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年内最後に“着地した“思い

年内最後の記事はやっぱり“大晦日のお礼参りとともに一年の振り返り“かな?
うっすらそんなことを考えていたら…

まさに年内最後の締めくくりにふさわしい⁉︎“気づき“が降ってきた😆

その1:女性らしくあっていい

今日、ケーキを買いに行くことになっていた。
クリスマスケーキはいつも食べきれない(けど、食べる)から、今回は買わないで、食べたいときに普通のケーキを買うってことでもいいよね。そんな私の意見にムスメを付き合わせた格好になったが、お互い仕事やバイトなどで忙しかったからちょうどよかった。

おせち料理も6−7割は購入するけど、ムスメが好きな数の子だけはスーパーじゃなくてデパ地下で高いのを買おうと思っていたので、一緒に買ってこよう。

外出する流れで、近くのユニクロに着なくなった衣類をリサイクルとして持っていくことにした。
服の断捨離の時は、近藤麻理恵さんの“ときめき"で選別してみている。ときめく以前に2年ほど袖を通していないものも含めて、何枚か袋に入れた。

前日、洗ったセータを干すときに“ときめかない“自分に気づいていた。
薄いグレーのラムウールのセーターは顔映りがいいので気に入っていたが、ヘビロテしたせいか結構くたびれた感じになっている。
オフホワイトのクルーネックセーターは、仕事で着られるもの、合わせやすい色という点で買ったもので汎用性は高い。(けど、ときめかない)
でも、これらを処分してしまうと年始に困るのでとっておいて、リサイクルに出した時に店の中を回ってみてからにしようと思った。

さて、何を着ていくか。いつもそれがスッキリ決まらないのがプチストレスだ。
これと思って着ても、鏡に映った自分を見てゲンナリする。
なんかカッコ悪い。もさっとしている。

普段も、アウトドアブランドの服を着ることが増えていて、中途半端にそうでない服を着た時よりもしっくりしているのではと思ってしまうくらいだ。

なのに、今日は、深紅(〜エンジ寄り)のタートルを着ようと思った。上に羽織ったのはノースフェイスのダウンだけれど、それでもちょっとだけ普段と違う感じになったかも。

家を出る時だったか(もはやそのタイミングは忘れたが)…ふと

女性らしくあっていい

という言葉が浮かんだ。

巷にいう“女性性“を否定して生きたつもりではなかった。
でも、実際の行動は無意識のうちにそうなっていたかもしれない。
そもそも女性らしさの定義ですら議論になりそうな昨今だが、ここでは主に容姿のこととしよう。
女性であることを楽しんでいい、というところか。

丹沢山に行った時の自分を写真で見ても、なんか中性的なおばさんがそこにいる、と思った。体型という側面もあるかもしれないけれど。
でも、本当は、もっとカッコよく・素敵に山を歩きたい、という気持ちがどこかにあって、好きなYoutuberさんの着ているものや持ち物が結構気になって調べたり、購入したりしている。
でも、若い方には似合うモノトーンやアースカラーのファッションが同じように自分に似合うかどうかはまた別の問題である。
山で黒が多いと蜂🐝やアブを刺激するということもある。

女性らしくあっていい。

その言葉は、今の私にとってかなり引っかかる言葉であった。
といっても、いきなりキラキラしたものに身を包むという方向性には行かないけれど。
う〜ん、ときめきを思い出す、という感じなのかな?(このギクシャクした感じが我ながらウケる)


くたびれたセーターの買い替えになるものはあるかな?と思って店を回ってみた。
私はいわゆる「イエベ秋」みたいだが、茶色ひとつとっても合うものと合わないものがあると感じている。色のパレットみたいなものをスマホに入れているので、色を確認してから顔に合わせてみる、なんてことをやっている。
結局合う色が全くない、ということもよくある。

これから春になるしな…
できれば、面談業務の時にもやわらかい印象の私でいたいな。

結局、この2色をお持ち帰りした。
鏡の前で“お⁉︎“という心の叫びがあったくらい、意外にも顔映りが良かったので。

ちなみに、今まで購入したことがあるベージュ系・グレー系や、色味が少し違うサーモンピンク、(多分似合う色の系統である)カラシ色なども合わせてみたが、しっくりこなかった。

この2色、手持ちの服に合うんだろうか😅
まあ、それはそれで試行錯誤すればいい。今に満足しているわけではないのだしね。


その2:楽しんでいい

noteで交流させていただいている“猫さん”とのやりとりをきっかけに、自分にとっての山の楽しみについて再考していた。

なんで、あえてハードに追い込むような、身体を痛めるような歩き方を無意識にしてしまうんだろう。
ただ自然や景色や美味しいものを楽しむ、そんな時間を過ごしたいと思うのに。
もしや、筋トレ好きな人みたいに、どこかが少し痛むくらいのストイックさがないと物足りないのか?
いや、それは違う、痛いのは全然楽しくない、、、
心のどこかで、「この程度が歩けないとあの山にはいけない」そんな気持ちがずっと引っかかっているのは確か。
楽しんじゃいけない、浮かれちゃいけない、(→転んで怪我する)そんな気持ちが底の方に常にあるような気もする。


人間にはいろんな感情があるが、
私の今までの半生でおそらくもっとも苦手、というか、感じることが少ない感情が「楽しい」である。
物心ついた時から「楽しく遊んだ」記憶がとても少ない。皆無ではないけれど。

楽しそうな集まりを見ると、とても気になる、自分も楽しみたい、でも…
そんなことを繰り返してきた。

これについては何度も内省をしているので、自分でも気がついている。

大胆すぎるキャリアチェンジをして奮闘中に、業務中に少しは楽しい瞬間があると思うのにそれがない、という悩み相談をしていた。上司や同僚にも「修行僧のよう」「あえて大変な方を選ぶ」そんなことをよく言われていた。もちろん好んでそうしていたわけではなくて、自動反応的にそれを選択してしまっていた。
本当は嫌で、苦しんでいた。
…で、結局それは私の過剰適応で、適応障害みたいな結末を迎えた。

もちろん、「楽しい」にもいろいろなレベルがあって、苦難や大変な状況にあってもなんだか楽しいと感じることは過去には少しはあったし、アスリート的にそれを楽しむんだ!みたいな価値観もどこかにあるのかもしれない。
でもここではそのようなハイレベルの話ではなくて、もっとわかりやすい「楽しさ」。

やっぱり…

楽しむことを自分が自分に許してないんだろうな。
(理由はともかく)

そう思った。同時に、

それも私なんだ、と。

自分から苦行を選びがちな私は、生きるのもなかなか大変。
しょうがないなあ。笑
…でも、そろそろ、それ、やめてもいいよ。
そんな気もしてきた。
バンザイ🙌

今年のハイライトの一つと言っていい、立山縦走中に、大汝山の小屋のご主人に言われた言葉を思い出した。
「(この山行を、今日という日を)楽しんで」

楽しむことがなかなか難しい私でも。つい修験道を歩きたいと思う私でも。
…それでもいい。
一方で、すぐには難しいとしても、純粋に、ただ楽しむことを選んでいいんだ。

一度きりの人生を楽しもう。
いろんな人に何度も言われたその言葉が、ようやく自分ごとに近づいてきたかな。
・・・なんだか、泣き笑いになってきた😂

どんな自分も自分。そして、気づいた時が「全ての始まり」
それは、秋に訪れた高野山奥之院や壇上伽藍で感じたこと。


日々の小さなことを楽しむ、といえば。
通りがかりに見かけたパン屋さん【墨繪(すみのえ)】で…

勿体無いキャンペーン?
前日の売れ残りの詰め合わせ500円をゲット。年末年始のために保存しておこう。

(カットしてしまったが)1番人気のチョコレートパン、3番人気のいちじくパン。
あとは塩をまぶしたアーモンドフランス、ごぼうパン。

昼食は軽めに済ませるつもりで寄ったファミリーマートで、割引だった「鶏肉のトマトクリーム」を購入。
自宅で作った蒸し鶏と小松菜、上記のパンを少し添えて。

そのままよりもちょっと満たされるような気がする

気負わず楽しむこと。
思いっきり楽しむこと。
苦行でも笑っちゃえ。

だって、生きているのだから。
そう、2024年の年始に描いたbeingは"生きる喜び"を感じて生きる、だ。

いきなりは無理でも、自分を見守りながら、楽しむ方へシフトしていこう、ね。


まとめ:心地よい選択、そして、どんな自分もじぶんだってこと。

「楽しい」がなんかよくわからない、という気持ちを抱えてきたわけで、
それなら「心地よい」を選択するのがいいのかな、とふと思った。

痛いなって気づいていながら、それがないものとして進み続けることがたくさんあって、もはやそれに慣れてしまっている。でも、痛くないようにゆっくり歩くほうが心地よいのであれば、変えられるのであれば変えたらいいと思う。

気をつけなければいけないのは、「居心地」という概念。
脳は変化を嫌う、という言葉がある。
今は変化の時代でもあり個人差も大きいだろうけど、私は多分、大きすぎる変化はストレスに感じやすい方だと思う。

楽しそうだけど、そっちに行きたいけど、なぜか緊張してしまう…
そんな時間を長く過ごしたために、楽しそうに見えるけど未知の世界(今よりもっと居心地は良いかもしれないが)へ向かうより、苦しいけど慣れ親しんだ場所の方がまだ良いと勘違いするかもしれない。

居心地、というよりは、
「体感覚としての心地よさ」「安心できる」「心穏やかである」または、「心地良くなりそう」…
そんな感覚を頼りにしていくのもいいかもしれない。
一歩一歩、でもいいから。

年末に降ってきた、
・女性らしくあってもいい
・楽しんでもいい
もし、自分でそれらに許可を与えていなかったのであれば、いよいよその縛りを手放しても良いのだよ、というところに、今年辿り着いたのかな。
なんだか、年末に“着地した感““間に合った感“があるな…

でも、一番大切なのは…いま色々考えちゃうのも、それも自分だし、結局はそれでいいのだ、ってこと。一周回って。


思い立って始めたnoteに、日記のように、その時思うことを色々書いてきました。
山歩きのことを思い切って書ける場ができて、書くことが楽しくなりました。
新しい出会いと交流がありました(これは、2024年の初めにイメージしたものと似ています)。
マイペース・セキララな?長い文章にお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。

新しい1年の締めくくりには、どんな気づきが降ってくるのでしょうか?😆
それも楽しみになってきました。

それでは、皆様良いお年をお迎えくださいませ🎍⛩️