『アルコール依存症に完治はない』何故なのか考えたことはありますか?
重度アルコール依存症の kiyopi です。
「アルコール依存症に完治はない」と言われていますね。
「完治はしないけど回復はする」とも言われていますね。
医者が言っていようが、皆さんはどうしてそう言われているのか考えたことはありますか?
医者が何を言おうが、アルコール依存症の治療法は確立されていません。
現時点での事実です。
3本柱として、通院、服薬の継続、自助グループへの参加が必要だとか、絶対条件の様に言われていますし、「断酒以外に回復はない」なんてことも言われていますね。
治療法が確立されていないのですから、断言されてしまっている時点で2元的白黒発想だと僕は感じてしまいます。
アルコール依存症は心の問題が深く複雑に関与している上に、心の中は目に見えないため、医師という人間では完治したのかどうか判断できない。
アル依になるのも理由・原因は人それぞれ過ぎて、発症から回復までの確実なメカニズムの解明がされていない。
完治の判断基準を作るにも、人それぞれ心の問題が幅広過ぎて作れない。
だから寛解の判断がされる事はあっても完治と言い切る事が医師には出来ない。
これが真相です。
精神疾患全般において、完治はないと言われている理由でもあります。
これを知ったうえで、あなたがどう思おうと自由です。
僕個人としては、本人が「完治した、回復した」と言うのなら『自分でそう思うのなら、それでいいじゃない』と思います。
単なる過信なのか、安心感を得たことによる本当の自信であるのかは別にして。
心の問題が何も解決していなくて、よく言われているがままに避けてばかりいる人、少し質問すれば不満や不安・恐れがどんどん出てくる人は、断酒していたとしてもどこかで苦しむのは明らかです。
3本柱であっても、自分にとっての必要性・重要性と共に、そこに対して持ってしまっている依存心などもあり、お酒とは別の問題を抱えている人も見かけます。
自分で自分を考えない、知ろうとしない。
ただ受け入れているだけの状態。
「通院して医師の顔を見ると安心する」「断酒の決意が蘇る」と言う人がいます。
「それは素晴らしい」とも言われます。
でも、僕は医師への依存心だと感じています。
これが無くなってこそ回復だと思います。
自分の中に不満・不安・恐れはないですか?
飲酒欲求やお酒への執着心以外にも私生活の中で。
薬の服薬も、シアナマイドやノックビンなどはお守りなんて言われています。
正直、僕には理解できません。
お守りに思うほど、自分を信用できない心の問題・理由があるからではないでしょうか?
お酒を飲まないために抗酒剤に依存してしまっていないですか?
抗酒剤によるお酒を飲む恐怖で自分を縛ると言う人もいますが、『どんだけM気質なの?』と思います。
わざわざ恐れを増やしてまで。
レグテクトやセリンクロも体に合わない人、効果のない人もいます。
ならば止めればいい、と思います。
自助グループ、自分の苦しみを吐き出す場としては必要です。
心の苦しみ、やってしまった事への思いや感情の吐き出し。
恥などのプライドを捨てて話せるようになるまでは。
人の話から気付きを得られるようになれば素晴らしいと思います。
ただ、人の苦しみに共感しているのは、僕個人的には違います。
人の苦しみに共感して、自分を正当化したり慰めてしまっている自分はいませんか?
会場によっても、そこの参加者の人間性、精神性は全く違います。
AAはネットミーティングが盛んです。
自分に合った場所が見つかるといいですね。
話は逸れましたが、『アルコール依存症は完治しないのではなく、完治だと断言できないものである』ということです。
自分には自分の目指したい回復の姿があると思います。
そこに辿り着くために必要な事は何で、いらないものは何なのか?
一般に言われている事でも、自分にとってはどうなのか?
自分の答えを導き出してみて下さい。
自分はどうしたら今抱えている不満・不安・恐れを乗り越えられるのか?
避けるのではなく、乗り越えられるのか?
そういったものに惑わされて、苦しまされない自分になれるのか?
胸を張って「自分はもう問題ない」「もうあの頃に戻ることは無い」と言える日を目指していきましょうね。
今回は以上です。
参考にして頂けたら幸いです。
あなたが回復に向かえますように
ご家族様の傷や苦しみが癒えていきますように
最後まで読んで頂きありがとうございました。