『お酒=悪』という意識を抜ける
重度アルコール依存症の kiyopi です。
近年、『お酒は悪である』という風潮が高まっているのを感じます。
依存症者にとっては、責任転嫁するのにうってつけな風潮でもあると思います。
ただ、『自律(自分を律する)のために、自分でしっかり考えて、自分はそう判断した』というのなら良いのですが、単純な形で浸透し過ぎてしまっているように思います。
今回は、『お酒=悪』という固定観念を抜けてみましょう。
飲酒がもたらす被害とは何でしょうか?
身体への影響?
脳への影響?
内臓への影響?
これ以外にも様々言われますが、それはそれだけの影響が出る程の量や回数や日数を自分が飲んだからではないでしょうか?
『飲むんなら酔わなければ・・・』そんな考えを持ってはいないでしょうか?
飲酒の最大の影響は、酔う事による思考力の低下です。
ですから、酔うまで飲まないのが普通である人や飲まない人にとっては何でもないので悪になることはありません。
酔ったことによる失敗や迷惑を掛けることもありません。
要は、それだけの影響が出るまで自分が飲んだという事です。
お酒は単なる液体ですから、自ずから体に入ってくることはありません。
お酒を体に取り入れているのは誰なんでしょうね?
話を戻して、
酔いは思考力を下げるので、もちろん理性という思考を弱めます。
人が理性を失ったらどうなるでしょうか?
それが、酔うと人が変わる事の正体です。
つまり、普段は理性で蓋をしている感情や欲望が表に出てきます。
「あれは自分じゃない」
「自分はあんな事しない」
と言う人もいるでしょう。
ですが、理性で抑えているだけで本当は内側にいますよね?
酔った勢いで面白がって物を壊す人、自己顕示欲や承認欲求の不満足から破壊衝動を抑えていないですか?
喧嘩腰になる人、普段は理性でその怒りを押し殺しているだけじゃないですか?
道ですれ違う人にイチャモンつける人、普段からそういった被害妄想で人を見ていないですか?
女の人を襲う人、普段から女の人をそういう目で見ていたり、満たされない性欲を抱えていませんか?
愚痴っぽくなる人、泣く人、普段は我慢してるんじゃないですか?
どんなに酔っても、自分が内側に抱えていないものは絶対に行動に出る事はありません。
それをする原因がないために出ようがありませんから。
保身のために否定したい気持ちは分かりますが、認める事が出来ない限りはそこを責められたり、問い詰められるかもしれない不安や恐怖は付きまといます。
次に、鬱っぽさの悪化も思考力の低下によって起こります。
思考力の低下によって、意識がネガティブな感情や記憶にフォーカスされるために起こります。
色々なことを並行して考える事が難しくなるので、フォーカスの向いた事に対して反芻思考が起こって、そこに対する思いや感情が強化されてしまうからです。
それによって、シラフに戻っても余計に辛く苦しい思いや記憶として残ってしまう、という事が起きます。
全ては、酔うまで飲んだ自分が招いている結果です。
依存症になるのも、自分がお酒を掴んで離さないからです。
お酒は人を支配しません。
自分が縋っているだけです。
お酒は脳を支配しません。
酔うまで飲む自分がいるだけです。
厳しいと思うかもしれませんが、これが真理だと僕は思っていますし、僕にとってはそうでした。
今回の内容から、あなたは自分をどう見るでしょうか?
僕の言ってる事を間違っていると思おうと自由です。
ただ、僕としては『お酒は悪、飲酒は悪』から抜け出して、しっかり自分と向き合ってほしいと願います。
その上で、『お酒=悪』という固定観念から抜け出してくれたら嬉しく思います。
今回は以上です。
参考にして頂けたら幸いです。
あなたが回復に向かえますように
ご家族様の傷や苦しみが癒えていきますように
最後まで読んで頂きありがとうございました。