ヒグラシの家
暦の上では立秋が過ぎた。
夕方前だと言うのに、蜩、ヒグラシが鳴き始めた。ヒグラシは真夏にはうちの周りでは早朝と夕方に鳴いているが、夕方前に鳴き始めるとは、奴ら秋を察知したのかも。
7月の大磯のグループ展のついでに横浜に、8月に入って急に決まった9月の大磯と東京の二つのグループ展の額装を頼みに額屋さんと二つの個展を見に東京に行って来た。色々気を付けて、でも元気に楽しく。横浜も東京も物凄い暑さだったけれども。
東京に行って帰って蜩の家 清子
横浜から帰っても、東京から帰っても、我が家はヒグラシの家だった。その家にもずっと居続けているとその良さに鈍感になってしまうことがある。街歩きを大いに楽しんで来た後に、我が家の良さにまたしみじみと感じ入ってしまった。
20年前、東京から夫と共に鹿児島の離島に引っ越したら、ヒグラシの居ない島だった。山はあるのに。東京に居てその声を聞く事は稀ではあったが、住んでいる地にその存在が全く無いと知ると、ちょっと残念だった。
数年して、今度は九州本土最南端の鹿児島の半島に引っ越したが、海辺より車を走らせてちょっとした山に入ってみるとある日ヒグラシが鳴いていた。霧の日だった。霧が海から山肌を立ち昇って来る中にその声が湧くように近く遠くに響き、感激した。
そして15年の鹿児島暮らしに別れを告げるべく今の家を見に小山を登って来た時には、それは真冬のことだったが、直感的にここはヒグラシが聞けるのではと思った。引っ越して来て初めての夏の夕刻に鳴き始めた時には、ああやっぱりと嬉しかったものだ。
辺りは雑木林に囲まれてもいて、そんな家でヒグラシの声に包まれて墨を磨る。硯に水を少し入れて、ゆっくりと墨を動かして磨って行く。思い付いて、墨の絵を描くのに墨を磨ることからこの夏に始めたのだ。暑い中、色の無い世界、墨を涼やかに磨るのもいいものだ。ふと現れるその香りもいい。
裏彩色という技法を知った私はまずは真っ白な竹和紙を裏返して、薄墨をたっぷりと含ませた太い筆でゆったりとした線を描いてみる。表に返してみる。まずまずだ。
薄墨よりやや濃いものを竹の筆でシュッと描いてみる。その線はまばらになる。もう少し濃い墨をぽとんと置いてみる。それは丸く広がって行く。もっと濃い細い線も欲しいな、竹ペンがいいかしら、割り箸がいいかしら、それともガラスペン。さらに濃墨の飛沫を、最後にはブラシで。
真っ白な竹和紙の墨の濃淡の世界よりふと我に帰ると、ヒグラシの響く小部屋に私は居るのだった。