ある日本兵の話
ある日本兵(ここではXとします)が、第二次大戦の終戦をインドネシアで迎えました。
インドネシアは、その後オランダからの独立戦争を始めます。その時、軍事訓練された日本兵と日本兵が持つ武器は貴重だったので、彼らを確保する必要があり、ときには拳銃で脅して独立戦争参戦を求めました。
Xも拳銃をこめかみに突き付けられ、このまま殺されるか、独立戦争に参戦するかを求められ、独立戦争への参加を決めました。その時点で、Xは日本政府からは逃亡兵として認定されてしまいました。
独立戦争はインドネシアの勝利に終わり、オランダ・日本と渡った長い植民地支配を終えて独立を勝ち取りました。
終戦後、長い期間を経て、海外展開できるようになった日本企業は、ぼちぼちインドネシアに進出してくるようになりました。Xは、日本語ができるということで日本企業で働くようになりました。そのころには、Xはインドネシア人と結婚し、家庭を持っていました。
実は、Xには、第二次大戦出征前に結婚したばかりの妻がいました。その妻は妊娠しており、Xは子供の顔も見ないままに出征しました。あの当時はよくあった話です。これから太平洋に出征していくXは、生まれてくる子供は男でも女でも、名前に太平洋の「洋」という字をつけようと伝えていました。
Xは、その話をインドネシアに出張してきた社員にポロっと言いました。その社員はその話を聞き、日本でXの妻を探しました。
妻は見つかりました。妻は何度もXに手紙を送りました。しかしXはインドネシアで結婚して家庭を持っていることもあり、返事を書くことはありませんでした。
その後、日本政府はインドネシア独立戦争に参戦した旧日本兵の名誉を回復しました。一時帰国ではありますが、晴れて日本に帰国できることになりました。
Xが成田空港に着くと、ある女性が、あの時別れた妻の年恰好のままの姿で立っていました。その女性は「お父さん、洋子です」と言いました。
あのとき妻のお腹の中にいたのは女の子で、空港で会ったとき、ちょうど別れたころの年齢になっていたのです。
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ドラマのような話です。我々が現代生きている社会は、こういった無名の戦士たちの様々なドラマの積み重ねによってできていることを痛感します。
なお、このエピソードは島田紳助のトークを参考にしました。