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「体罰・すべての被害者たちへ捧ぐ」 第1話・怪談長編小説(note創作大賞2024・ミステリー小説部門応募作品) CW


あらすじ

これは私(Kitsune-Kaidan 狐怪談)の身に起こった実体験を小説化した怪談ミステリー推理小説である。

元担任であるコダマが変死体となって発見されたのをきっかけに、物語は過去へとさかのぼる。当時の私は、教師たちから体罰を受け地獄のような高校生活を送っていた。そんな中、幽霊の女子生徒ヨウコと出会う。ヨウコが残した日記を手がかりに彼女の自死の謎を解こうとすればするほど、教師たちのあるまじき行為が明るみになる。

体罰、それは心を永遠に蝕むもの。深く傷ついた魂は癒しを求め、薄暗く長い廊下を果てしなく彷徨う。心に負った悲しみの傷を慈しみながら生きていかねばならない、すべての被害者に捧げる物語である。

主な登場人物

主人公:私 (Kitsune-Kaidan)
同級生で部活仲間:菜々子
親友:紀香
彼氏:信玄

若手刑事:岡島
若手刑事の父:岡島
バスケ部員:マキ
バスケ部の先輩:大堀

担任:コダマ
女子バスケ部顧問:ホソカワ

幽霊女子高生:ヨウコ先輩
ヨウコの彼氏:バナ先輩
ヨウコの幼なじみ

プロローグ・コダマの死


コダマが死んだ。
 
身体の震えが止まらない。春先の肌寒さで震えているわけでもなければ、訃報ふほうのショックで震えているわけでもない。心の中に秘めた怒りが静かに震えているのだ。私はその怒りを、真っ白な布でおくるみのようにぐるぐる巻きにして、頑丈な木製のひつぎに収めた。そして、その上から鎖を巻きつけ、重い南京錠を何個もかけ、心の奥底にそっと埋葬していた。その存在を誰にも知らせず、ずっと暗い心の隅に適当に埋めたままだった。その棺が開けば、あの忌まわしい記憶が瞬時に甦ることを私は知っている。だからこそ、それを開けることなく、かといって手放しもせず、適当に埋めたままなのだ。
 
リビングからニュースが聞こえてきた。普段滅多にテレビを見ない私だが、今朝は例外だ。さっきまで明るい声で「今日の花は黄色いカーネーション。花言葉は軽蔑・拒絶です」と言っていたニュースキャスターが、突然深刻そうな顔になった。今回に限っては被害者であるコダマの状況を繰り返し伝え始めた。
 
「尊敬される立場の教師にこのようなことが起こるなんて、何があっても許されないことです」と、何も知らないコメンテーターが自信満々の顔をして、カメラ目線で語っている。
 
(尊敬される立場ね…)
 
私は思わず心の中でそう呟いていた。コメンテーターの無責任な言葉が、ひつぎの南京錠を私に断りなくひとつ壊した。
 
その後も、コダマが変死体で見つかったことが四六時中報道されている。専門家、元警察官、ジャーナリストがあらゆる見解を語っていた。ネットは好き勝手な憶測であふれ返っていた。何も知らない人たちが専門家という立場を利用し、持ち主の私には何の許可も取らずに南京錠を次々と壊していく。とうとう最後のひとつしか残っていない。
 
窓の外にふと目をやると、祖父と近所の人たちが野菜の手入れをしているのが見えた。美味しそうなツヤツヤの赤いトマトが光っている。祖父の育てる野菜は、太陽の味がする。私は大きな深呼吸をした。いや、ため息かもしれない。宙を見つめてしばらく考えた後、最後の南京錠はやはり自分で開けることにした。
 
(鍵、どこだっけ)
 
心の奥底にできた涙の水たまりの中に投げ捨てておいた鍵。私は面倒くさそうにそれを拾った。陽が当たらないほの暗い場所にあるその水たまりは、決して乾くことはない。涙に浸かってびついた鍵で、うまく開けられるかどうかはわからない。いよいよ自分の怒りと向き合う時が来たようだ。
 
ひつぎの蓋を恐る恐る開けると、煙の妖怪のようなそれがモクモクと出てきた。まさに、あの時封じ込めた負のエネルギーが解き放たれた瞬間だった。般若の形相で激怒するコダマを筆頭に、あらゆる記憶が頭の中に鮮明に浮かんできた。それと同時に、なぜか口の中が苦い味でいっぱいになった。不快以外の何者でもなかった。
 
(尊敬される立場の教師なんて、どこにも見当たらないけど)
 
私は口に出すのもはばかれるくらいの嫌悪感を抱き、心の中でブツブツと文句を言った。ふと、ニュースに目線を戻すと、報道陣も深刻そうな顔で現場の様子を伝えていた。
 
中心街から西に向かって車で二十分ほど走ると、自然に囲まれた閑静な高級住宅街に出る。その住宅街の一角には、結婚式の予約がなかなか取れない人気のチャペルがある。中庭では、家族や友人たちとガーデンパーティーを楽しむことができる。その中心には、十字架をモチーフにした本物そっくりのプラスチック製の白樺の木がたっている。
 
コダマはそのフェイクの十字架にくくりつけられ、首がうなだれた状態で発見されたそうだ。口の中には、血文字らしき赤色で『無何有郷』と書かれた紙がねじ込まれていたらしい。
 
むかゆうきょう…。一体どういう思惑があるのでしょうか」
 
現場の報道陣が口々に叫んでいる。真剣な顔をした彼らだが、心なしか嬉しそうにも見えた。現在、公式に報道されている情報は、ここまでしかなかった。
 
テレビの画面に映し出された『無何有郷』というテロップの文字を見て、私はすぐにピンときた。おそらくユートピアのことだろう。コダマの口癖だった。奴はことあるごとに自分の理想郷・ユートピアについて語っていた。コダマを知る同級生たちにも、割と簡単に解ける謎だと思う。私たちはコダマの自己流のユートピアの概念に散々苦しめられた。
 
私は大きく深呼吸をした後、頭の中でモーツァルトのレクイエム・ラクリモーサを大音量でかけた。何度も何度も気がすむまでリピートした。オーケストラの凛々りりしい指揮者のように、自然と自分の両手が動いていた。
 
まさか、あの日記の続きを書く日が訪れるなんて、当時の私にはまるで予測できなかった。般若と化したコダマがこの世から消えるなど、誰が想像できただろう。あの頃の私たちは、縦横無尽じゅうおうむじんに振る舞うコダマがどんなに理不尽であろうと、ただ黙って耐え抜く他なかったのだ。コダマの支配から解き放たれ、過去の記憶を心の中に埋葬した後も尚、不意に過去の記憶が急激に、かつ鮮明に思い出される日々が何年も続いていた。
 
冷や汗をかきながら、なんとか平静を保とうと、必死に自分の部屋にある物に注目した。何度も店に通って選んだお気に入りのベッド。雑誌で一目惚れしたヨーロッパ製の本棚。父が日曜大工で手作りした紺色の机。ところが、自分のお気に入りの部屋なのに冷たい感じがした。なぜか他人行儀な雰囲気が漂う。私は薄緑色のロールスクリーンを何度も上げ下げした。外では祖父が相変わらず野菜の手入れをしている。
 
私は黄色い椅子を手前にひいて、ドスンと脱力するように座った。いつの日からか、フラフラする感覚がずっと体に残って取れない。自分が自分でないような、不可思議な感覚がずっとつきまとっているのだった。
 
左後ろにボーッと立つ、ヨウコ先輩の気配を私は感じていた。久しぶりの登場だ。ヨウコ先輩は決まって私の左後ろに現れる。私は振り返り、彼女の目を見て頷いた。先輩はしばらく遠い目をしていたが、私に目線を落として頷くと、いつものようにスッと消えた。
 
(先輩は簡単に移動できていいな)

ヨウコ先輩が頷いたのは、おそらく「例の神社で待っている」というメッセージだろう。先輩が思っていることは、いつの間にか直感でわかるようになっていた。


イジメ中学


ちょうど今と同じようにすっかり雪が解け、ようやく春らしくなり、梅の花の香りがする時期だった。私は真新しい制服を着て高校の門の前に立っていた。中学校で不良に目をつけられ、毎日のようにイジメにあっていた私は、不良のいない学校に行きたくて必死に勉強した。
 
(また靴がない)
 
ピアノの発表会用に父が買ってくれた、お気に入りの茶色の革靴がまた盗まれた。あの頃まだ元気だった父が、張り切って私のために選んでくれたストラップシューズだった。大抵ゴミ箱の中や、校舎裏の木材置き場に捨てられていることが多い。その日もいずれかから見つかるだろうと、気軽に考えていた。
 
(最悪)
 
いくら探しても、とうとう靴は出てこなかった。その日は仕方なく上靴で帰宅した。道路開発が進む前の、まだ穏やかな自然が残っていた地元の帰り道を、白い上靴で歩いた。上靴で帰宅している生徒は明らかにいじめにあっている証拠だが、誰も助けてはくれない。みんな自分が次のターゲットにならないよう、だんまりを決め込んでいた。靴を盗まれるくらいはまだマシだった。
 
「だれか、私の机と椅子いす知らない?」と、私は大きな独り言を言った。
 
中休みのトイレ休憩から戻ってくると、机と椅子一式がないことが頻繁ひんぱんにあった。たとえ誰が運び出したのかを知っていても、とばっちりをくらうのが怖いため、知らないという返事しか返ってこないことは重々承知している。期待をして聞いているのではなく、単なるアピールで聞いているだけだった。たいていは水飲み場かトイレに投げ込まれている。自分で探し出し、教室まで運んで戻した。これで済む日はラッキーだった。最悪なのは、運び出された机と椅子が壊されている場合だった。器物破損で教師からこっ酷く叱られるのだ。言い訳をしたところで、ほとんどの教師は不良が怖いので味方になってはくれなかった。
 
「こら!チャイムが鳴ったのに何してるんだ」
 
イジメで運び出された椅子いすと机を教室に運びなおしていることを絶対にわかっていながら、怒鳴ってくる数学教師。口答えしたりにらみ返したりすると厄介なことになるので、ひたすら教室に運ぶのみである。この中学校では、不良と教師の間には暗黙の了解があった。お互いが手を取り合って『事なかれ主義』のイタチごっこを繰り返すのだ。
 
不良ではない一般の生徒たちは、とことんしらけていた。毎日繰り返される自習。教師は不良を追いかけ回すため、いちいち授業を自習にした。ニヤニヤした教師が教室から飛び出していくのを見届けると、優等生組はカバンや机の中に隠し持っている塾のワークをサッと出す。私は塾に通っていなかったので、窓の外を眺めて物思いにふけるか、友達とくだらない悪戯いたずらの計画をたてた。
 
不良が自転車に乗って、楽しそうに窓ガラスを割りながら廊下を通り過ぎていくのを横目に、一般の生徒たちは無表情で席に座っている。『自習』と書かれた文字を見て喜ぶ学生たちが出演する、学園ドラマをよくみかける。あの生徒たちは毎日、しかも一日に何限もその光景が繰り返されるとしても、相変わらず喜ぶ演技ができるのだろうか。現実では、ヒーロー役の教師も存在しない。単に自分の愛車を燃やされたくないので、不良にこびを売っているだけだ。厳しく叱られるのは、むしろおとなしく毎日自習をしている一般の生徒側だった。
 
「絶対、不良のいない高校に行こうね」
 
校庭に埋められた教科書をふたりで掘り返していると、友達が私にそう言った。彼女は不良から告白され、断った腹いせで美術の教科書を校庭に埋められたのだ。それだけではおさまらないのか、冬には石が詰められた雪玉を頭にぶつけられた。
 
「いったぁ…」
 
私たちがそう言って頭を押さえながら振り返ると、不良の男子数人が雪玉に石をこめてこちらに投げてくるのが見えた。
 
「キモい」
 
友達と二人でそう呟くと、不良たちが中指を立ててきた。彼らの趣味は、給食時間前に全校の給食を食べ尽くし、荒らすことだった。特に、みんなが大好きなカレーライスやハンバーグなどの人気のメニューは、昼前にはほとんど空になっていた。彼らが罪に問われることはなく、代わりに給食室の前に鉄格子が設置された。私はその鉄格子の前を通るたびに、自分たちが鉄格子の内側に入っているような感覚に襲われた。
 
今度は、不良女子グループから水飲み場に呼び出されていた。
 
「お前ら、なまらむかつく」
 
ちょっと前まで友達だった女子がそう言い捨てると、鋭い目つきでこちらをにらんでいた。彼女は赤いナイロン製のリボンをポニーテールに結びつけ、赤い靴下をはいて不良の仲間入りをしたらしい。大人しかった彼女は、つい最近まで不良の陰口を言っていたのだが、実は内心憧れていたのだろう。
 
「トイレで髪、洗ってやる」と、女子の番長が言った。
 
便器に頭を突っ込んで、水を流す刑に処されたという意味である。私たちを刑に処する理由を、ダラダラととりとめなく述べている。ときどき、下っぱが私たちの顔の横の壁を飛び蹴りして威嚇いかくする。
 
「おい、お前らやめとけ」
 
その日は、なぜか男子の番長が助けてくれた。どうやら、少し前に私たちが彼の宿題を手伝ったかららしい。彼は、最近勉強に目覚めて高校進学を目指していた。おかげで真冬の寒いトイレで髪を洗われずにすんだ。しかし、その番長を好きな不良女子がいたらしく、余計にうらまれた。
 
もう一度言うが、教師は不良と助け合いの精神を保ちたいので、不良のゴマすりはすれども、私たちのような一般の生徒を絶対に助けてはくれない。国語教師がこちらをチラッと見て焦った顔をしたかと思うと、早歩きで素通りしていったのがはっきりと見えた。卒業まで耐えるしかないのだ。おかげで一般の生徒たちは、三年間かけてひねくれた心を育んだ。
 
「えー。じゃあ、おばあちゃんとおじいちゃんと暮らすからいいよ」私は本気でそう言った。
 
父の転勤が決まった。母が私に東京行きを提案している。弟は東京でサッカーをする話に乗り気のようだった。私は必死で勉強して合格した高校に入学せずに東京へ行くことに、ものすごく抵抗感があった。
 
(東京はイジメが多そうだし…)
 
イジメに敏感になっていた私は、東京に行けばもっと本格的な不良にイジメられると思い込んでいた。世の中はすでに不良ブームが下火になっていることを、当時の私は理解できていなかった。結局、父が単身赴任をすることに決定した。その後、私は父をひとりで東京に行かせたことを後悔し、大きな罪悪感に包まれた。
 
赤いリボンをしている生徒もいなければ、自転車で校舎を走り回っている生徒もいないことにホッと胸を撫で下ろした。こうして、私は高校の校舎へと足を一歩踏み入れた。『もっと過酷な日々が待っているとは知らずに…』と付け加えておく。


ユートピア


「僕のクラスには、やたらとできそこないがいます」
 
そう言ってニヤニヤしている男は、180センチをゆうに超える大きな体を落ち着きなく前後左右に揺らしながら教壇上を歩き回る。教壇からこちらを見下ろす姿は、実際よりはるかに大きく見えた。髪の毛はベタベタと油ぎっていて、手垢がびっしりついた黒縁のメガネが顔に食い込んでいる。シワシワの白いシャツの袖を適当にまくりあげ、くすんだベージュのしわくちゃのパンツをはいている。唾を飛ばしながら訳のわからない話を永遠に語り続ける。これがコダマ、高校の担任だ。
 
「校長はなんで僕にばっかりできそこないを押しつけるんだか。参っちゃうよ、まったく」
 
ずっと愚痴ぐちを言っている。つまり、入試の成績が良くない生徒たちの担任になることが気に食わないという話をしているのだ。入試のスコアが書かれたファイルを振りかざしながら、匿名を装いつつ点数を読み上げていた。個人情報を読み上げ生徒をからかう担任のおかしな行動が理解できず、私は戸惑っていた。これまでの学生生活で身につけた『心にモザイクをかける』技法装置が、この時すでに私の中で作動していた。
 
『心にモザイクをかける』技法とは、道徳・モラル・ルールに反する場面に遭遇そうぐうした際、自分の心に嘘をつき、知らないふりをして自己防衛をする技のことを指す。不平等な環境やイジメの中をい潜って生き延びているうちに、この技法が自然と養われ、自分の中に根づいてしまったのだ。しかし、この技法を度々作動しすぎると、真の自分を見失う危険性があるため、過度な使用はお勧めしない。
 
(なんだか、やばそうだな)
 
私はそう感じたにも関わらず、心のモザイクが既に作動しているので、黙って席に座っていた。ただ、周りの同級生の様子が気になり、首を動かさずに目だけをキョロキョロして様子を探った。みんな見事に無表情だった。入学初日で緊張しているのとは違う、不気味な無の表情だった。愚痴ぐちだらけの長いホームルームの後、入学式のために体育館へと移動になった。
 
「あれ、絶対俺のことだよ」
 
ひょうきんそうな男子が、出来の悪い生徒とは自分のことだろうと予想をしているのが後から聞こえてきた。私も自分だったらどうしようと思っていたので、同じことを思っていた人がいたことにホッとした。後ろを振り返ると、目が合った。彼は少し気まずそうな顔をして、声を潜めて話を続けた。
 
ホームルームが異様に長かったからか、すでに体育館には全校生徒が集まっていた。複数の区域から生徒が通うこの高校は、中学校に比べると圧倒的に生徒数が多かった。中学校の頃に見かけたような、流行遅れの変なパーマをかけた生徒、教師に向かってヤジを飛ばす生徒、体育館の屋根の上で騒ぐ生徒、グラウンドをバイクで走り回る生徒、タバコの吸い殻を投げ捨てる生徒、武器を持って喧嘩する生徒はひとりもいない。みんながニコニコと笑顔で、和やかな雰囲気の中で入学式に参加している。
 
(不良が一人もいない)
 
私は安心したと同時に、教師の胸ぐらをつかんだり、反抗して式をめちゃくちゃにする生徒がいないことに少し戸惑いを感じていた。三年間も牢獄ろうごくのような中学校で過ごしてきた私にとって、和気あいあいと笑顔で楽しそうに集う生徒たちは、キラキラして眩しすぎた。
 
(あれ?あの子、なんであんなところにいるんだろう)
 
ふと目をやると、女子生徒が体育館の隅に一人で立っている。きっと、生徒数が多くて具合が悪くなったのだろう。そんな風に思った私は、妙な親近感を覚えた。私も人混みが苦手なので、彼女の気持ちがわかるような気がした。再び振り返ると、女子生徒はもうそこにはいなかった。
 
(何年生なのかな。あの子)
 
生徒数が多いので、何年生か見分けるのは容易ではなかった。ステージでは、陽気な先輩たちが学校の文化を紹介している。いよいよ式が終わり退場する際、私はあの女子生徒をそれとなく探した。視界の端に、ふと彼女の姿が見えた気がして振り返った。しかし、やはりそこには彼女の姿はなかった。
 
教室に戻ると、再びコダマのおかしな話が始まった。ステージで学校の紹介をしてくれた先輩よりも、自分の方がこの学校のことを知っていると言い出した。
 
「この高校の廊下は、市内で一番長いんだ」
 
自慢げに学校にまつわる話をしていたかと思えば、今度は自分が上級生に人気があるという嘘か本当かわからない自慢話をしている。唾を飛ばしながら必死に話すコダマの顔を、私はボーッと眺めていた。
 
コダマが突然意味もなく大声で怒鳴り出したため、体がビクッと震えた。私は大声で叫ぶ人が苦手だが、どうにかしてこのクラスの雰囲気に調和しなければならないと、自分に言い聞かせていた。
 
「この高校を僕のユートピアにするのが夢なんですよ」
 
次は、キリスト系の出身大学について語っていた。おそらく、自分が誰よりも西洋の文化に精通しているというところを強調したいのだろう。東京で有意義なキャンパスライフを送った自分が、なぜこんなところで高校教師をしなければならないのかという不満だらけだった。この高校を自分好みに変えるのが目標だということを、何度も繰り返していた。こうして、私たちの苦痛な日々が始まった。
 
コダマは生物の教師であるにも関わらず、隙あらば聖書の話をしてくる。実際、授業はかなり適当だった。自分の趣味の話、大学の話、なついてくる上級生の話など、全く授業に関係のない余談でほとんどの時間が過ぎていく。遺伝子に興味があった私にとっては、残念でならなかった。自分で教科書を見ても難しくてよくわからなかった。
 
コダマの言葉の暴力は来る日も来る日も続いた。朝と帰りのホームルームが憂鬱ゆううつで仕方がなかった。テストの成績を読み上げ、気に食わない生徒を名指しでバカにした。生徒の個人情報が書いてあるファイルを手に、私たちを毎日なじった。たとえ成績のいい生徒であっても、彼らの容姿をみんなの前でからかい、侮辱ぶじょくした。やがて、徐々に手をあげるようになった。初めはファイルで頭を叩くことから始まり、次第に暴力がエスカレートしていった。同級生たちの顔がどんどん暗くなっていくのがわかった。
 
「つかまっておけ!」と、コダマがひとりではしゃいでいる。
 
同じクラスの可愛らしい菜々子は、コダマのお気に入りだった。コダマの白いスポーツカーの助手席に菜々子を強制的に座らせた。座りにくそうな運転席と助手席のシートはF1使用の改造らしく、悪趣味な赤いシートベルトが取り付けられていた。コダマは菜々子の体を必要以上にベタベタと触りながら、その赤いシートベルトの装着を手伝った。菜々子は苦笑いを浮かべているが、拒否しないため、されるがままになっていた。私は狭い後部座席で吐き気を我慢していた。
 
「100キロ出してやるから、見とけ!」と、コダマがいきがっている。
 
私は車に乗ることを何度も断った。しかし、般若のような顔でしつこく叱咤しったされたので、仕方なく車に乗った。油ぎった髪の毛を上機嫌でかきあげる不気味な顔がバックミラー越しに見えた。事故を起こしたらどうするのだろうと、私は冷静に思った。ものすごいスピードで近所の公園に連れていかれ、その場で側転の練習をさせられた。
 
(側転…?)
 
誰もが疑問に思うであろう。なぜ、生物の教師が放課後に生徒を公園まで連れて行き、側転をさせるのか。答えは簡単、体を見るためだ。何度もしつこく側転をさせ、コダマはめくれ上がるシャツやスカートの様子をニヤニヤしながらじっくりと見ていた。私は車酔いとコダマのいやらしさに吐きそうだった。ただ、楽しそうにしないとすぐに殴られるので、無理矢理ひきつった笑顔を作っていた。


第2話へ続く

Kitsune-Kaidan

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第2話はこちら

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第5話はこちら

第6話はこちら

第7話はこちら

第8話はこちら

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