族と評論活動を守る決心

AIを利用して作成した作品の著作権は、利用者に帰するため、世の中の決まりごとからして、いちいち記すこともありませんが、私は、今回から、AIの利用法をドラスチックに変えてみましたので、試作として、大江健三郎さんの作品、特に、『個人的な体験』(1964)の登場人物とストーリーについて、検索結果を基に、吟味してみますが、この作品は、主人公の「鳥(バード)」(大江作品の主人公には、必ず、ルビーで奇抜なネーミングが示されている)と言うあだ名の27歳の予備校講師が、障害を持って生まれた息子と向き合う姿を描いており、主な登場人物は、
鳥(バード): 主人公。アフリカに行くことを夢見ていますが、現実逃避の傾向があり、
火見子(桜井注 珍しい名ですが、救いの女神としての卑弥呼の意なのか): 鳥の大学時代の友人であり、彼の心の支えとなる存在、
鳥の妻: 妊娠中で、物語の中で第一子を出産する、
鳥の息子: 脳ヘルニアを持って生まれた障害児、
ストーリーは、
鳥は、アフリカへの夢を抱きながらも、現実の生活に不満を抱いており、妻が妊娠し、もうすぐ第一子が生まれる予定ですが、鳥は父親になることに対する実感が乏しく、むしろ自由を失うことへの恐怖を感じ、息子が脳ヘルニアを持って生まれたことが判明し、鳥は強い混乱と絶望に陥り、彼は現実から逃避し、友人の火見子のもとで酒とセックスに溺れるものの、最終的には息子を受け入れ、手術を受けさせる決意をしますが、この作品は、大江健三郎さん自身の実体験を基に書かれており、彼の息子も脳ヘルニアを持って生まれたことが背景にあります。
『個人的な体験』は、いくつかの重要なテーマを扱っており、
主なテーマ
個人の成長と責任:
主人公の鳥は、障害を持つ息子の誕生をきっかけに、自分の人生と向き合い、成長していく過程が描かれており、彼は逃避と現実の間で葛藤しながらも、最終的には、父親としての責任を果たす決意、
倫理的な選択:
鳥は、息子を見捨てるか育てるかという難しい選択を迫られ、この選択を通じて、彼の内面的な葛藤と成長が描かれ、
現実逃避と向き合い:
鳥のアフリカへの夢や火見子との関係は、彼の現実逃避を象徴していますが、最終的には現実と向き合う勇気を持つことが重要であることが示しており、
障害と受容:
障害を持つ息子の存在は、鳥にとっての試練であり、彼がそれを受け入れることで成長する姿が描かれ、
このように、『個人的な体験』は、個人の内面の葛藤や成長、倫理的な選択の重要性を描いた作品です。
私は、『個人的な体験』を50歳の時に、何度も、読み直しましたが、その契機となった出来事は、個人的な迷いであり、米大学から教授の誘いがあった時、状況からして、日本での評論を捨てるか、さらに、家族を捨てるかの選択の中で迷いに迷い(子供がまだ十代半ばであり、米国の生活環境や教育に溶け込めない)、ウイスキーに溺れる日々でしたが、最終的には、家族と評論活動を守る決心をしました。
私は、『個人的な体験』のつぎに大江健三郎『ヒロシマノート』(岩波新書、1965)も読み、ノンフィクション作品であり、広島の被爆者たちの声を拾い上げ、核兵器がもたらす人間的悲惨を描き出していますが、大江さんは、被爆者たちの「威厳」と「屈服しない姿勢」に焦点を当て、彼らの生き方や考え方を紹介し、また、大江さん自身の個人的な経験や感情も交えながら、広島の現実を正面から受け止め、絶望しすぎず、希望を持ちすぎることもない「正統的な人間」の姿を描いており、大江は、広島の平和記念公園の中央を流れる元安川での燈篭流し(死者の氏名を記す)で、脳ヘルニアの息子の氏名を記し、流しましたが、そのことを恥じ、翌年の燈篭流しでは、自身の氏名を記し、流しましたが、告白できないくらいきつい出来事のように感じました。
なお、大江さんの年代別作品は、
1950年代
1958年 『死者の奢り・飼育』『見るまえに跳べ』『芽むしり仔撃ち』
1959年 『われらの時代』『夜よゆるやかに歩め』
1960年代
1960年『青年の汚名』『孤独な青年の休暇』
1962年 『遅れてきた青年』
1963年『性的人間』『叫び声』
1964年『日常生活の冒険』『個人的な体験』
1967年『万延元年のフットボール』
1970年代
1973年『洪水はわが魂に及び』
1976年『ピンチランナー調書』
1979年『同時代ゲーム』
1980年代
1984年『新しい人よ眼ざめよ』
1987年 『懐かしい年への手紙』
1990年代
1990年『静かな生活』
1993年 『燃えあがる緑の木 第一部』
1994年 『燃えあがる緑の木 第二部』
1995年『燃えあがる緑の木 第三部』
2000年代以降
2000年 『取り替え子(チェンジリング)』
2009年 『水死』
2013年『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』
と、作家として、作品数は、決して多くはないものの、他の作家に出せない特徴(癖)、すなわち、オリジナリティと論理構成と表現力が見られ、つぎの世代(五木寛之)とそのつぎの世代の作家(村上春樹)の作品と比較してみましたが、五木作品の中では、『青春の門』シリーズ、村上作品の中では、『ノルウェイの森』を何度も読み直し、大江と五木と村上の作品の特徴の比較できない比較を頭の中だけに描いてみました。

五木寛之年代別作品
1960年代
1966年『さらばモスクワ愚連隊』
1967年『蒼ざめた馬を見よ』
1969年『青春の門』
1970年代
1970年『青春の門 第1部 筑豊篇』
1976年『戒厳令の夜』
1979年『四季・奈津子』
1980年代
1980年『青春の門 第6部 再起篇』
1985年『風の王国』
1987年『四季・波留子』
1990年代
1993年『青春の門 第7部 挑戦篇』
1998年『大河の一滴』
2000年代以降
2002年『サイレント・ラブ』
2010年『親鸞』
2024年『五木寛之対談集 I』(予定)

村上春樹年代別作品
1970年代
1979年『風の歌を聴け』
1980年代
1980年『1973年のピンボール』
1982年『羊をめぐる冒険』
1985年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
1987年『ノルウェイの森』
1990年代
1992年『国境の南、太陽の西』
1994年『ねじまき鳥クロニクル』
2000年代
2002年『海辺のカフカ』
2004年『アフターダーク』
2010年代
2010年『1Q84』
2017年『騎士団長殺し』
2020年代
2020年『一人称単数』












いいなと思ったら応援しよう!