山女日記(読み途中)と自己理解。
たくさんのことが頭の中をぐるぐる駆け巡っていて、落ち着かない1週間を過ごした。
夜もなかなか熟睡できていない。時々朝に測っている血圧も、なんだか上昇傾向だし、朝起きても頭はぼ〜っとしているし、身体は正直だなと思う。
昨日の産業カウンセラー養成講座でも、お休みされたクライエント役のかわりに、志願して40分あまりモヤモヤを話したりした。
今日は午前中に叔母に会いにいくつもりだった。でも昨日LINEがきて「悪いけど中止にしてほしい」との連絡があった。その後電話で「なんだかとても具合が悪い」「頭がまわらない」と話していた。
もう残された時間は数えるほどだ。そんな状況もあり、義理の叔父は来てもらいたいと思ってくださったようだが、こればかりは本人の気持ちが最優先だ。
私の当初の意図としては、前回不安を抱えている様子だった叔母が少しの安心を感じられるのであればということだった。でもご本人にとって負担になるのであれば、それは本意ではない。
そして、今1番そばにいて欲しいのは、もっと近しいご家族なのだろう。
もしかしたら叔母自身は「話がうまくできない状態で会っても何もできない、申し訳ない」というような気持ちが強いのかもしれない。
一方で、義理の叔父にとっては、父の最期を間近に経験した私に何か話をしたかったのかもしれない。
いずれにしても、次の連絡を待つしかなかった。
予定がぽっかりと空いたものの、やった方がいいことは山ほどある。
疲労回復という意味では運動でリフレッシュ…というのもよさそうだが、それが可能な段階を知らぬ間に過ぎてしまって、それすらおっくうに感じてしまう。なので、生産性を高めることはとりあえず諦めて、だらだらと虚無の時間を過ごしていた。
図書館で借りていた【山女日記】。
しばらく手付かずで棚に置いてあった。読み始めると他の期限があるものに対処できなくなる気がしたから。
でもそろそろ期限がくるのと、別の予約本が図書館に届いたので、これを読んでから返却と同時に次の本を借りようと思った。
実際は、一昨日から夜寝る前に少しずつ読み始めていた。
それぞれのエピソードの序盤は、登場人物のネガティブな思いが綴られている部分が長く、なんだか息苦しさを感じて一気には読み進められない。
しかしその章の終わりには、山での時間を経て主人公の中に新たな示唆が得られる様子が描かれていて、熱いものを感じたりした。
昨夜、とあるフレーズを読んだときに、何か込み上げてきた。
フレーズ自体は普通なのに、不思議だった。
そのとき本を閉じてしまったし、その後別の考え事をしながら寝てしまったので、一晩明けた今、それがどのページだったのかすら、今は思い出せない。
昨日読んだ部分を改めてめくってみる。いくつか印象的なフレーズが改めてみつかった。
・・・立山縦走のときの思いを思い出す。今ここを楽しむことの大切さ。
まさに私のこと、と思った。
ちょうど昨日のカウンセリング練習で話したことが、これとリンクしている。
「経験がないことを自分でよしとしないから、それを補うためにこっそり勉強していた」「そんな自分がバレるのが怖い・嫌」裏をかえせば、「役にたつ自分でなければダメ(存在できない)」という思いが強すぎる。
もうわかっているのに、まだ事あるごとに頭をもたげてきて、嫌になってくる。
そして、今朝読んだ「金時山」。これはフレーズを抜き取ることは難しいが…
人から認められる、評価される。役に立つ人間だ、すごいと思われる。
雇ってもらうには、雇ってくれる人や、その職場の長からそのように思われないといけない。サービスを提供するには、相手からそのように思われないといけない。
そのために努力し続ける…その思考がいつも自分に圧力をかけた。
それは成長につながることでもあったけど、喜びや楽しさはなく、いつもなんだか苦しかった。
←何を追いかけていたんだろう?
軸が自分の中にないから、そのうち自分では何も判断できなくなって…行動がチグハグになって、ついにメンタル不調に至った。
そこでいったん多くのものを手放し…そして、再スタート中。
私もそうなのだ。うん、ほんとにそうだ。
そして、思い描いている絵がまだはっきりしていないのも同じ。
その状態でいくら大きく見せようとしても…それは今までの繰り返しになるだけだ。
「ダメ人間って思われたくないからって自分から離れていく」ような…
そこに自分でダメ出しをしてしまう。
ふと。
「今日は会えない」という叔母や、行動が模範的であるかどうかを非常に気にしていた母の姿とも重なった。
ダメなところを見られたくない。
それは自尊心とかプライドとか…気高さにもつながることでもあるかもしれない。
そして、それもその人らしさでもある。
ただ、私にとってのそれは、私を幸せにするものかどうか。それは見直していきたい。
ここまで書いても、昨日私の心の琴線に触れたフレーズはまだ思い出せない。それはもう今の私の「思考」の中にはいない。
こういう感覚的なことは、まさに一期一会なのだろう。
【山女日記】は、私にとっては山のイメージを膨らませる本ではなく…
時に私の傷を疼かせて苦しくなり、もう読むのをやめようと思う、でも一筋の光を見せてくれて結局またページを開いてしまう。
山を歩いている時の自分とも重なる。
そんな本のようだ。
期限までに返却できるか、怪しくなった。