お金は腐るべきである その3 最終稿 お金に意味と価値を取り戻す

その1

お金の本来的意義に言及して、社会の富の増加の為になるようにお金を使いましょう、お金は腐るべきという話をした。 


その2

お金を稼ぐという環境、資本主義と共産主義の矛盾を描いて、お金を稼ぐことと生活を結び付けながら、お金は腐るべきと外堀からかいた。


最後にその3、やはり具体論がないとしまらないと思うので、お金に意味と価値を取り戻すシステム論について語ろうと思う。




人生は労働と余暇と休暇でできている

少し背景的な話から始めよう。人生は労働と余暇と休暇でできている、と私は考えている。これまで述べてきた通り、労働とは、社会の利便性を作り上げるべくみんなで分担して効率化された役割の1つである。個々に水を汲みに行くよりも、1人が人数分まとめて汲みに行く方が効率が良い。くまなくて済んだ分、皆は他の労働をすることができ、そのもろもろの分だけ社会や生活が便利に効率よくなるとそんな話だ。

そして労働がある点(これ以上働かなくてもそこそこ快適で生活可能だと思える点)に到達すると、労働はそれ以上しなくて済むものになり、あとは余暇や休暇が生まれる。余暇とは個々人の好奇心や興味関心を突き進める分野で、休暇とは娯楽やリフレッシュのことだ。明確に区分しなくても労働と余暇や余暇と休暇かまざりあっていることもある。



現代社会の問題や苦痛

余暇が短すぎることであり、余暇に打ち込めないことが現代社会の最大の苦痛であると思う。その人の心の赴くままに、生きること、生きる時間を増やすことこそが幸福だと思う。自分の進むべき道を、できる限り進みたい。現状の問題の背景は三点ある。

1、利便性を追求しすぎて、余暇よりも労働に駆り立てられ過ぎている。お金は腐るべきであるその2辺りの話。本当にみんなそんなに便利じゃないと満足できないの?って話

2、資本家によって、手に入った効率性や利便性の収穫が奪われてしまう。労働が効率よくなったのならその半分くらいは、余暇が増えるべきなのに。

3、余暇的活動の評価や報酬が少ない。認められないために、労働に頼らざるを得ないこと。金にならないから、余暇にもっとリソースをさけないのだ。

誰だって自分の興味関心に従ってワクワクして過ごしたい。但し、上記の通り、生きるために労働は必須である。働かないで好きなことだけやる!が許されるのは、余暇での功績が凄まじい場合だ。要は、話を考えて皆を楽しませるのが好きで上手だから、普通の労働はいいから、お前は年中漫画描いてよ、それが君の労働だよみたいな話だ。

でも、思う。そこまで凄いレベルに成果を出せないなら、余暇は、自己満足やただの趣味…で終わりにして良いのだろうか。

誰しもスーパースターにはなれないし、みんなが一位にはなれない。でも、その自分の好きが少し進んだり同じ好き!なひとに届いて進歩や満足を与えられたなら、そのぶんのその人の余暇が、評価されるべきだと思う。そこで月一万でも手にはいるなら、その一万で更に余暇に投資できるし、もっと余暇的活動の成果が増えれば、労働の比重が減り、ひいては資本家への依存もへることになり、労働者の立場が向上するだろう。

昔、好きやいいねにであった時、言葉や感謝は減らない資源なのに、人を喜ばせ幸せにできる力で、世界を幸せな言葉で満たすことが幸福と甘く考えていた。しかし、実態や実利がない幸福では、そこに弱い力しかなくて、そこで得たものやらで生活が変化することはない。いいねや好き的な力がそれだけで力を持たない現状では、余暇的活動の通り道が、YouTubeで人を集める、インスタグラムで、配信で、作品で…、人気が出たら広告収入、人気が出たら企業による商品化、オファー。人気集めと、一部のスーパースターしか、生活の変化はなく後は夢おいびとの集まりになっている。不毛だ。余暇に力を与えたい。

金曜日の夜だけ、そこそこ弾ける音楽力でバーでジャズをひく。生演奏を聴きながら酒をのみたい人が、その対価を払う。そんなちょっとでも自分の特技や、興味が町の至るところで誰かとマッチするような暮らしがいい。





具体案 お金は腐るべきと個人決済

人々の余暇活動を制限しているのは、上記1から3の要因である。その内、1と2は、お金が腐るという概念で解決できる。余剰に集められないなら必要以上に集めようと思えないので資本家の暴走は止まり、流れ出た分は労働者への還元にもなるだろう。社会価値の増加にならないお金ならある程度で使えなくなればいい。

ただ、この考えは答えはわかるが数学的なセンスがない私には式までたてられないので、得意な人にお願いします。

つまり、現在流通で物の所在を把握するためや注文管理にQRコードやPOSシステムが使われているように、物やサービスのやり取り決済を全て電子取引化する。物やサービスに属性や要素情報か詰まっているので、小難しい勘定項目の分類やらが不要で、経理や税務処理のデータに即時に処理できたりする。

そうしてお金の流れを全て可視化して、更にそのお金の流れにひもづけられた情報群から、どんなとこにどんな風に流れたか、付加価値の度合や、いびつに蓄積していっている場所等がわかるようになるわけだ。こうすればお金の流れをもっと管理干渉しやすくなる。干渉した結果も観測できるのだから。仮実験でシュミレートも可能だ。

ミクロマクロ経済学とか過去の遺物になるし、公共事業だ補助金だ、現金給付だとかアホみたいな政策もこれでなくなるし。いいことづくめに思う。ただ、お金や資本が腐るとなると、固定資産税等の税制の見直しも必要になるし、お金と私たちのあり方を1から作り考えていくことになる。


3について。余暇活動の金銭化を制限するのは、お金のやり取りの煩雑さだ。そのため、少額の、参考になった、勉強になった、すきの気持ちのやり取りができないでいる。

円滑な個人間決済とそれに伴う個人与信管理が解決の鍵だと思う。まぁ投げ銭文化みたいなもので、少額でも良いと思ったものものにちゃんと感動を伝えられるようにすれば良い。

上であげたように、お金の流れが全て可視化され紐づけられれば、面倒な経理や税務がなくなる。そして、無料文化を捨て去ろう。

百円の微妙ゲーが並んだっていいのだし、ものではなくて、趣味や誠意で町の美化活動をしているのなら、彼彼女らのそれに報いがあってもいいと思う。全ての人の好きなことや関心が報われてほしい。

与信管理とは、個人の信用管理のことで個人間取引が増えるにつれて、支払い能力や支払い債務がしっかりあるか、行われるかがトラブルのもとになるのが目に見えているので、面倒でないかつ、ストレスフリーになるために必要だ。(オークションサイトフリマアプリのトラブルや事件など参照のこと)

細々した補論はあるが、大筋の具体論はこの辺りで。





番外編 人間にとって、恐怖でしかない物とは何か?生物学的視点より。

人間の手に負えない物は、恐怖でしかないのだ。癌とか、対策対処法がまだないという未知の恐怖。エイリアンでもいいだろう。敵か味方かそもそも何をする気なのかわからない。攻撃力も未知数。恐怖でしかない。プラスチックや放射性物質とかも恐怖だろう。人間の命にどういう影響があるかわからないが、確実に悪い方に働くし、人間の命を超えてずっと残り続けるからだ。人間の手に負えない、人間が管理できない、つまり相手に敗北するかもしれないから恐怖なのだ。では、お金はどうだろう?お金よりも人間の命や尊厳や生活が下に来ることがある時点で、私たちはお金を管理できていない。手に負えていないのではないか。お金に支配されている。

というわけでお金を管理することこそが、お金を弱体化させて、打ち勝てるようにすること、つまり、お金にルールが必要なのだ。

お金が腐るようにする

お金がその存在において、馬鹿げて強大なのは、半永久的に残ること、増え続けることである。これは、絶対死なない人間に害ももたらすウイルスと何が違うのだろうか。人間の暮らしのためのお金なのだから、暮らしのために死んでくれ。





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