朝顔(花まくら より 018)
日本の夏を彩る花と言えば、朝顔である。青、赤紫の花に、星のように五条の白い筋が入った物が定番だろう。朝早くに咲き、昼頃にはもう閉じている。早朝の涼しい時間帯に、家の外に出てみれば、朝顔の花が咲いている。まだ日差しがきつくなる前の、爽やかな夏の朝、朝顔に水をやるついでに、地面にも水を撒く。京都の風物詩、打ち水である。ひんやりとしめった石畳の路地…とまでは行かなくとも、そこがコンクリートであっても、アスファルトであっても、夏の打ち水は清涼感があって、一日の始まりを清めてくれる効果がある。玄関先の掃き掃除をして、ほこりが立った後なら、なおさらである。さっぱりと、空気が澄んで、気持ちが良い。日が高くなれば、水はじきに蒸発してしまうから、これは夏の朝の過ごし方、というだけのことであり、涼しげだということだけで、暑さをしのぐ効果は実際はあまりない。ましてや、節電になるなど、とてもとても…。それでも、朝は水を撒く。京都に住んでいるからと言って、誰もがやっている訳ではないけれど、朝顔の水やりついでに、なんとなく、水を撒いてみる。私は京都生まれではないから、この打ち水というのをやると、あぁ、私って京都に住んでいるんだなぁ、と思う。一種の京都かぶれである。
私が朝顔に再入門したのは三十三歳の時だった。朝顔を育てるのは、もう何年ぶりだか、小学校一年生以来、ということはないと思うのだが、記憶が全然ない程度には昔のことである。小学校のころの朝顔の観察日記で育てた朝顔は、鉢に支柱を三、四本立てて、五十センチくらいの高さに育てる、行燈仕立て、というものだった。一般的に、朝顔を育てる、というとイメージする通りの、育て方である。対して、三十三歳の時に私が挑戦したのは、盆栽仕立てというやり方で、高さを抑えて、ツルを太く短く育て、大きくたくさん花を咲かせるというものである。やってみてわかったのだが、これがとても難しかった。低く育てるためには、伸びてきたツルを、適切な箇所で摘み取って、成長を止めてやる必要がある。この適切な箇所、というのがまず難しい。説明を読んで、こうだろう、と思ったところで切ってみたのだが、切ったところの横からツルが伸びてきて、伸びたところをまた切って、とやっていたら、花芽がつかず、葉っぱばかりになってしまった。あれ、おかしいな、と思って調べると、どうも肥料をやりすぎて、葉っぱの勢いがつきすぎてしまったようだった。葉っぱばかりの朝顔を一夏育て、私の再入門は失敗に終わった。本当に、まったく、全然、花が咲かなかったのである。悲しかった…。よかれと思って買ってきた、花のための肥料、と書いてある顆粒、あれが良くなかったのね、と肩を落とした。考えてみれば、小学校のころに朝顔を育てた時は、水だけあげて、肥料などあげた覚えはない。記憶がないだけかもしれないが、ずいぶん雑に育てて、それでいて花は結構咲いたものである。お隣のお子さんが育てている朝顔だって、特に構っている様子はないが、水やりだけですくすくと育っている。私はどうも構いすぎるタチのようだ。どうして構いすぎてしまうかというと、性根がせっかちなところがあるからだと思う。せっかちな人は、待っていられない。じっとこらえて、相手の成長を待ってやらないといけないところを、ぐっと抑えて我慢してやれないから、ついつい、手が出てしまう。肥料をやってみたり、芽を摘み取ってみたり、水をやってみたり、世話を焼いてしまうのである。その結果、ダメにしてしまう。せっかちな人間は、得てして本末転倒型なのである。
朝顔の失敗で、私は痛く落ち込んだ。前々から、私は自分が園芸音痴なのではないかと薄々疑っていたのだが、朝顔を葉っぱだらけにして終わらせる、という失敗を経験し、これ向いてないな、とつくづく痛感するに至った。好きなのに、ダメなことって、あるよね、という気分である。
時は流れ、私は図書館で一冊の本を手に取った。朝顔の本である。実は朝顔というのは、江戸時代から庶民の間で品種改良が盛んだった植物で、愛好家たちの間で次々に変わり咲きの新品種が生み出されていた。私が盆栽仕立て、という言葉を知ったのも、こういう本だったな、と、私はペラペラとページをめくった。
朝顔の変わり咲き、というのは本当に変わっていて、あの丸くて白い五条の星の模様が入る一重の、いわゆる普通の朝顔と、本当に同じ植物なの?と思うほどである。しゃらしゃらと細長い繊維のような花びらが垂れ下がるもの、八重どころではないほど何層にも重なった花びらがフリル状に咲くもの、多種多様である。こういう変わった朝顔のことを、その道のツウは変化朝顔、と呼ぶそうだ。遺伝の知識をフルに活用し、うまいこと変わった花を咲かさせる種を作出する、そういう遊びなのだという。世の中には、難しいことをやる人がいるものである。
本を閉じ、今年は朝顔を育てるには時期を逸したな、と思う。我が家の植木鉢はすでに満員で、マリーゴールドとサフィニアが満開である。そこに保育園からやってきた、プチトマトの鉢が二鉢。スペース的には、置いておけないこともないが、自転車も置かないといけないしなぁ、と及び腰である。近所の家では、もう一輪、二輪、と朝顔の花が咲いている。変わり咲きではない、ごく普通の品種だが、小豆色だったり、淡い青色だったりして、やっぱり朝顔はいいなぁ、と思わせられる。鮮やかなばかりではなく、ちょっと渋目の色も、またぐっと和の雰囲気があって、落ち着いていて良い。
朝顔といえば、昔、私が持っていた浴衣に、朝顔の柄の物があった。今思い出してみても、ちょっと変わった浴衣だったと思う。地の色が淡い紺色、そう、紺色なのに、ちょっと淡いのである。褪せた、というか、抜けた、というか、水に晒して色が落ちたような色をしていた。そこに、水色、これまた灰色がかったトーンの朝顔の花が描いてあって、花芯が赤、これは真っ赤っかの赤である。それで、さらに、ツルと葉っぱが濃い緑で描いてあって、葉っぱには透し彫りのように模様が描いてあって、模様の部分が地の色で抜いてあるのである。エライ凝った柄の浴衣であった。呉服屋でその反物を見て、一目で気に入ってしまい、伯母にこれ…どうかな…と見せると、伯母もコレは変わってるわねぇ、と絶句であった。でも、全体としては色合いが地味で、色々あった反物の中にあって、地味すぎるんじゃない?という意見もあった。でも結局、私はそれを選んだ。気に入って、何も用が無い日にも、自分で着つけて、良く着ていた。十六、七歳のころだったと思う。あのころは、浴衣が好きで、三年ほど続けて、浴衣を作ってもらった覚えがある。着物と違って、浴衣は気楽に着られるし、洗うのも風呂場で踏み洗い、なんならネットに入れて洗濯機だって、という気安さで、縫い糸が切れるくらい着倒していた。そういえば、あの朝顔の浴衣はどこへ行ってしまったのだろうか。生まれ育った岡崎市の家に、まだあるのだろうか。捨てるようなものでもないのできっとあるのだろうが、定かで無い。つらつらと書いている内に、懐かしくなってきてしまった。次回、岡崎市に行った際には、所在を確認したいと思う。
朝顔市、というものも、世の中にはあるそうで、新聞で見たその市場の様子が、非常に楽しそうで、私は興味を持っている。変わり咲きの朝顔の盆栽仕立ても、きっと売り物ではないのだろうが、並んでいるのが写真に載っていた。見て帰るだけでは面白くないから、行ったらぜひ、持って帰りたい。東京の方だったと記憶している。とはいえ、朝顔の鉢を持って、新幹線に乗れるだろうか。ちょっと根性がいりそうだが、持って乗って良いものであれば、新幹線で朝顔市、ちょっと挑戦してみたいなと、思っている。
さて、次のお話は…
一つ前のお話は…
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