東京ららばい / 中原理恵 - 歌詞考察 -
1.はじめに
今回の歌詞考察動画は、中原理恵さんの「東京ららばい」です。
「東京ららばい」は、中原理恵さんのデビュー・シングルで1978年3月21日に発売されました。発売元は、CBS・ソニー。
中原理恵さんはこの曲で、年末には第20回日本レコード大賞新人賞など数々の新人賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦にも「東京ららばい」で出場しました。彼女の中でも最大のヒット曲です。
…と、本題に入る前に、私の過去の作品で「飛んでイスタンブール/庄野真代」がYouTubeで56万視聴を突破しました!まだまだ上昇中です。この機会にぜひご覧下さい。
それでは、中原理恵さんの「東京ららばい」の歌詞考察を始めていきましょう。よろしくお願いします。
まずはいつも通り、私の作ったイメージビデオをご覧頂き、歌詞の流れと雰囲気を掴んでください。※note内での再生で画質が悪い時は、以下からYouTubeに飛んで頂き、YouTubeアプリで再生すると改善する場合があります(YouTubeのチャンネル登録といいね👍もよろしくお願い致します)
2.中原理恵
中原理恵さんは、元歌手・女優・タレント・司会者と多方面に活躍していました。当時は田辺エージェンシーに所属。
中原理恵さんは北海道函館市出身で、函館市立潮見中学校・遺愛女子高校を卒業。上京前は札幌で喫茶店のウエートレスや高級クラブのホステスを務めていました。当初はファッションデザイナーを志望していましたが、後に「デザイナーでも歌手でも自分の世界をつくることに変わりはない」と考え、歌手の道を選択したそうです。
文化放送主催『歌のフェスティバル』北海道代表として出場し、スタッフの目に留まりデビューのきっかけを得ます。1978年、CBS・ソニーからアルバム『TOUCH ME』でデビュー。1stシングル「東京ららばい」が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を受賞。紅白歌合戦にも出場を果たしました。デビュー当時19歳でしたが、2歳上に年齢を偽っていました。
1981年から1982年にかけて、フジテレビ系『欽ドン!』で「よし子」「わる子」「ふつ子」の一人三役を演じ、コメディエンヌとしても人気を博します。その後、市川崑監督の映画『幸福』や『男はつらいよ』シリーズのマドンナ役など、女優としても活躍。
1983年には映画『スーパーマン』の吹き替え(ロイス・レイン役)を担当。1986年から『ミュージックステーション』(テレビ朝日)では、関口宏、その後タモリとともに司会を務めたが、1987年末に降板しました。
芸名は高校生時代に自身で考案。本名が6文字で長いため、4文字で明るく軽い響きの名前を望み、姓名判断も自ら調べて決定しました。
1997年にはfaceというユニットで一時的に歌手活動を再開。1999年の映画『鉄道員』出演を最後に、目立った活動は行っていません。歌手、コメディエンヌ、女優、声優とマルチに活躍した実力派タレントとして知られています。
3.東京ららばい
「東京ららばい」は、中原理恵さんののデビュー・シングルで1978年3月21日に発売されました。発売元は、CBS・ソニー。
デビュー作ではありますが、レコード・デビューはシングルより先にアルバム『TOUCH ME』(1978年2月25日発売)で果たしていた為、歌手デビュー作ではありません。
本レコードA面曲にあたる「東京ららばい」は2ndアルバム『KILLING ME』(1978年12月5日発売)に収録が持ち越されましたが、B面の「TOUCH ME」は1stアルバムの表題曲として収録されています。
そして、同年の『第29回NHK紅白歌合戦』で紅白初出場を果たしました。
歌詞に東京湾(歌中では "とうきょうベイ" と読む)、山手通り、タワーなど実在の建物・エリアが登場する、東京のご当地ソングのひとつです。
作家の泉麻人は著書『僕の昭和歌謡曲史』(2003年、講談社文庫刊)において、「"トレンド・シティ" としての東京の確立を、実感した曲」という旨を述べています。
Wikipediaから記録を見てみましょう。
ゴールドディスク
・第20回日本レコード大賞・新人賞
・第20回日本レコード大賞・作曲賞
・第11回日本有線大賞・新人賞
・第11回全日本有線放送大賞・優秀新人賞
チャート最高順位
・週間9位(オリコン)
・1978年度年間38位(オリコン)
・14位(ザ・ベストテン)
4.歌詞考察
まずは歌詞全てをお読み下さい。
この歌詞は深い人間ドラマを描いた作品で、一人の女性の孤独と都会での生活を詩的に表現しています。歌詞の全てを掘り下げて分析していきましょう。
>午前三時の東京湾は
深夜の時間帯を示すことで、これから描かれる情景が非日常的なものであることを暗示しています。
>港の店のライトで揺れる
水面に映る光の描写。物理的な揺らめきは、これから描かれる主人公の不安定な心情を象徴的に表現しています。
>誘うあなたは奥のカウンター
バーの奥のカウンター席という具体的な場所の設定。「誘う」という言葉には、何らかの危うさや誘惑のニュアンスが込められています。
>まるで人生飲み干すように
アルコールを飲む行為を「人生を飲み干す」という比喩で表現することで、その行為の底にある深い虚無感や諦めを表現しています。
>苦い瞳をしてブランディーあけた
「苦い瞳」という表現が印象的です。ブランディーの苦さと、その人物の人生経験の苦さが重ねられています。
>名前は? そう、仇名ならあるわ
本名ではなく仇名しか持たないという設定から、この人物が表の世界から距離を置いている、あるいは逃れようとしていることが分かります。
>生まれは? もう、とうに忘れたの
過去との断絶を示唆する重要な一行。自分のルーツさえ忘れた(あるいは忘れようとしている)ことから、深い喪失感や自己否定が読み取れます。何が彼女にあったんでしょう?
>ねんねんころり寝ころんで眠りましょうか
伝統的な子守歌の一節を引用することで、慰めと皮肉の両方の意味を持たせています。
>東京ララバイ
都会の子守歌という矛盾した概念を提示し、この歌全体のテーマを象徴的に表現しています。
>地下があるビルがある星に手が届くけど
都市の物質的な豊かさや利便性を表現していますが、「星に手が届く」という表現には、人工的な高さへの皮肉も込められています。
>東京ララバイふれ合う愛がない
物質的繁栄と精神的貧困の対比が端的に表現されています。
>だから朝までないものねだりの子守歌
叶わない願いを持ち続けることの虚しさと、それでも願わずにはいられない人間の性を表現しています。
>午前六時の山の手通り
場面が変わり、夜が明けていく時間帯を示します。
>シャワーの水で涙を洗う
物理的な清浄行為と感情の浄化が重ねられた表現です。夜の自分から、素(ありのまま)の自分に戻る瞬間です。
>鏡の私二重映しに
自己の二重性、表と裏の人格の存在を暗示しています。
>レースの服の少女が映る
過去の純粋だった自分の姿が映り込むという設定。現在の自分との対比を示しています。
>愛をうばった二年が映る
具体的な時間の経過と、その間に失われた何かを示唆しています。
「愛をうばった二年が映る」という歌詞は、前後の文脈と合わせて非常に意味深い一節です。
歌詞の一連の流れから、以下のような解釈が考えられます。
(1)過去の喪失の暗示
・鏡に映る「レースの服の少女」は、おそらく2年前の純粋だった自分の姿
・その頃に何か決定的な出来事があり、それによって「愛」を失ったことを示唆
・「うばった」という表現は、暴力的な喪失や、意図せぬ形での喪失を暗示
(2)具体的な可能性
・深刻な失恋経験
・裏切られた経験
・家族との別離
・職業上の選択による純粋さの喪失
特に注目すべきは、この描写が朝6時に浴室の鏡を見ている場面で語られることです。
この時間帯と場所の設定は、素の自分と向き合う瞬間を表現しています。夜の仮面を洗い落とし、素顔になる時に、過去の自分との対比が鮮明になる。
そこで見えてくるのは、現在の自分「名前は? そう、仇名ならあるわ 生まれは? もう、とうに忘れたの」、そして、過去の自分「レースの服の少女」。
この対比の間に横たわるのが「愛をうばった二年」という時間です。この「二年」という具体的な時間の提示は、この喪失が、
・偶然ではなく
・一時的なものでもなく
・明確な転換点があった
ことを示唆しています。
つまり「愛をうばった二年が映る」という一行は、この作品の中心的なテーマである「都会での孤独」や「本当の愛の不在」の原点となる出来事を示唆する重要な歌詞だと解釈できます。
主人公がなぜ現在のような生き方をしているのか、その理由を暗示する鍵となる部分とも言えるでしょう。
>愛した? そう、数知れないわね
恋愛遍歴を示唆する一方で、本当の愛の不在も暗示しています。
>別れた? もう、慣れっこみたいよ
感情の麻痺を示唆する重要な一行です。傷つかないように自分を守る術を身につけたことを表現しています。
>ねんねんころり寝ころんで眠りましょうか
>東京ララバイ
>夢がない明日がない人生はもどれない
>東京ララバイあなたもついてない
>だからお互いないものねだりの子守歌
このサビの部分では、希望の喪失と共に、同じように運命に翻弄される者同士の共感が描かれています。
>孤独さそう、みんな同じよ
都会の中での普遍的な孤独を表現しています。
>送るよいい、車を拾うわ
別れの場面。しかし、この何気ない会話の中にも寂しさが滲みます。
>ねんねんころり寝ころんで眠りましょうか
>東京ララバイ
>部屋がある窓があるタワーも見えるけど
>東京ララバイ倖せが見えない
>だから死ぬまでないものねだりの子守歌
最後のサビでは、物質的な充足(部屋、窓、タワー)と精神的な欠乏(見えない幸せ)という対比がより鮮明に描かれ、「死ぬまで」という言葉で、この状況が永続的なものであることを示唆して締めくくられています。
この作品は、現代の都市生活における孤独、愛の希求、そして本当の幸せの探求という普遍的なテーマを、具体的な時間や場所の設定、象徴的な表現を通じて描き出した秀作です。
特に、「子守歌」というモチーフを都市生活の文脈に置くことで生まれる違和感が、作品全体のメッセージをより強調する効果を生んでいます。
このララバイと言う歌詞の表現ですが、この曲以降80年代前半くらいまでの短い期間、少し流行ったフレーズのようです。今ではあまり使われませんね。
結局のところ、この歌は一夜の出会いと別れを描いた物語として読むのが自然だと考えられます。ただし、これは解釈の一つであり、歌詞は意図的に曖昧さを残していることにも注目すべきでしょう。
作品としては、むしろ2人が長期的な関係に発展しなかったからこそ、都市における人々の孤独や、本当の愛を見つけることの難しさというテーマがより鮮明に浮かび上がっているとも言えます。
この作品で大事な箇所は、この夜の出来事よりも、愛を失った2年間(「愛をうばった二年が映る」)に絞られているかと思いました。これがあっての都会での孤独感がより際立っているのでしょう。
皆さんは孤独ですか?
5.今回の映像のAI使用箇所
今回はAIを使ったのは、東京湾(ベイ)の近くにあるBARの外観だけです。じつはこの絵も東京にあるお店らしからぬ見た目なので、あまり使いたくはなかったんですが、何枚かAIに描かせた中ではマシな方だったので採用しました。
6.noteお勧め
最後に本文とは関係ないですが私の心友「みさみさ(medibeauty)」をご紹介します。ここnoteでも定期的に記事を投稿しているのでぜひ読んでみてください。
medibeautyとは、代表(みさみさ)自身が従事している医療業界の分野に、メイクやファッションを取り入れる事で患者様の心のケアを目的として、そこから得られる効果から、生きがいと癒し、そして笑顔を引き出そうと言う試みです。
それにより、症状の緩和や病状の進行を遅らせたりする事を目的としています。
▼medibeauty公式WEBサイト
それを「医療と美容の架け橋」と称して、それを先導して行く企業“medibeauty”を立ち上げるべく日夜努力しています。分かりにくいテーマですが、医療ではカバー出来ない、人間本来の生きる力を引き出す美容的アプローチです。
これは医療関係にとどまらず、介護にも同じ事が行え、認知症予防、進行の抑制、生きがい、に繋がる事になります。
誰もがいずれ通る事になる病気や老化。誰しもが健康で生きる権利があります。少しでもそう言った方々にお手伝い出来るのが“medibeauty”です。
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