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愛について

『愛情について、どんな感覚、理解をお持ちでしょうか。』

こんばんは、杞憂です。

ニンゲンも、時たま動物も
生物には感情がありますね。

クラゲくらいでしょうか。脳がないので感情があるかないのか不明なのは。

人形すらも愛してあげたら魂が宿るといいますね。
羨ましい。

今回は愛についてのお話を。


『愛』って一言にいってもどんなものかあまり知られていないというか、これかな?くらいにしか出てこないのではないでしょうか。

人それぞれの愛のカタチはありますね。

私の思う「愛」

どんな形なのか。
今回載せている画像は、それを創造して思う限りに作った絵です。

私は少々変わっているのでしょうか。軒並みな愛情表現だと不安になります。

それが恋愛だとしても、友情だとしてもスキンシップを必要以上に求めてしまいます。
触れてもらわないと、なぜか怖くなって、何者かわからない者に邪魔されてしまう。

その「何者」が自分自身の感情なのか、無意識に起こした思い出から来る恐怖なのか、備え付けの機能みたいなものなのか。

例えば、大切に思ってくれている人が隣にいるとして、

ひたすらに触れられたいと、そう思います。

愛おしそうに抱きしめられる。
愛おしそうにキスを落とされる。
愛おしそうに笑いを向けてくれる。
愛おし気な視線をくれる。
愛おしそうに抱いてくれる。
愛おし気に大切に手を繋いで、隣にいる。

目つきで大体のことはわかるということも、言葉がなくとも、行動がなくとも愛を伝える方法も、時間がたてばそれらの行動や言葉がなくなっていくことも

頭の中では理解はしています。

ただ、私は求められないと「ここにいない」という感覚になり、求められていないという不安に潰され、ひたすらに嗚咽交じりの涙が止まらなくなる。

なんなんでしょうね。

家族も友達も恋人も

時間が経つにつれ、さまざまなことが風化していく。
一つ一つが当たり前で、当然そこにあるものになってしまうからなのでしょうね。

でも、明日、どの当たり前で当然なことが消えるとは、あまり重要視されないからこそ

ニンゲンにある怠惰の一部なのかなと思います。

仕方がない事でもあり、ある意味喜ばしいものでもあるはずなのですが、どうも私は違うようで。
温かさを何かで埋められないかと、泣きながらも戻ることを期待しては外れ、自分で自分を殺してしまう。

嬉しいが、悲しくて

喜ばしいが寂しくて

自分の中に矛盾の渦が。

どうにかならないかな、ほんと。

愛されるって、どの分野でも本物に近しいものほど難しくてきつい。

改善策が忘れるか諦めるしかないという。

なんででしょうね。

私は愛されたいのに、愛されているのに

理想が愚かなくらいに高く、かないにくいものらしい。


みなさんの思う愛とはどんなものですか?
良ければコメントで教えてください。

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