ほんとうのじぶん、って?
知人とランチに行くことになって、お店の予約・手配などを細々としていたとき、ふと「こういうの、久しぶりだな〜」って思った。
数年前までは、かいがいしく下支えして”気が利く”ポジションでいたけれど…
心が疲れたと感じてからは、やりたいときだけでいいか、誰かに任せてもいいかもね、と考えを変えてみて、あえて自分からはそのような立場を選ばないようにしたらどう感じるのか、という試みをしていた。
すると、最初は心がざわついたような気もするが(忘れかけてる?w)、最近は慣れてきたような気もしている(こっちが自然体かもね)。
ふと。
なんか面白いことに気がついた、ような。
人の性格というものはあるけれど、
その時関わる人や場面によって、違うキャラが引き出されてもおかしくないのでは。
なんて。
(表に出ている言動は)相対的なもの、というか。
思春期の時、
とてもサバサバした自分の時もあるし、
言いたいことが言えない、非常に弱々しい自分もいて、
そんな多面性?に対して、
二重人格?
アイデンティティーがない?
どれが本当の自分?
AB型のせい?優柔不断?
…などと悩んでいた。
もちろん、立場によって、特に役職がついたりすると
女優になったつもりで役割を「あえて」演じていることもあった。
でも今回のはそういうこととは違う感覚。
・・・・
自分よりも引っ込み思案な人と一緒に何かをしているときは
自然に自分が決断する立場になっているし、
周りを引っ張りたい人と一緒にいて、
別に自分が大きく違う意見を持っていないときは
その人にありがたくお任せしながら最後に一言、みたいなことも
(基本的にそっちが多いかも)。
もちろん、自分の状態にも左右されるだろうけど。
仕事関連で読んでいた本に
「(職務上は)カメレオンになるべき」という言葉をどこかで見たような気がするんだけど、
あ〜それでもいいんだよね、って思った。
白か黒か。
自分はこんな人。
ほんとうのじぶん。
そういうことは必ずしもはっきりさせなくてよくてグレーでいいんだ、と。
そして、別にそれで自分の軸がブレたわけでもないということ。
自分軸とは、もっと深い?大きな視点でのこと。
(=一見カメレオンに見える行動でも、本質は同じ)
(他人から見たらおんなじ、だったりしてw)
頭ではわかっていたけれど、なんとなく腑に落ちる感じあり。
<まとめ>
周囲との関わりの中に存在する”自分”とは、相対的な側面がある。
別にそれでいいんだ、と今日思ったので書いてみた。
(結局うまく言えてないか🙇♀️💦)
言い換えると、それは全て自分なのだし😆
もちろん、自動反応的に出てしまう側面については
それが癒されることで自然に薄らいでいくものなのだろうし
そうなると、自分の中でのブレブレ感も減るんだろうな。
*カバー写真は東京駅丸の内より。