ヨガで成長するための8ステップとなる「ヨガの八支則」をざっくりと学ぶ
ヨガは悟りへと至る道を指し示しています。ヨガにも教典があります。ヨーガスートラとバガヴァッド・ギータですね。ヨガをやられている方は聞いたことがあると思います。ヨガインストラクターさんは間違いなく読んでいることでしょう。ヨガのティーチャートレーニングクラスでも必ず勉強する書籍ですので、もし今後もヨガを続けていこうと思っている方は、一度読むことをおすすめします。
ヨーガスートラには悟りへの道で実践するノウハウが書かれており、それが「ヨーガの八支則」アシュタンガヨーガです。ヨーガスートラにおけるアシュタンガヨーガとは、悟りへの八つのステップのことなのです。
「心の作用を止滅することが、ヨーガである。インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ 第一章 より」と書かれているように、ヨガの目的は、心の働きを自らがコントロールすることです。
それでは、ざっくりですがアシュタンガヨーガ「ヨーガの八支則」をみていきましょう。
*「ヨーガの八支則」がアシュタンガヨーガと書きましたが、パタビ・ジョイスさんが作られた流派のアシュタンガヨガとは異なりますのでご注意ください。「ヨーガの八支則」は実践方法です。真摯に取り組むことが必要で、その実践により至福へと至る道となるとして提示しています。
その前に、そもそもヨガとは
ヨーガとは、サンスクリッド語で「つなぐ」「つなげる」という意味の言葉で「馬に馬具をつける」という由来・語義があります。では何とつながるのでしょうか。
ヨーガは真我とつながることを一つの目標としているのですね。真の我と常に繋がっている状態を目指しているのです。
自我は偽我とも言われ、本来の私ではないとされています。その偽の我から、真の我へのつながりを目指す手法が「インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ」には書かれているのですが、その中で「ヨーガの八支則」が挙げられています。
たとえば、「ヨーガの八支則」の中にアサナ(ポーズ)があります。真の我を見いだす為の方法としてアサナがあるのです。これから紹介しますが、瞑想(ディヤーナ)もそのひとつとなります。
「ヨーガの八支則」アシュタンガヨーガ
以下に八支則を並べてみました。全体を眺めてみると、アサナの他にもたくさんの項目があることがわかります。アサナは、3番目に位置していますね。
ヤマ:禁戒
ニヤマ:勧戒
アーサナ:坐法
プラーナヤーマ:調気
プラティヤハーラ:制感
ダーラナー:集中
ディヤーナ:瞑想
サマーディ:三昧
それでは、超ざっくりと「ヨーガの八支則」アシュタンガヨーガをご紹介します。ここでは本当に超ざっくりですので、ピンとくるものがあれば、ぜひ詳しく調べてみてください。
1.ヤマ:禁戒
ヤマとは禁戒という意味です。日常生活において行わないように心掛けること、しない方がいいことですね。「守るべきこと」などと言われる方もいらっしゃいますね。
ヤマは以下の5つになります。
アヒンサー:非暴力、暴力を振るわないこと
サティヤ:正直にし、嘘を言わないこと
アスティヤ:盗まないこと
ブラフマチャリヤ:性欲、睡眠欲、食欲を制御すること
アプリグラハ:必要以上に貪らないこと
しない方がいいと言われてもすぐに実践できないかもしれません。「出来ているよ!」と、いきなりサティヤを実行してくる方もいらっしゃいますが、それはネタとしては面白いですが、実践としては違いますね。
アヒンサーは非暴力と訳されることが多いです。暴力を振るわないというのは他者に対しては当然ですが、自分に対しても暴力を振るわないということ。自分への非暴力、アヒンサーの実践は忘れがちですので覚えておく事をオススメします。
また、暴力というのは、物理的な暴力だけでなく精神的なものも含まれます。気付かないで人を傷つけたり、自分自身を追い込んでしまうことがあります。ですから、日々の内省がとても大事です。心のコントロールといいますか、自分を知ることが大事に思います。
サティヤは嘘をつくことですね。嘘はよくありませんが、すべてにおいて正直であれ、というのもまた難しいものです。出来る範囲で、そして嘘をつかないといけないような行動をしないように心がける方が先かもしれません。正直に生きるほうが、実は楽なことも多いです。そのあたりの実践を生活でしていくということですね。
ここでも、自分に対しても正直であることは何よりも大切です。人というのは自分自身が許せない行動(自分で納得していない行動)をとると、その事で自分自身を呪ってしまいます。(例えば、友達にウソをつくと「自分はウソをつく人間である」、と定義づけてしまうということが呪いです 参考文献:呪いの時代 内田樹 )
アスティヤの盗まないことは、ずばりそのまんま、盗みをするなということです。犯罪行為はもってのほかですが、これも尺度があります。盗むというのは、物理的にも精神的にもあるものです。注意が必要です。
ブラフマチャリヤは不貪などと訳されますが、欲を制御することです。欲に溺れるなと、戒めています。
アパリグラハは必要以上に貪らないということです。知足ですね。アパリグラハの実践は、自分の心を見つめるのに大変に役立つかと思います。
断捨離ではないですが、自分にとって必要なもの、大切なもの、これだけは一生懸命に大事にしていきたいもの、など自分の生活にとって何が必要で何が不要かが分かってくると思います。自分の心を見つめる内観というものは、アパリグラハの実践と関係があると思います。
2.ニヤマ:勧戒
ニヤマとは勧戒という意味です。日常生活で心がけると良いことです。これらを実践することがニヤマになります。ヤマとは逆になりますね。
シャウチャ:清潔にすること、清潔さを保つこと
サントーシャ:足るを知ること、知足
タパス:苦しみや苦難を受け入れること
スワディヤーヤ:ヨガの教典を学ぶこと
イーシュヴァラ・プラニダーナ:神への献身、目の前にあるあらゆること・起こること全てに身をゆだねること
シャウチャは自分を清潔に保つこともそうですし、身の回りを奇麗にしておくこともそうですね。身の回りを奇麗にしておくことは、神への献身にもつながります。そして自分自身を好きにもなっていきます。
自分自身を好きになることは自己承認欲求とも関係がありますので、とても大事なことです。
ニヤマの実践もかなり自分を見つめることになります。ヤマと一緒で内観も大事になってきます。実践しようとしている自分の観察、実践できない自分の観察、ヤマ・ニヤマを実践した後の自分の観察…と、内観をすることで悟りへ近づいていきます。
3.アーサナ:坐法
アーサナとは坐法という意味です。これはみなさんご存知のポーズのことですね。巷では、ヨガと言えばアーサナ(ポーズ)のことを指しますね。
快適で安定したものがアーサナになります。
快適で安定していないものはアーサナとは呼ばれません。
快適で安定した姿勢を保つことを心がけるのが基本です。
そして、快適で安定した状態で呼吸を深めていきます。そのように身体をコントロールしていくことがアーサナです。
アーサナは真面目にやるというよりかは、自分の身体をいたわり、そして楽しませるというニュアンスがあると思っています。
「BORN TO YOG」クラスはこのアーサナに特化しております。他を否定するわけではなく、あくまでもこのアーサナ部分に集中して学ぼうというクラスです。学び、遊ぼう。という表現がいいかもしれませんね。
実際の教典では、これだけしか書いておりません。
アーサナは本来は瞑想のためのものですので、アーサナにこだわらないのがいいと思っています。楽しむということを大切にすると、アーサナへのこだわりも減り、できる・できないといった執着も薄れると思います。
とはいえ、現代の人は身体を動かすことがもの凄く少なくなっているので、積極的にアーサナを取り入れることをオススメしております。
4.プラーナヤーマ:調気
プラーナヤーマとは調気という意味です。呼吸法のことです。
プラーナというのはあらゆるところに充満している生命エネルギーのことです。プラーナ(生命エネルギー)はそこかしこにあるとされており、人は空気とは別にプラーナを吸い込み生きているとされています。不食の方は、なぜ食べないで生きていけるかというと、このプラーナ(生命エネルギー)を食べることで生きているとされています。
不食の方で興味深いのが、俳優の榎木孝明さんですね。30日間の不食チャレンジをされて達成しております。病院で撮影をしながら望んで、それを証拠として発表されております。
(食べ物で言えば、菜食主義であったスティーブジョブズさんは膵臓癌でしたね。)
このようにして、プラーナで人は生きている、と考える人もいらっしゃいます。
プラーナヤーマはプラーナと呼ばれるエネルギーを呼吸法によって身体に取り入れることです。
ちなみに、呼吸瞑想というものがありますが、それは呼吸法よりなのか瞑想よりなのかで方法が分かれるかと思います。
瞑想状態というのはコントロールしている”私”の不在です。ですから、コントロールする呼吸法をしている”私”が不在となります。なので、呼吸法と瞑想が同時に起こることはありません。瞑想と呼吸法は明確に区別されています。
5.プラティヤハーラ:制感
プラティヤハーラとは制感という意味です。感覚制御などとも言われます。
心が認識したときに感覚は生まれるとされていますが、プラティヤハーラは、その心を意識的に動かすことで感覚をコントロールすることになります。心頭滅却すれば火もまた涼し、という諺の通りですね。
感覚が心や身体へ影響しているのはご存知の通りです。五感なんていいますね。人間は、その五感の影響を受けて日々生活をしています。プラティヤハーラとは、身体で受けた感覚が心に影響を与えたままにするのではなく、その心を制御することです。
「心の作用を止滅することが、ヨーガである。インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ 第一章 より」に近づいてきておりますね。
プラティヤハーラは、心を制御し、囚われない心を作り出していく行為になります。
それには心と対象との間に距離を置くことです。距離を置くことで、心と対象の同一化から離れることができます。心からすべてを引き離すのです。ヴィパッサナー瞑想の観察という行為は、それに似ているかもしれません。
方法としては、それぞれの感覚器官すべてで体験したことから離れるのです。
視覚からの情報に惑わされずに離れるのです
聴覚からの情報に惑わされずに離れるのです
触覚からの情報に惑わされずに離れるのです
味覚からの情報に惑わされずに離れるのです
嗅覚からの情報に惑わされずに離れるのです
五感に惑わされずに、心の平安とともに生きていくことを目指します。決して感情を否定しているわけではなく、感情を自分のコントロール下におき、自動操縦のように操られることから離れるのです。
快適な人生が始まりますよ。
6.ダーラナー:集中
ダーラナーとは集中という意味です。
特定の対象に対して、真に心を集中すること。一点集中することがダーラナーです。
集中は対象がいます。対象に意識を向けることを集中と呼びます。沢山の対象に集中するのではなく、一点に集中します。一つの対象に意識を向けます。
それには、意識の散漫から離れることです。
ゴエンカさんのヴィパッサナー瞑想合宿では、前半にアナパナ瞑想というのを行います。これは呼吸を観察する瞑想ですが、感覚としては集中法に入る気がしています。
まず最初に呼吸に意識を向ける、鼻から息が出るところに意識を向ける、この段階からスタートしますが、この段階は集中(ダーラナー)そのものです。そこから呼吸と一体となるとか、呼吸をしているものと一体となるなどして瞑想状態へと入っていきます。
一体となる、という状態になると光が見えます。おそらく、ヴィパッサナー実践者の方で光が見えた人は少ないと思いますが。
瞑想状態が一体となる体験で、ダーラナー(集中法)の段階では対象物があることになります。なので呼吸へと意識をむけている場合は、対象となる呼吸がありますので、ダーラナーとなります。ひとつのことに意識を向け続ける行為がダーラナーです。
このダーラナーと、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)という三段階をあわせてサンヤマと呼ばれています。ヨガでは、このダーラナー、ディヤーナ、サマーディを順番に実践していくことを推奨しています。サンヤマを実践することで「願いを叶えることができる」ということをおっしゃる方もいるくらいです。
7.ディヤーナ:瞑想
ディヤーナとは瞑想という意味です。顕在意識と潜在意識が統一された状態とも言われています。梵我一如などともいい、神と私の同化、宇宙と私の同化、森羅万象のすべてと私が同一化された状態などいろんな言い方があります。
ダーラナーで集中した対象から、広がりが生まれ解放が起こります。その対象と一体となっていく流れがディヤーナ(瞑想)です。集中していた対象がなくなり、一点に集中して対象が私と同化することでディヤーナ(瞑想)が起こります。
何ものにもとらわれない無心の時間ですね。ですので、何か対象へと意識が向いているときは、ヨガにおいてはダーラナー(集中)となり、ディヤーナ(瞑想)ではないということです。
瞑想中は、いろんな考えが浮かんできたりします。浮かんでは消えて、また浮かんでくる、これが繰り返されますが問題ありません。思考というのはそういうものです。瞑想中の思考は気にしないでいいのですが、中には勝手に湧いてくる思考にも意味がある、という説明をされる人もいます。
深い静寂が瞑想です。深いところで寛いだ状態が瞑想です。ですので、思考についてはあまり気にする必要はないと思っています。
ヨギボズQAでも、雑記でも瞑想について書いてますので、チェックしてみてください。
8.サマーディ:三昧
サマーディとは三昧という意味です。究極の至福状態。悟りともいわれます。悟り体験や一瞥体験という一過性ものではなく、継続した悟りそのものになることがサマーディです。
サマーディの至福のことを「本来のあなたに戻る」とか「本来のあなたになる」という表現をされる場合もあります。衆生本来仏なり、ということを白隠禅師さんは仰っていますが、それはこのサマーディの状態を言っているのだと思います。
ディヤーナ(瞑想)の項で梵我一如と書きましたが、サマーディに至るとすべての対象が私なのです。見られる者と見る者が同じということに気付くことです。
それは知識での理解ではなく、体験としてわかってしまうということです。梵我一如であるということを理解するのではなく、梵我一如であることに気付くことでもあります。
ヨガの定義でもあった”つながる”というのは、世界と私がつながり一体であることを思い出すことです。これが至福です。
終わりに:アサナも含めてアシュタンガヨーガ
ざっくりとですが、全体を眺めてみていかがだったでしょうか。ヨガをポーズだけだと思っていた人は驚かれたことでしょう。
ポーズにおいても、アサナの定義は「安定して快適であること」それだけなのです。
面白いですよね。この深さがヨガの魅力にもなっています。アサナも含めて、「ヨーガの八支則」アシュタンガヨーガも学んでいってみてください。より豊かな日常生活が送れることでしょう。
もう一度、掲載しておきます。
ヤマ:禁戒
ニヤマ:勧戒
アーサナ:坐法
プラーナヤーマ:調気
プラティヤハーラ:制感
ダーラナー:集中
ディヤーナ:瞑想
サマーディ:三昧
補足:オススメのヨガ関連書籍を紹介しておきます
※2016-03-09時点のオススメ本です
先ほども紹介したヨーガスートラ、バガヴァッド・ギータはヨガ哲学を学ぶには必読かと思います。ヨガのティーチャートレーニングでも必ず購入し読む本になります。ですので、今後、もっとヨガを続けていきたい方は読んでおいて損はないと思います。
また、バガヴァッド・ギータはインドの方なら殆どの人が読まれています。それはヒンズー教の経典だからです。世界で二番目に読まれている物語りでもあるのですよね。オススメです。(私はヒンズー教徒ではありませんが、、、)
おまけですが、ギータの知恵を学ぶカードもあります。
アサナの定番書は、こちらのBKSアイアンガーさんによるハタヨガの神髄ですね。もうひとつ、ヨガバイブルもかなり見やすいですし、まとまっているのでオススメです。
あるヨギの自叙伝は、ヨギー必読の書と呼ばれているものです。かなり分厚いです。電話帳ぐらいあります。是非チャレンジしてみてください。ちなみに、スティーブ・ジョブズさんが亡くなったときに、ipad2にこちらの「あるヨギの自叙伝」だけが入っていたとか。
そして、スティーブ・ジョブズさんの座右の書でもあったのが「弓と禅」です。禅が大好きだったそうです。「弓と禅」に書いてある「的に当たってから矢を放て」というのは私もとても影響を受けました。「弓と禅」は新訳されて文庫化されましたので読みやすくなったかと思います。
OSHOのヨーガ・スートラ本も面白かったですよ。OSHOはあらゆるジャンルの思想や宗教について書いているので、著作も膨大です。禅に興味のあるかたは、OSHOの究極の旅もオススメです。十牛図にそくして書かれています。
”あの世”については興味ありますでしょうか。あの世の存在を証明することはできませんが、あの世から聞いてきた人の話しは聞けるみたいです。
いわゆる精神世界や宗教で言われているこの世界の捉え方などがわかりやすく書かれています。黄色本(あの世に聞いた、この世の仕組み)では引き寄せの法則にも近いことの解説があり、緑本(もっと、あの世に聞いた、この世の仕組み)では般若心経の超訳もあり、かなり楽しめます。とにかく説明がうまい。これにつきます。
雲黒斎さんは、もともとはデザイン系の会社で働いていたサラリーマンで、いろんな影響からうつ病になり、そこで処方された薬を飲み始めたところ、副作用がキツすぎてキツすぎて、なんでかわからないけど守護霊と交信がとれるようになってしまうという変な流れで始まります。面白いです。
長くなってきましたので、以上にしておきます。
また色々なタイミングでオススメ本も紹介していきます。