「人たらし」について考える
めっちゃこんにちは。
あなたは「人たらし」と言われる人間に出会ったことはあるだろうか。
その人物へ持つ印象は、「ええ奴」だろうか、はたまた「腹黒」だろうか。
イメージしたその人が、後者、腹黒く見えているなら、その人物は「人たらしきれていない」と思う。
もし「たらし切れて」いたら腹は黒くは見えず、炊き立てのコシヒカリのように真っ白に、なんならピカピカつやつや光っているはずである。
腹の中までピカピカ、いわばピカチュウであるはずなのだ。
私は、人たらしをポジティブな意味で捉える派閥だ。
コミュニケーションに重きを置くタイプの人間にとって、極上の賛辞といえる「人たらし」について考える。
皆様においては、みたらし団子でも食べながら読み進めてほしい。
人たらしとは
人たらしとは、他人とうまく付き合い、人を惹きつける能力を指す言葉といえる。
「人たらし」力があるというのは社交力を示すステータスであり、ジャンル問わず成功への鍵になりえるが、時として皮肉としての意味を孕む。
辞書から引用しよう。
驚きである。
パッと見では矛盾しているのではないかと思うほど、肯定と否定が肩を並べているではないか。
一つの単語で賛否両論を完結している稀有な例だ。
自身の自己肯定感の高まる言葉で鼓舞しつつ、皮肉で釘を刺す。1人ディベートマンだ。
”たらす”
「たらす」という言葉には2つの漢字が当てられる。
《誑す》と《蕩す》である。
前者の《誑す》は騙す・偽る、などの意味がほとんどである。
一方の《蕩す》は以下のような見解がある。
同じ「人たらし」でも、『人誑し』と『人蕩し』で大きく印象が変わってくるようである。
”ゆでたまご”と”茹でた孫”ぐらいには。
人蕩しの美学
結論はここである。誑すのではなく、蕩していこう。
農民の立場からの立身出世という切り口で語られる英雄といえば、豊臣秀吉が思い浮かぶだろう。
彼の伝記では、「人蕩し」としての描写が多く登場する。
「蕩す」ことは天下統一できる程に、大きな武器となりえる。
「愛され力」「気配り力」「社交性」「聞く力」「人気」「気前の良さ」など、”人蕩し”は全ての社交性スキルの総合格闘技の極致なのだ。
結び
こんな時代だ。人類、仲良くやっていこう。
人蕩しスキルは最早現代の必修授業と言ってよいだろう。リスキリングしていこう。ユーキャンにはまだ講座はなかったが。
留意事項であるが、くれぐれも蕩す際には相手を利用するような考え方であってはならない。すべては根底に愛があってこそなのである。
縁もたけなわではございますが、このへんでお開きに。
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