招かれざる客!?
はあ〜〜っ。とため息をつきたい気分になった。
昨日の出来事が気になっている。
そして、今日、再び山で虫に追われ、刺された。
昨年刺された時のこと↓
昨日のこと。
非常勤の仕事の一つで、9月の勤務が一部無くなっているらしい?情報が仲介会社から入った。訪問先からの正式な連絡はまだないが、内容からすると、企業に訪問するはずの予定が入っていない。ようやく慣れてきて、現場の方とコミュニケーションを図ってきたつもりだったのに、何が起こったのだろう?私の不手際か!?いや…
あまり頑張りすぎないでください、現場はそこまでやる気ないです、みたいなことを勤務開始時に事務職の方から言われていた。こちらとしても当初からのミスマッチは避けたいので、担当初年度は相手と話をしながら、反応を見ながら進めていこうとしていた。
もちろん「法令で決まっているからやらなきゃダメですよ!」なんて押し付けがましく言ったことはない。
実際に現場の方々と話をしてみると…やる気がないわけではなく、きちんとやるってどういうことかを知らないだけで、良くすること自体を諦めているわけではないのでは?と感じた。なので、自分としては、今年度は情報提供を行いながら次年度に向けてのニーズを把握することだと思って進めていた、つもり。
でも、もしかしたら…
そんな「相手を知りたい」「現場を知りたい」という私の態度そのものが、相手にとっては前のめりに感じて負担だったのかもしれない。企業の方から「来ないでほしい」という意思表示があったのか!?
もう一つの可能性は…同じ派遣元の他の担当者が企業に提供する内容と、私の提供するものの中身があまりにも違う、ということがあるのかもしれない。訪問先の企業からではなく、派遣元でストップをかけたのかもしれない。
実際のところは週明けまでわからない。考えても仕方がない、と頭ではわかっていても…思い当たることが皆無ではないので、気持ちが落ち込んでいった。
【招かれざる客】そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
いくら誠実に事を進めていても。いくら熱意があっても。
求めがないのであれば、それは「余計なこと」になってしまう。。。
一方で、相手に合わせてばかりでは、私というものもなくなってしまうような気がしてくる…
でも、私が一番求めていきたいのは【調和】なのだというようにも感じている。コミュニケーションを通して、それを目指したいのだけれど。
ふと手があくと、色々考え込んで不安定になってしまう。
自然とのつながりを思い出すことで、落ち着きを取り戻したいと思った。
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今日の山歩き。景信山〜小仏城山〜高尾山。
やらなきゃいけないことはあるものの、昨日そんなことがあったので、家にいても何も手につかないだろうと思い、余力を残せる程度の山歩きをしようと思った。
本当は、見ごろを迎えたレンゲショウマを見に御岳山、そして、岩ゴロゴロの練習として大岳山に行きたかったが、まさに昨年の虫刺され(上記)があった山域なのと、アクセスに時間がかかるので断念した。
今日は奥高尾の景信山に登り、高尾山に戻ってくるルートにした。
高尾駅からバスで小仏へ行き、そこから徒歩で登山口へ向かう。
週末なのに、バスは比較的空いていた。まだ暑いからかな…。臨時バスが出るくらい混雑することが多いのに。
景信山登山口に到着するも、ここから登り始める登山者は私だけ。なんだか不安に感じた。登山道自体は何度も歩いているので、道迷いの可能性はゼロなのだが…
景信山までは比較的急な登りになっている。涸沢にチャレンジする前にトレーニングで何度も登った道。
途中でお会いした登山者は数名ほどと少なかった。
そのうち足の周りをぶ〜んと大きめの虫が一匹、旋回しだした。足を止める。去年のことを思い出して、鳥肌が立つ。
いなくなったかな?登りを再開。つい、早足になる。ただでさえ暑い夏の低山。心拍数が上がる。。
道が合流する平坦な場所に出て、少し休憩する。一旦離れたと思った虫がまたやってきたので、そのままじっと止まっている。
向かいの方から、ワンちゃんを連れた登山者が降りてきた。私がワンちゃんを怖がっているように見えたのか「犬は大丈夫ですか?」と聞かれた。険しい顔をしていたのかな。怖がっているのは虫なんだけど。
虫がいなくなったことを確認し(たつもり)、登りを再開した。急な登りがまだまだ続くが、できるだけ早くこのエリアから離れたかった。
しかし…今度は2、3匹やってきて足の周り、胸の周りを旋回しだした…これ、蜂の警戒飛行かもしれない😖と思い、登山道は狭かったが止まるしかないと思った。でももしアブだったら止まっても刺してくるし…迷いながらもそのまま5分は止まっていたと思う。
後続の登山者が来て道を譲ったが、虫は私の周りにまだいる。じっと我慢…
やっといなくなってくれたような気がして登山を再開した。景信山山頂下のトイレあたりまで、ずっと気持ちが落ち着かなかった。
まさに滝汗状態💦で、景信山山頂へ到着。
心を落ち着けようと、しっかりベンチに座って水分補給する。一応整ったかなと感じたので、歩行を再開する。
登山道が以前よりも荒れているように感じた。
登山道の真ん中に止まっているハチ🐝や、空中をホバリングする🐝も見かけ、その都度足を止めてじっとしていると、どこかに飛んでいく。その繰り返し。
トレランの方や、他の登山者は気付かずに突っ切っているように見える。私だけがビクビクしているかもしれない。
そこで終わりかと思いきや、小仏城山の手前でまた大きめの虫に遭遇?直前の羽音には気づかなかったものの、左手首にちくっとした違和感があった。ふとみると…アームカバーと腕時計の間になんか止まってる⁈反射的に手を振ってしまった。。。
ハチには見えなかったが大きめの虫⁈に見えた。
その直後、左肩から肩甲骨のあたりにチクっとする感じがあり、怖々Tシャツを引っ張ると、何かがぶ〜んと大きな羽音を立てて飛んでいった😱
刺された。
汗まみれのメリノウールのTシャツの上から。
その虫とはそこで終わりだった。ハチではなかったように見えたがわからない。アブかもな、と思う。。。
もう城山が目の前だった。とにかく人がたくさんいるところに行こうと思い、城山茶屋で休憩することにした。
本当はもみじ台の細田屋で休憩するつもりだったのだが…
大休憩は取らないことにしているのだが、万が一のことを考えて、30分はそこにいた。何も変化がないことを確認して歩行を再開するも、気持ちは沈んだまま…
一丁平をすぎ、ここからは前回と同じ道を戻っていく。
今日の方が暑さを感じた。冷たいものを摂っていないからかもしれないし、登りの時に変な汗をたくさんかいたからかもしれない…この時点で経口補水液をすでに1L摂っている状態だったが…
また【招かれざる客】という言葉が浮かんだ。
山に、自然に、そして…環境になじんでいない感覚。
以前、森のリトリートに参加した時、スタッフのかたが森になじむということを話してくれた。私にとってのそれは、自然と一体になることで、余分な力みがなくなって、ありのままの自分で居る感覚であったり、安心し癒される感覚であった。それをリトリートで体験した。
その後も山歩きや自然の中に入ることで得たい感覚の一つがそれだと思っている。
そして、森になじむことができれば、虫や、熊も襲ってこない、そんな話もお聞きした。
1人で登山道を歩いている時に、怖さを感じる時とそうでない時がある、と感じている。怖くない時は、なじむことができているのかもしれない。
今朝、登山口から入ることが少し怖いと感じた。
その後、虫に追われた。
虫と闘いたくないのに、心は怖がり、そして闘っていた。
虫を介して、山から受け入れてもらえていないような、そんな気がして悲しくなった。
まさに招かれざる客。
昨日のことと重なった。あたかもメタファーのように。
私自身が、何かを見直していかないといけないような気がした。
もっと「なじむ感覚」を思い出したい。
なじむ、とは…調和にも通じるような気がしている。
目の前の状況を受け入れる、委ねるという感覚。
余計な抵抗をしたり、闘おうとしない。
そんなしなやかさ、そして強さを持ちたい。
そのためには謙虚でいたい。
自分をより強く大きく見せようとしなくていい。
怖さや不安を感じる時…自分のありのままや、現実を受け入れられていないような気がする。状況に抵抗して、ガチガチに固まっている。
調和したいのに、そのための行動はチグハグになっているのかもしれない。
そんな思いが湧いてきた。
そして、昨日のこと。
どんなことであっても、委ねよう。
もしかしたら、知らず知らずのうちに、目の前の現実を受け入れずにどうこうしようとしていたのかもしれない。
そして、下山。できるだけ足裏の感覚を意識したり、鳥の声・蝉の声に耳を傾けて、森を感じるように。
うっかりすると、気もそぞろで歩いて転倒する危険もあったので…
来週向かうのは、神の山。
受け入れていただければ登頂できるし、何かの不具合で登頂できない時は“まだだよ“ってことなんだろうな、と思う。
山と対話する気持ちで。謙虚な気持ちで。歩けることに感謝しながら、自然体で登りたい、と思う。