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助けたい包みたい按田餃子でございます ▶『たすかる料理』按田優子

「助けたい包みたい按田餃子でございます」というごあいさつの餃子屋さんが、東京の代々木上原にある。たしかビブグルマンにも選ばれていたと思うけど、ググって書くと定型文のコピーをしてしまいそうなので、ガマン。

そんなお店の店主、按田さんが書いた『たすかる料理』という本を読んだ。「私は自分のやる気が一番信用ならない」という按田さんが暮らしの中で発見して築き上げてきた”流れのなかにある料理”を、具体例や日記を挟みつつ紹介している本。


私は本で紹介されていた南米のチチャロンという料理を作ってみた。豚肉を茹で続けるシンプルな料理。惹かれたのは手順の最後の部分。

じーっと観察したくなる瞬間の到来です。水分と豚から出てきた油の分量が逆転し、今度は豚が自分の脂分によって揚げられていきます。

途中でゆで汁をとっておけばスープにもなる

ゆで豚として食べてもいいし、カリカリになるまで揚げてもいい

按田さんの「自炊」

この本によく出てくる言葉は、「自炊」
自炊しなさいというわけではなくて、按田さんにとって自炊がどんなものか淡々と描かれている。

何より自分のためだけに料理するのは面白い体験でした。ちゃんと作れなくてもいいし、どこまで傷んだら食べれなくなるか、自分で決めたことが全部自分に降りかかってくる。自炊を通して自立していく感覚が楽しかったのです。

自炊が自立だというのは、最近よく実感していること。自分が食べたいもの(必要なもの)を考えて、食材を調達して、調理して、食べる。生きていくうえでの基本動作のように感じるけど、いくらでも人任せにできる世の中でもある。

一人暮らしをはじめてから自炊もしてはいたけれど、忙しい時にはコンビニのおにぎりやおでんで済ますこともあったし、ウィダー飲む自分かっけー!と思う時期もあった。それが悪いということではなくて(コンビニおにぎり大好き)、食べることが作業になっているとしたら、それは少し悲しいな、と思う。

「食べていけるように」勉強して黒いスーツを着てシュウカツしたのに、作って食べることにも手が回らないほど忙しいって、なんのための忙しさなんだろう…



おっとっと。

脱線ついでに按田餃子の思い出。


1年半前くらいに、東京へ来た母と按田餃子へ行った。
話題だったし、あの代々木上原にあるということでやや緊張して夕方一番くらいに乗り込んだけれど、拍子抜けするくらいの「友達の家」感。

野球の中継を聞きながら、水餃子とラゲーライスを食べた。あの頃は落ち込むことがあったので、なんだか四六時中ぼーっとしていたような気がするけど、そんな時にも凪の気持ちで食べられるごはんというか、難しい感想も求められず、淡々と食べていいごはん。
たしかに「たすかった」という気がするごはんだった。

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