人生を豊かにするには、どんどん楽しみを先送りにしろ
飲食店で、注文したものと違ったものがやってきたら、「注文したものと違うのですが……」と言う派ですか?それとも言わない派?
私は先日、とあるお気に入りの食堂に行ってマグロカツ定食を頼んだのですが、気づいたら目の前には「海老マヨ定食」がありました。
す、すごい……。こんなに惜しくない間違いもめずらしい……。
ただ、お店側を責める気は毛の先ほどもありません。悪いのは100パーセント私です。なぜかって、私は「マグロカツ定食を、海老マヨソースで!」と注文したから。いやいや、マグロカツ定食頼んでるじゃない!と優しいあなたは思われるでしょう。もう少し詳しく話させてください。
実は、そのお店にあるのは「マグロカツ定食ワサビソース」なのです。「マグロカツ定食海老マヨソース」は存在しません。「海老マヨ定食」はあるよ?でも「マグロカツ定食海老マヨソース」はないの。
なぜ私は「マグロカツ定食海老マヨソース」を注文したのか。ほかのお客さんが「マグロカツ!」「海老マヨ!」とそれぞれ単体の品を連続注文していたのを聞き、そうか!マグロカツ海老マヨソースなんてものがあるんだ!海の生き物同士だから意外な調和性があるのかも〜!と思ってしまったんですね。これが謎注文のカラクリです。
気づいたら目の前に鎮座する海老マヨ。マグロカツを求めていた私の胃袋にとっては招かれざる客。しかし今から「すみませ〜〜〜ん、マ、マグロカツ……」と注文し直す勇気はない。これも何かの縁、急いで胃袋を海老マヨ仕様にマイナーチェンジして臨む。
美味しい。
海老マヨ、めっちゃ美味しい。
正解だったわ、海老マヨにして。
ここで「あ〜あ、私は今日マグロカツを楽しみにしながら、約1時間も電車に揺られてきたのにな……」なんて残念な思いをコネコネしながら食べる海老マヨは、そこまで美味しくなかったことでしょう。
この瞬間に私は、海老マヨとの想定外の出会いを果たしたのと同時に、次にこの店に来たときこそマグロカツを食べるんだ!という楽しみを、これからの人生に先送りしたのです。
初めて訪れる場所や空間において、楽しみを先送りせざるを得ない事象が発生したとき、否応なく「ここに迎え入れられているな、また来てもいいって言ってもらえてるんだな」と感じます。
「一回じゃここの魅力的を味わえきれないと思うから、近いうちにまたもっかい来てよね!」と言ってもらえている。ここにいてもいいんだよ、と存在をまるっと認めてもらえている慈愛の感覚。
こういうハプニングは意図なく発生することもあるし、あえて意識的に起こす(?)こともある。またここに来たいから、いちばん気になるメニューは次にとっておこう〜!みたいな。
そういう小さな楽しみを各地に散りばめておくことで、まだちょっと遠いと思っていた東京のことをどんどん好きになれているし、人生も豊かになっているな、と思った。あとシンプルにマグロカツってすっごく美味しそうじゃない?いつ食べに行こうかな〜。