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第37回社会福祉士国家試験に想うこと
毎日の暮らしにおいて、ほぼ日5年手帳に記す時、
そういや昨年受けたっけと思い出した。
何だか、遠い昔のことのようにも思える。
まずは。
第37回社会福祉士国家試験を受験された方々、お疲れ様でした。
ワタシも昨年受験した日の翌日の日記には、
糸が切れたよう、と表記していた。
結構長らく、レポートだの実習だの、もちろん学習にも
時間を費やしてきたわけで、しかも働きながらでもあったので
上述の表記が、まさにピッタリやったわけで。
他方、受験された方々の書き込み等を見るに、
随分と難しかったとの声も多いようで。
しかも今回からはカリキュラムも新しくなっているので
戸惑いのようなものも含め、色んな声があるようで。
特にXでは荒れたコメントも散見されている。
ワタシ自身、全く問題をみていないのでコメントは控えるが、
ただ、非常に残念なツイートも多くみられた。
曰く、昨年までの合格者は試験を受けなおせとか、
怒りの矛先が、昨年の合格者に向けられているものまで。
これまで頑張ってこられたこともあるのかとは思うが、
それは完全にズレているねと思わざるを得ない。
ワタシは昨年の受験合格組であるが、
いうまでもなくルールに則って受験し、合格した。
出題される問題の難易度など、受験生がどうにかできる筈もなく
何というか、言われる筋合いのないことである。
SNS上での誹謗中傷めいたもの。(あるいはそのもの)
怒りというより呆れが勝り、何とも悲しみに近い気持ちになる。
言論の自由。確かに大事ではある。
ただ一方で、責任は常に求められるのではないか。
責任のない自由など、存在しない筈である。
あと、想像力の欠如というか。
これをしたら相手はどう思うか。(痛み等含めて)
よく聞く“殺すつもりはなかったんです“というコメント。
いや、それをやったら相手は死ぬよ、というね。
まあ、取り締まる法律のようなものが相変わらず無いのも、
大きな問題点ではあるのだけれど。
何だか、後味が悪いね。
先のフジテレビの会見みたいに。
閉塞感、なんかな。
失われた30年間の間もずっと。
経済的な停滞とは切り離せないかもしれないが、
景況感とは違う、この、生きづらい感じ。
これはこれで、何とかならんのかな。
試験の結果とか、出たら出たで、どうなるのか。
注視していたい。