骨組みだけの海の家
5月の「さまよえる歌人の会」に参加したときに好きな歌として挙げた一首。
晩夏光……夏が振り絞るさいごの光の中に取り残されている、骨組みだけになってしまった海の家。営業を終えてからどれくらいの歳月が流れているのだろう。かつてそこに、どれだけの明るさと声が響いていたのだろう。
弱々しい光の中、そんな海の家を「最期に見たい」という「きみ」。
その「きみ」もまたもうじき終わる夏のように儚い存在に見える。
「きみ」の「最期」はそんなに遠くないのかもしれない。
歌集に繰り返し暗示される「墓」のイメージ。
「骨組みだけの海の家」もまた「墓」だと考えるとき、「きみ」が見つめるものはみずからの墓であり、みずからの死後なのだろう。
「晩夏光」という初句の響きの中に、さびしく美しいワンシーンが浮かびあがる。
キリストが臨終の際に口に含んだ「酸っぱいブドウ酒」は今でいう「ワインビネガー」のようなものらしい(先月の歌集勉強会で知った)。
このお酢の壜もまた「墓」に見えてくる。
わたしたちはたくさんの「墓」に囲まれて生活しているのかもしれない。