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【エッセイ】弦の音、その空気
普段引きこもっている。
音が無いと余剰な孤独を呼んでしまうので、何か音を流すようにしている。
一か月ほど前はラジオや適当に見繕ったYouTubeの作業用BGMやゲーム音楽で、少し前には映画を流していた。観たことのない映画はつい観てしまうので、何度も観た映画のほうが丁度良いとわかった。
適当に選んだFMラジオでポップな曲とラジオDJの声を流しているうちに、何かボンヤリと、しかし確実に「足りないものがある」と感じるようになっていたが、今日何が足りないか気づいた。
そう、弦の音である。
私はヴィジュアル系とガレージバンド全盛期に音楽に触れた世代で、バンド・サウンドに親しみを覚える。特に弦楽器の音が好きで、ゲーム音楽でもバイオリンやギターが入っている曲を好きになることが多い。
知識は全くないけれど、弦を鳴らして生まれる麗しさやアツく上がってくる焦燥感が最高だ。
とりあえずギャーンとした音が欲しくなり、ぱっと急に思い出した『泣き虫ジョニー』を検索したら全く見つからず落胆した。
代わりにYouTubeのミックスリストを流していたら『シャロン』が流れた。
この2曲も、もうライブで音と声を聴くことは叶わない。バンドの解散やメンバーの逝去とはそういうものだ。ナンバーガールとZAZEN BOYZは違うのだ。
あのメンバーの、あの曲、あの空気が存在する。
では、絵はどうだろうか。
絵の現物を見ることは、ほぼ永劫可能だ。
作家が死んでも鑑賞側さえ生きていれば、モナリザもゲルニカも観ることができる。
ただ、自分が描いていて想うのは「やがて描けなくなるものがある」ということだ。
ある事象やある物を、そのときの自分が描くのはそのときしかできない。
自分の技術と表現力、考え方は変化していくから、10年前と全く同じものを描いても全く違うものが出来上がる。
老化も要素のひとつで、私の親世代だとはっきりした字や色でないと視認できなくなる。生きていればやがて私にもその時は訪れる。おばあちゃんになったら黒い太い線や面だったり、ぱきっとした色使いになるのかもしれない。
それはそれで楽しみだが、
今の自分が描ける「この空気」は今しかないのだ。
たとえ技術や表現力が頭の中でえがいた想像に追いつかないとしても、「その、いま」をえがいたものはきっと、今の自分だから出せるものだ。
弦の音、その空気に焦がれた私は、果てを横目に今日も息を吸い、息を吐いていた。
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