無理に自分を変えようとすると苦しくなるのは?
重度アルコール依存症の kiyopi です。
SNSなどを見ていると色々な情報があります。
今回考えてほしいのは、「○○な人は××する事が大事(してみましょう)」みたいな情報。
例えば、「親に否定や批判ばかりされて育った人は自肯定感が低い傾向にあります。否定や批判ばかりされてきたことで、成功したと思える体験が乏しいからです。今からでも成功体験を積んでいく事が必要です。どんな小さなことでも良いから、自分を褒める事から始めてみましょう」みたいな事。
ホメ療法を薦める発信でよく使われる言い回しです。
確かに、人には成功体験は必要です。
ですが、自分で自分を褒めて嬉しいと思えれば効果が出ますが、自分で褒めても嬉しくなかったり、虚しく感じるのであれば続ければ続ける程、満たされないストレスが溜まります。
結果、余計苦しくなって鬱に陥ってしまうと余計に状態は酷くなる。
自分が本当に望んでいる事と、している事の違いから起こる結果です。
心が病んでしまうと、重い鉄球を鎖でつないだ足輪を付けて、それを引きずって生きているようなものです。
過去の辛い経験、苦しい経験、それによって出来た心の傷、それが重い鉄球。
鎖が過去と今を繋いでいる。
足輪は、その経験によって出来た性格やプライド、感情。
足輪がこすれる事で今も傷付いている、そんなイメージです。
こんな情報もよくありますね。
「どんなに辛く苦しかった経験でも、大きく傷付いた経験であろうと、過去である限りそこに執着してはいけないとか時間の無駄だから今できる事に集中」とか言いますが、苦しい人ほど出来なくて当たり前です。
自分は自分で思っているほど自分を知らないし、理解も出来ていないのだから、傷付いたきっかけの出来事までは説明できても、その奥にある過去で自分の何が傷付いたのかも、何で過去に執着しているのかも、どうして今も傷付いていくのかも、自分で説明できないでしょう。
だからこそ、もがくうちに見つけた情報や対処法にしがみついて、試した結果うまくいかずに落ち込みもします。
自分の意識はどこに向いていますか?
鉄球ですか?鎖ですか?足輪ですか?足輪で出来た傷ですか?それとも未来ですか?
考えている事はどこに向いていますか?
思いはどこに向いていますか?
本音は、過去の経験が苦しい、足輪の傷が痛む、それを何とかしたいのではないですか?
まずは、本当に自分がしたいのは何なのかをはっきりさせましょう。
過去や傷が苦しくてそこを何とかしたいのに、そこに対する対処とは違う事をしてしまうからストレスとなり落ち込むんです。
世の中には色んな情報があるので惑わされてしまったり、踊らされてしまうでしょう。
ポシティブ思考への変換、ホメ療法、幸せ探し、何事にも感謝してみる・・・心とは裏腹であろうと。
本来は自然とできる、感じられることなのに、何で無理にしようとするの?
仮面を被り、偽りの自分を演じる事で心を壊す・・・鬱の大きな原因である事は今では有名なことであるのに、何でそれを自らするの?
どんな対処法も、自分がプラスに思えなければ、今の自分には違う、合ってないという事です。
何を、どこを、問題として見ていくのか?
その違いは、回復に大きく左右します。
ただ一つ。
本当に回復していく人が辿り着くのは、自分との向き合いです。
人任せ(医者、心理士・カウンセラー、自助界の仲間、SNSの情報や関わり、薬)にせず、自分からも率先して自分と向き合っていく人、そういう人が回復していきます。
今回は以上です。
参考にして頂けたら幸いです。
あなたが回復に向かえますように
ご家族様の傷や苦しみが癒えていきますように
最後まで読んで頂きありがとうございました。