心配とは何なのか?

重度アルコール依存症の kiyopi です。

自分への心配、他者への心配、他者からの心配・・・

心配=優しさ・愛情 みたいな認識がありますが、そもそも心配とは何故
起こるのか?

今回は『心配とはいったい何なの?』についてです。


心配。
不安・恐れがあるから心配になります。
その不安・恐れは何でか?というと、信用・信頼していない・出来ないことから生まれます。
何故、信用・信頼していない・出来ないのかというと、信じていない・信じられないから起こります。
何故、信じない・信じられないのか?というと、信じる事に不安・恐れがあるからです。
その恐れ・不安は何か?というと、自分が傷付く事への不安・恐れです。

心配の正体は、『自分が傷付く事への不安・恐れ』です。
自分への心配ならば、自分で対処すればいい。
成功体験も失敗体験も自分の責任です。
しかし、他者からの心配は世の中の認識が認識であるために、『応えないといけない』『受け入れて当然、受け取って当然』みたいな風潮があったり、応えられないと「心配してやったのに」「心配して損した」なんて言われたり、酷い場合には「人の心配を仇で返した」みたいな言われ方もしてしまいますよね。

本来、他者からの心配はその人自身の問題なので、受け取るも受け取らないも自由だし、応える応えないも自由、成功するも失敗するも自由です。
自分が他者へする心配も同じです。

心配を言い換えれば『あなたが○○だと私の不安・恐れが消えないからそれを消してください(しなさい)』という訴えや強制でしかありません。
その理由は『自分が傷付くから』であり、『傷付きたくないから、そうならないように○○して下さい(しなさい)』という訴え・強制です。
要は、甘えであり依存です。

根本が心配するそのひと本人の問題なのだから、振り回される必要はありません。
自分で選択して構わない事です。

信じない・信じられない理由として、「あなたが○○だから」とか、「あの時▢▢だったから」と言う人がいますが、それは単なるその人の不満です。
何故それを不満に思うのか?が不満に対する問題になるので、理由付けに利用している内はその不満は解決しません。
不満は不満として向き合いましょう。

自分が傷付く事への恐れの奥には、自分の本当の望みがあります。
理由もなく望む事。
それは甘えかもしれない。
相手が傷付くのを見たくないことかもしれない。
それでも、それは自分の基本人格なので変えようがありません。
スピリチュアルで言われるインナーチャイルドの声とか魂の声と言われる物なので、自分で否定してしまうと病む原因になります。
だから、そんな思いが根底にあると認めればいいだけです。
ただ、そこまで自分を掘り下げて理解してきたのなら、その心配事にはもう振り回されなくなるので、甘えだろうが何だろうが安心感を持って自然と認められます。
その上で、「じゃあ自分はどうしたい?」に対して出た答えが、その心配事に対しての自分の答えです。
自分も振り回されない、相手を振り回すこともない、そんな答えが出るはずです。


アダルトチルドレンや毒親育ちがとにかく振り回されることの多い『心配』という言葉。
「そんなに心配されるなんて愛されてる。幸せじゃないか」と言われて苦しんできた人もいるでしょう。

今回記事にしてみた心配の正体、対処法。
知ったところで世の中の認識が認識なのだから・・・という声も聞こえてきそうですが、自分が他者に心配な気持ちになった時に思い出してほしいと思います。

自分を苦しめてきた親のようにはならない、心配だと言って自分を振り回した人達のようにはならない、そのための知識として知ってほしくて書いてみました。


今回は以上です。
参考にして頂けたら幸いです。

あなたが回復に向かえますように
ご家族様の傷や苦しみが癒えていきますように

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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