ツツジ(花まくら より 005)
私が生まれ育った愛知県岡崎市は、車に深い関わりのある街だ。隣接する豊田市が、あの車メーカー、トヨタの本社のある本拠地で、そのベッドタウンとしての性質が強い街だった。岡崎市には主だった産業もいくつかあるが、トヨタ本社、そしてトヨタ関連企業の社員が多く住まい、娯楽と飲食店の多いところだった。行き交う車は八割までがトヨタ車で、また、交通量も多かった。そんな街で私は育った。
小学校までの道のりは、一キロほどだった。大通りをできるだけ避けた裏路地が通学路で、そこにはまだまだ畑や田んぼが残る、のんびりした雰囲気があった。私の通学路は大通りをできるだけ避けていたが、大通りの歩道を歩く場所も一部あった。ツツジはそこに生えていた。
ツツジを語る時、交通量の多い大通りの事は外せない。なぜなら、ツツジは街路樹だからである。車道と歩道に挟まれた幅五十センチほどの場所に、ツツジは植えられている。高さ一メートルほどに刈り込まれ、延々と大通りを縁取っている。ずらりと並んだツツジの木は、葉は濃い緑色で、少しふわふわと産毛が生えている。葉の大きさは親指ほど。小さめな葉が密に茂る、常緑樹だ。花の盛りは五月上旬。花の色はいくつかあるが、主には鮮やかな赤紫、白、ピンクだ。それらの花が木を覆い尽くす勢いで咲く。満開の時期は割と長く、二、三週間続く。
私に、ツツジの花の蜜を吸うことを教えてくれたのは、誰だっただろうか。いやしんぼの私は、その遊びに殊の外、魅入られてしまい、ツツジを見つけてはチュウチュウと蜜を吸っていた。このツツジの花の蜜を吸う、と言う話を大人になってから人にすると、あぁ、と思い浮かぶ人が六割ほどだろうか。地域によってはあまり馴染みのない遊びのようだが、やったやった、と顔をほころばせる人がいると、私も嬉しくなる。
ツツジの蜜を吸うには、まずツツジの花を摘む。ツツジの花弁は五枚に見えるが、実は根元で繋がっている。一枚の花弁に五ヶ所切り込みが入って、五枚に見えている。だから、よくよく観察すると、ツツジの花弁の付け根は筒状になっている。この筒を守るように、緑色のガクが覆っている。ガクは触るとちょっとベタベタする。ガクをむしって取る。雄しべと雌しべが、ガクに繋がって、スッと抜けることもある。でも、大切なのは、雄しべと雌しべを抜かず、ガクだけをとることだ。甘いのは、花弁の付け根、二ミリほどの部分で、雄しべ雌しべの根元にも、蜜が溜まっている。雄しべ雌しべを取り除いてしまうと、味わいが薄くなる。ので注意が必要だ。そっとガクを取り除き、筒状になった花弁の根元を吸う。ツツジの花の匂いと共に、舌にほんのりした甘さが残る。ほんの数秒のことである。甘みはすぐに終わってしまうから、次々と花をむしっては、吸う。ツツジは取っても取っても取りきれないほど咲いているから、遠慮は無い。片田舎のおおらかさである。吸い終わった花は、その辺りにぽいと捨ててしまう。都会に住んでいると、これはできない。気楽なものである。
ちなみに、私がツツジを吸っているのを見て、祖母は汚いからやめなさい、言っていた。ツツジは大通りに生えているから、排気ガスがかかっていて汚い、というのが祖母の言い分だった。まぁ、そうでなくとも、その辺に生えているものを口にするのは良くないということだと思う。でも、子供だった私は祖母の言うことを適当に聞き流し、祖母も子供の遊びの事とて、そこまできつくは言わなかった。目の前でやれば注意されはしたが、ことさら追求されるようなことはなかった。なので、私は性懲りも無く、下校途中にツツジをチュウチュウするのを楽しみに過ごしていた。
そのうち、花の色と蜜の味の関係に気づいた。赤紫よりも、白色の方が、甘みが強いのだ。これは発見だった。ただ、白い花はあまり植えられていない。見回してみると、ツツジの街路樹の花の色には、偏りがある。七割が赤紫、二割がピンク、残りの一割が白。白は圧倒的に少ないのである。ちなみに一番甘みが少ないのはピンク色だ。また、よく観察してみると、一番「強い」のは赤紫色、次がピンク色、最弱が白色ということがわかった。この強さというのは、花の色の混ざり方のことで、純白はとても珍しい、という意味である。ツツジの花の色はさっきの通り、赤紫、ピンク、白、の三色なのだが、一つの花の中に、点々と違う色が入ることがある。これには決まりがあって、淡い色に赤紫の点が入る。例えば、白い花の中に、赤紫の点が入る。時には、点が線になったり、花の半分が赤紫だったりする。とにかく白地に赤紫の模様、ということである。ピンクも同じで、ピンクの地に赤紫の模様が入る。白にピンクの模様が入る事はなかった。模様は常に赤紫色である。で、逆はなく、赤紫色の花に白い模様が入ったのは見た事がない。白い花がまとまって咲いているところに、時々、赤紫の模様が混ざった物が咲いている、というのが多い。赤紫と白が隣接している所は、高確率で白の花弁に赤紫が斑らに混ざっている。ピンクの花が咲いているところに、ごくたまに赤紫の模様が入ったのがある。赤紫の花が咲いているところは、赤紫だけ、という状態である。
ツツジの蜜と花の色の関係に興味を持った私は、この謎を解明するために、色々なパターンのツツジの花の蜜を吸った。結果、わかったのは、色が混ざったツツジは甘くない、ということである。赤紫混じりの白色、ピンク色の花は甘くないのである。一番甘いのは純白、これである。純白の花は少ないから、私のお気に入りの場所はここ、というのが決まっていて、下校途中のお楽しみとして毎日通るたびにチュウチュウした。二番目は赤紫色で、これはどこにでもあるから、道すがら取っては吸い、取っては吸い、していた。
今思うと、果たしてこれは正しかったのだろうか、と疑問である。単に、真っ白の花が珍しかったことが、心理的に貴重なものである、という錯覚をさせたような気がする。真っ白、というのは一般的に特別な価値のあるものだが、特に夢見がちな十歳前後の女の子である私にとっては、お姫様だったり、花嫁であったり、ヒロインであったり、真っ白というのが、特別な存在の象徴として強く主張する存在だったのではないだろうか。ちなみに、当時の私は、時代を席巻していたセーラームーンに、ばっちりはまっていた。セーラームーンの作品中でもヒロインが選ばれし存在セレニティに変身した際には、純白のドレスをまとっていたのをよく覚えている。
また、この頃の私はわからなかったが、中学校に入ってから、花の色の赤紫が遺伝でいう顕性(優性)、白色が潜性(劣性)の関係だと知った。私が遺伝子工学に興味を持つ、素地は、この頃にツツジを通じて芽生えたのだと思う。
大人になって、岡崎市から京都に出て来て、京都にもツツジが街路樹として植えられていることを知った。たぶん、丈夫で手間がかからないから、ツツジは街路樹として全国的に採用されているのだろうと思う。懲りない私は、京都のツツジの味はどんなかな、と十数年ぶりに吸ってみた。赤紫色の花だった。子供のころと変わらない味がした。白い花は見当たらなかった。今度、白い花を見つけたら、味比べをしてみたい。白い花は、今でもより甘く感じられるだろうか。
そんなことを考えながら、ツツジが連なる道を歩いていくと、ふと、一本のツツジの木が八重の花をつけているのに気が付いた。これは今までに見たことのないものだ。子供の頃にも、八重の花はごくまれにあったが、今、目の前にあるツツジは、何重にも花弁がかさなっていて、珍しい園芸品種のようだった。何かの表紙に、苗木が混ざってしまったのだろうか。私は驚いて、しゃがみこんでその花をつくづく眺めた。私は忘れないように、その花の写真を取った。にも関わらず、次の年に、その八重咲きの木を見つけることができなかった。それとも、あの木はあの時だけ八重の花を咲かせていたのだろうか。それも考えにくいことだが。
普段何気なく通り過ぎている街路樹にも、目を向けてみれば、発見があるものである。
さて、次のお話は…
前のお話は…
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?