やろうとするのではなくて、やれることを知る。クラスの補足に変えて
今日もクラスへ参加してくださった皆さま、ありがとうございました。
「BORN TO YOG」を楽しんで頂けましたでしょうか。
私のクラスでは、やりながら色々とぺちゃくちゃと喋っていますが、そのあたりのことを少し補足いたします。
原理原則のお話
私のヨガクラスの一つの特徴は、細かい事をそんなに説明しないことです。普通のヨガクラスでは、アライメントや呼吸のタイミング、そして目線など様々な指導が入ります。
それはそれで、とても大事なことなのですが、そのあたりの細かい事はあまり伝えません。いえ、伝えるのですが、こだわりません。
理由は様々ありますが大きくは3つほどありますので、それを書いていきます。もちろん今の考えであって、変わりますから参考程度にお願いしますね。
様々な流派の人がクラスに来る
EngawaYogaの「BORN TO YOG」クラスには様々な流派の方がいらっしゃいます。アシュタンガヨガ、ハタヨガ、シヴァナンダヨガ、アヌサラヨガ、新体操(これは流派ではないかな)などなど、いらっしゃいます。なので、その流派の方法を大事にしてもらっています。
もちろん、私も説明はいたします。怪我があってはよくないですしね。でも強制しません。大事な部分を説明はしますが、それでもmustではありません。それぞれの流派のアライメントでいいと思っています。その人の成長の過程を尊重します。
EngawaYogaには他にも、ジムで教えている人、ウルトラマラソンに出ている人、パーソナルトレーナーなど面白い人が沢山来てもらえるので、クラスに参加すること自体の楽しさが増していると思います。こうやって色んな仲間(ヨガではKULAと呼びます)とやれることは、成長への原理原則のひとつですね。有り難いことです。
聖者はアライメントをうるさく言っていない(と思う)
ヨガは本来、師匠から弟子へと伝授されていたものだと思うのです。昔は山の中や洞窟で修行したりしていたでしょう。いまでもヒマラヤの奥地で修行されている人がいます。
その時に、アサナの練習を師匠が見て、「もっと踵を引き上げる!膝伸ばして!胸を引き上げて伸びていこう」なんて、言っていないと思うのです。(ちなみに、わたしはヨガクラスで言っています。)
もっと本質的なことを伝えているはずです。呼吸だったり、意識の向け方であったり、瞑想であったり、そちらを指導していたはずです。もしかしたら、指導そのものが無かったかもしれません。師弟関係ですからね。
具体的にはわかりませんが、そのような鍛錬において、エネルギーを引き上げて、生きる力を高めるにあたり、アライメントなどの細かい事は言っていなかったのだと思います。そもそも師弟関係では「教える」という行為が学校の先生と生徒との関係とは根本的に異なりますからね。
そういった意味ではヨガのインストラクターも本質的には師の役割が求められると思っています。
枝葉末節よりも原理原則が基本
原理原則を大切にしています。安易なノウハウは特に教えておりません(というか、知りません、、、)。一見、ノウハウのようなことを伝えていても、原理原則で話をしています。
原理原則をマスターすることは私もまだまだですが、原理原則はどこにでも応用出来ます。仕事でも生活でも、日々すべてに影響を与えるのが原理原則です。
そして、原理原則をおさえていると、何をするときでも間違いない方向へ進んで行きやすいです。それこそが原理原則です。
ビジネスでもそうですよね。近江商人の三方良しという考え方も一つの原則として守ることによって、商いを成功させています。
どこの世界にも原理原則があり、それをマスターし、それをよりどころにすることで、飛躍できると考えています。
終わりに:原理原則はどこでも通用する
ヨガを通して「生きる力を高める」というのは私のテーマの一つです。
ヨガをやっているばかりに変な人になっては本末転倒です。先生(師匠)やヨガそのものに依存してしまうのもまた違います。そのあたりのことを注意しつつ、ヨガを愉しみ、ハマっております。
ヨガでの成長が、そのまま生きる力の増加に繋がるようにするためには、原理原則論が大事なのです。
ということで、またクラスに遊びに来て下さい。「遊ぶ」ということも、一つの大事な原理原則です。禅では「遊戯三昧」という言葉もあります。ここまでの境地至れれば嬉しいですね。至るポイントのひとつは「愉快にいこう」というものでもあると思っています。
クラスを愉快に受けることは、そのまま周りへの贈与でもあると思います。
それでは、また。