手のひらをしっかりと開くと良いですよ。クラスでは、このような当たり前の話もします。クラスの補足に変えて
前回記事で、ヨガクラスで「どのようなことに気をつけて話をしているか」について簡単に書きました。
結論を書きますと、ヨガクラスでは細かい事をくどくどと説明はしないという話でした。伝わりにくかったところもあると思いますので、補足としてさらに書いてみます。
簡単に前回の話から書いてつなげていきます。
原理原則が大事であり、それが基本である
原理原則論で話しをすることが多いと書きました。
具体的に言えば、「太陽礼拝を何分やろう」とか「このアサナをやると○○筋にいい」とかはあまり話さずに、「繰り返し練習する工夫をするにはどうするか」とか「練習をするにあたり、必ず改善をいれるように意識してみると成長する」など、そういう話になるのです。
また、前回、
様々な流派の人が来るから、その人たちの流派で習うアライメントを大切にするということ
聖者はアライメント細かく指示していない(はず!)
と、いうことを書きました。これはかなり納得のいくことだと思うのです。流派によってアライメントが異なりますよね。それぞれの人たちが、修練を積んで編み出したものです。それをあなたも勉強して身につけていると思います。
「私がクラスで教えるアライメントと生徒さんが学んできたアライメントとは異なるから毎回矯正する」というのも手なのですが、それぞれの好みもありますので、そこにはこだわりません。生徒さんがそれぞれの出会いやご縁でヨガをやられてきて、その生徒さんの思いやその人の人生があります。
ですので、アサナのアライメントは伝えるだけで、強制はしておりません。
実際、こちらが指導しても好みやクセがあるのか、いっこうに変えない人も多いです。それで構わないと思っています。アライメントは手段であって目的ではありませんからね。聖者もそこは気にしていなかったと思います。
それよりもナーディのつまりをとって、シャクティを流し、チャクラを活性化すること、そして空につながることに重点を置いていたはずです。(意味のわからない人はスルーしてください。)
身体の状態によってベストなアライメントも変化していく
さらに補足して書いていきます。
まずは、身体の状態によって、その時に必要なアライメントは変化するということです。これもヨガをやっている人なら当たり前のことですね。怪我をしているのに思いっきりはやりません。かばうようにして行うアサナもあると思います。
また、人の骨格も異なりますよね。分かりやすいところだと、肩甲骨とか人それぞれですよ。見た目だけでもかなり異なります。可動領域も個体差がかなりあります。初心者でもいきなり3年や5年ヨガをやっているぐらいに動かせる人もいます。
「それは柔軟性なのでは?」といえばそれもあるのですけど、骨格やセンスにもかなり依存します。多くの人が「お~、このアサナ背中が伸びる~!」、って感じている時に「どこが伸びているの?」みたいな人もいるわけです。
さらに、筋肉量も異なりますよね。無理をすれば痛めますし、キープし続ける体力も異なりますから、深め方が変わります。
これら全てを考慮してのアライメントなので、基本はあれど決まった方法にこだわるのではなく柔軟にやっていくのがいいと思います。
知識として、アライメントを抱えない
人は知識を抱えこんでしまいます。知識を自分と同一化していくのです。
それでは、知識の通りに自分を動かすだけになっていき、『体験』という面が薄れてしまいます。自分を観察するということもなくなっていきます。これでは、せっかくの知識も全く意味が無くなってしまいますし、マイナスの影響も出てくるでしょう。
身体をどこに置くのかという位置のこと、意識を向けるところなど、コツなどの知識はあります。それを覚えることが悪いという訳ではなくて、それを抱え込んでしまうと厄介なことになるという意味です。
知識を持つ事でその「知識」にこだわり、不自由になってしまうこともあります。知識を抱え込むと、それが絶対になり、知識が私になっていきます。
そうするとどうなるでしょう。
知識と違うことを言われれば、私が攻撃されたと感じ、そのアドバイスをくれた人に嫌な気持ちを抱きます。相手は今のあなたの状況を見て、そのままをサポートしてくれているかもしれません。それなのに反発をしてしまうともったいないです。
さらに『知識と私の同一化』が進むと「自分の知識は正しい」と確信しているので、「自分の知識」と異なることを言う相手から離れていきます。(正しくないと思っていたらその知識を抱えません。)新しい知識は入りにくくなっていきます。もしくは、都合の良いことだけを受け取るようになる場合もあります。
これが進んでいくとさらに怖いことが起こります。
その人自身が、その知識で周りの出来ない人を攻撃する道具にもしていくのです。「それは違う、こうやるんだよ」とお節介やアドバイスを超えて、攻撃的になっている人を見たことがあるのではないでしょうか。その人が抱えている知識のようにアサナを出来ていなくても、知識を道具として使ってしまえば、攻撃できてしまいます。
だから、とても気をつけた方がいいのです。同一化というものに。
ヨガをやる目的のひとつは生きる力を高めること
ヨガをやることで生きる力が高まることが大事に思っています。ヨガをやることで生活の質が向上するのもいいと思います。ヨガを通して、身体を整えて、より自由に生きられるようにしたいものです。
それは、ただ「アサナが楽しい」でもいいし「瞑想が気持ちいい」でもいいのです。それだけでも人生は豊かになっていきます。
もちろん本来の目的は、アサナにしても瞑想にしても他にあるでしょう。梵我一如ですとか、ワンネス体験とか、心身脱落とか。
でもいいのです。起こることが起こっているのですから。「ヨガをやることでご飯が美味しく食べれるようになった」というのも立派に生きる力を高めています。このぐらいだと気が楽ですよね。気楽なぐらいがいいのです。
大事なことは、生きていくことです。
これからも、楽しいライフを送っていきましょう。
ヨガクラスでお待ちしています。