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おいしい記憶はシアワセの記憶?ドイツ生活を思い出すプラムケーキ

先日ひさしぶりに
「プラムのケーキ」を焼きました。

2006年から4年ほど生活していたドイツで、
夏から秋にかけて出回る
新鮮なプラム(西洋すもも)がたっぷりのったケーキ。

甘酸っぱいフルーツとケーキの組み合わせに
目がない私は、この旬の恵が詰まったケーキを
お気に入りのケーキ屋さんやカフェで
楽しんでいた思い出の味

2017年にグルテンアレルギーが発覚して以来、
このケーキも「もう食べられない…」と諦め
作ることも辞めていました。

前回の「りんごと自家製グラノーラ」の記事
書いた、母が送ってくれた荷物の中から
食べ頃のプラムもたくさん出てきたことが
きっかけで、
口の中いっぱいに(思いきり想像!)
プラムがたっぷりのった
甘酸っぱいケーキの味と、
あの日々の懐かしい記憶が鮮やかに蘇った!
ように感じたのでした。

さて突然ですが、
”嗅覚は記憶とリンクしやすい”とは
よく耳にするけれど、
自分の「記憶の扉」は何か
考えたことがありますか?

数年前のある日、
私の場合はおいしい記憶だ!
と気が付きました。

日ごろから
食べることが大好きすぎるからか
”食べる”という行為の
プライオリティが高すぎるからか…
夫からはよく「食べ物への執着がすごい!笑」と
呆れられるのですが、
私の「おいしい記憶」はいつも
「シアワセの記憶」とリンクしているんだ!
と気づいた時に、
なんで自分が(異常に)
食べ物にこだわって生きているのか、
腑に落ちる感覚を味わったのです。

大人になってからアレルギーが発覚し
数多くの大好きなモノを食べる楽しみを
とつぜん奪われた反動で
より強く感じた感覚かもしれませんが…。

「おいしい」っていうのは、
ただ単に味付けがおいしいだけでなく、
高級だからとか有名だから、珍しいから…etc。
そういうことだけでもなくて、

食材や料理そのものにまつわるストーリーや、
自分の大好きな人たちが大切にしている
レシピに出会った時、
食事を味わった場所やシチュエーション、
誰と一緒に食べたのか、
そういう色々な要素が重なり合った時に
忘れられないおいしい記憶
生まれるのだと思うのです。

例えば、
それにまつわる食材や料理に向き合う瞬間、
その料理を味わった季節の匂いを感じる時、
おいしい記憶が瞬時に蘇ってくるから不思議!

おいし記憶とともに料理を味わうと、
今は離れて暮らす大切な人たちと過ごした
懐かしい思い出や、その時目に映っていたもの、
シアワセな記憶へとすぐにリンクする。

印象に残る料理は、
なるべくレシピを教えてもらうようにしていて、
思い出が詰まった料理のレシピが
蓄積されていくのが嬉しいし、
シアワセな記憶にいつでもアクセスしやすい
環境を作る努力もしています。

「食べること」それは、
写真を探して見返したりすることよりも、
確実で簡単な私の「記憶の扉」

これって、
決して過去への未練みたいな感じではなくて、
幸せな時はもっと幸せな気分になれるし、
疲れていたりしんどい時には
癒しにもなるのです。

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ドイツ時代はこのケーキのことを
Pflaumenkuchen(プラウメンクーヘン)
だと思っていたけど、
プラムじゃなくプルーンだから
Zwetschgenkuchen(ツヴェッチゲンクーヘン)
になるのかな?

グルテンNGの私は小麦粉を抜きたいので、
思い出の味を頼りに米粉や大豆粉なんかを使って
生地部分をグルテンフリー仕様に作ってみました。
ちなみに卵や乳製品不使用の
プラントベース仕様のレシピでもあります。

本当はここでレシピを紹介したかったけど、
今回初めてグルテンフリーバージョンで作り
まだ納得いく味に仕上がっていないので、
完成したらいつかの記事でご紹介予定。
どうぞお楽しみに♪
レシピが完成しました!)

ドイツの街で
プルーンがたっぷりのったケーキを
頬張っていたあの頃の私は
今とはまた違った種類ではあるけれど、
シアワセな毎日を過ごしていたんだよなぁ...

このケーキを味わいながら
ひさしぶりにあの頃の思い出にどっぷり浸った、
そんな先日の出来事でした。

それでは、また!

完成したレシピ


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