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個を超えてパフォーマンスを上げるのがヨガ

 個だけのパフォーマンスを上げるのがヨガではないと思っています。そこにいるみんなのパフォーマンスが上がるように振る舞うのがヨガだと思います。

 ヨガの定義というのは、「心の働きを止滅すること」ですが、その境地へいく為の様々な方法がヨーガ・スートラ(ヨガの教典)に書かれております。ヨガの八支則というのはその代表的なものになっています。

 ここで言っているパフォーマンスというのは、身体が柔軟に動くことや健康的な身体を手に入れることだけでなく、ご飯がおいしく食べられるとか、友達と雑談が楽しくできるとか、危険な場所へは自然と足が向かないなどの状態も含めてパフォーマンスと呼んでいます。




ヨガの八支則を簡単に紹介

 パフォーマンスを上げる、ヨガにはそのための技法や修練方法があります。それがこちら。

  1. ヤマ:禁戒

  2. ニヤマ:勧戒

  3. アーサナ:坐法

  4. プラーナヤーマ:調気

  5. プラティヤハーラ:制感

  6. ダーラナー:集中

  7. ディヤーナ:瞑想

  8. サマーディ:三昧

 詳しくはこちらを参考にお願いします。


ヨガは生きる力と智恵を高めるもの

 八支則はとても大事ですが、今回はもう少し別の視点からヨガを見てみます。

 違う視点から考えると、ヨガというのは「生きる力と智恵を高めること」だと思っています。生きる力と智恵を高めることはこの世の中では必須事項に感じます。ヨガが「生きる力と智恵を高めるためのものである」ということは、ヨガをすることでこの社会を生きやすくするということです。生活の質が向上するともいえます。

 ヨガと言うのは「つなげる」「つながり」という意味のサンスクリット語ですが、そういった「つながる生き方」は生きる力を高めてくれるでしょう。ヨガの実践はそういった総合的なパフォーマンスも高めてくれるものだと思っています。

 また、ヨガをすることで体で考えることができるようになっていきます。何かをするとき、選ぶとき、体からのイエス・ノーをキャッチしやすくなります。体が感じている好き・嫌い・やりたい・やりたくないが認知できるようになるのです。

 体への意識が高まり、それをどんどん表現していくことで自分という枠組みも広がっていきます。広がっていくその意識が生きる力を高めていってくれるのです。
 周りの人の体にも同調することができ、感応力が高まり体を通して社会を見ることができるのです。



「いかに周りのパフォーマンスが上がるか」という問いは、自分のパフォーマンスも上げてくれる

 自分だけのパフォーマンスを上げようとすると、実はたいして上がりません。自分だけ上がろうすること自体が、自分も全体も、パフォーマンスを下げるのです。

 パフォーマンスというのは相対的なもののため、自分のパフォーマンスを上げるのと、他者のパフォーマンスを下げることが同じ効果になってしまうからです。競争がうまくいかない理由もここにあります。

 単純に「切磋琢磨して工夫して励ましあい、お互いを目標に高め合う関係」になればいいのですが、そうならない競争はどうしてもあります。
 スポーツでいえば、自分の持っている技術を相手に教えないぐらいは”可愛い”ものとして、相手が怪我することや精神的に落ち込んでいくことなどを願い、そして現実的に行動や言葉、さらには無意識で邪魔し始めてしまう場合があるのです。

 これではパフォーマンスが上がるわけがありませんね。他者を貶めるのに時間を割いて、自分の練習時間や工夫する時間、身体のセンサーを研ぎ澄ましていく時間を少なくしてしまいます。

 それに「こういう振る舞い(他者を貶める振る舞い)をする自分である」という強固な自己認識という呪いも生みます。人は自分に嘘をつくことができません。どんな言い訳をしてみても、人を貶める行動をとった人は、一生そのラベルを自分に貼った状態で生きていくしかありません。この呪いを解くのは、非常に難しいです。

 なので、結果としてものすごくパフォーマンスを下げるということです。

世間にとっての常識・非常識とは無関係に、人というのは自分自身が許せない行動(自分で納得していない行動)をとると、その事で自分自身を呪ってしまいます。(例えば、友達にウソをつくと「自分はウソをつく人間である」、と定義づけてしまうということが呪いです)

内田樹『呪いの時代』


場を作るのも大事

 いかにパフォーマンスを高めるかにおいて、他者を貶めないことを書きましたが、場を作ることも大事です。場が良い状態であれば、パフォーマンスが上がるのはご存知の通りです。

 場が出来上がるために必要なことは、一人ひとりが成熟した大人として振舞うことです。とても大事なことです。

 変な言い方ですが、成熟した大人というのは、大人として振舞おうとする人のことを指します。成熟した大人とは、周りのために動ける人です。
 それは、「この場の状況は私に責任がある」と思えること。本当に一切の責任を取れ、という意味ではなく、常に当事者意識があり、周りに文句を言う変わりに行動できる人が成熟した大人だと思います。

 ちょっとした会合やお食事会、セミナーなどの懇親会、こういった場がありますよね。参加されたことがある方もいることでしょう。こういった場でうまいこと盛り上がらなかったり、話が弾まなかったりした場合に自分が責任を負えるかが大人の分かれ目です。
 もちろん、うまくいかないこともありますし、ファシリテーターが失敗するときもあります。参加者に変な人が混じることもあります。(相手から見ればこちらが変な人なんですけどね)そういった場で、「さて、どうするか」と自分で出来ることを始めるのが大人です。私も大人になろうと思っております。

 個人的な評価が高まる振る舞いが出来ているかよりも、場全体が楽しくなる振る舞いの方が優先順位が高いです(高くしたいです)。
 個人を超えて、集団のパフォーマンスを最大化することが、実は個のパフォーマンスの最大化に必須なのです。

 場全体のパフォーマンスを上げるには、愉快な場所が必要です。愉快な場所を作っていくのも、私のヨガクラスの目的でもあります。




終わりに:閉ざされた空間から出る

 閉ざされた空間では、その閉ざされた空間内部だけでパフォーマンスを相対的に計測してしまいます。

 簡単な例でいいますと、小学校のクラス内でテストの点数を競うと、そこでの高得点を目指しますよね。それがいいとか悪いという話ではなく、そこのクラス内での優劣で判断するということです。(小学校の点数で人生を決めてしまう人までいます。)
 ですが、外は広いです。隣のクラスもあれば、隣の学校もあります。隣の県もあれば全国でも沢山の小学生がいます。さらに外国もありますよね。そして、小学校の先に中学校と続き、無限の選択肢が用意された人生が待っています。

 ですので、今いる場所の度量衡だけで判断するのではなく、外に出て行くというのも、自らのパフォーマンスを最大化していくためには大いに役立つことに思います。(物理的に出て行かなくても、思考だけ外に出すのもいいです。)

 いつでも、いまここしかありません。出来るのはいまここでの「最善と思える振舞い」だけです。禅でも大切にしている「いまここ」。いまここでの実践こそがパフォーマンスを高めるヒントになっていると思います。




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