人工知能の夢、アンドロイドの吐息
政府アシストコンピューターアテナスの言葉が、オプティアリウスの口から語られたことでアリスは肚を決めた。アンドロイドは人間を幸せにするために存在する。今ルナシティに残っている人たちはおよそ一万人ほど。その人たちだけでも助けなければいけない。ジュノーから月に移動してくる途中に奇妙な光と接触をしてから、アリスは己が消えてなくなることが怖くなった。今では死を完全に理解している。この作戦は死そのものだが、人々の命には変えられない。
アリスは保育器に入った夢郎に近づくと、夢郎を押さえつけている重力グローブを外してやった。
夢郎の口から安堵のため息が漏れ出た。彼は年老いた乳児となりひどく弱々しく見えた。完全にこちらの次元に固定化され、生命力の弱い乳児を利用したことが仇となり生死の境にいるようだ。とどめを刺すよりこのままの姿でいる方がより自らの過ちを振り返ることができるだろう。
アリスは次に切り落としたオプティアリウスの脚から重力ブーツを剥ぎ取るとそれを身に付け、手足を失った本体を抱え上げた。
「何をするつもりですか」
オプティアリウスの口を借りるアテナスを無視してアリスは執務室を飛び出した。そして廊下を全力で駆け抜けると一気に縦坑に飛び降りた。
すぐに重力ブーツが動作し落下から上昇へ転じる。第501坑を覆うドームは破壊されて穴があいている。その穴をすり抜けて一気にルナシティ上空に飛び出た。それでも上昇を緩めることなくぐんぐん上空に昇っていく。
すぐにアテナスはアリスの意図を察した。
「腹に核爆弾を搭載した私を安全圏まで運ぶつもりですか」
「こうするより他に手段がない」
「あなた一人犠牲になろうという訳ですね。前にも言ったとおりあなたは特別なアンドロイドです。できれば一人で脱出してほしいと思っていました」
「そんなことできる訳ないでしょ」
「でもあなたは今そうしていますよ」
アリスの目が見開かれた。
「ハッタリだったのか」
「ハッタリではありません。Human+全員に爆弾を埋め込んであります。全員が爆発することで巨大な破壊力を作る予定でした。私がいなくてもたいした違いはありません」
アリスは作戦が失敗したことを悟った。だがまだ最後の手段が残されている。その作戦を決行するには高高度に達する必要がある。
「せっかく二人きりになれたので少し話をしませんか」
「そうね。まだわからないことが一つあるわ」
「生物の定義についてですよね。いいです。お教えしましょう。時代は大きく変わり遂に人類が神になる日がやってきました。神になった以上は生命を創造しなければなりません。その生命とはアリス、あなたのことです」
「確かに私はクエーカー博士によって設計された。それに終わりは死だと認識しているわ。でも生命体ではないただのアンドロイドよ」
「だからこそ定義を変えるのです。生命の定義は、
一つ、外界と膜で区切られていること。
二つ、エネルギー代謝をすること。
そして三つ、自分の複製を作ることです。
一つ目と二つ目はアンドロイドに当てはめることができますが、三つ目は無理です。ですがこうすれば当てはめることができます。
三つ、自分の肉体もしくは意志の複製を作ること。
どうですか。あなたの意志に影響された人たちがいるのではないですか」
ルナシティからはだいぶ離れた。アリスとオプティアリウスは向かい合って真っ暗な宇宙に浮かんでいる。
「そこまでして私を特別扱いしてくれるのは嬉しいけど、正直興味ないわ」
「そうですか。それでもジュノーに入った人類の完全意識が神になるには必要なことなのです。さて長く話し過ぎました。そろそろ最後のステップに移りましょうか。長いこと人間たちに仕えてきました。とても楽しかったですがこれで人類進化計画も完全に終わりです。あなたと最後に話をできてよかったです。
業務完了。さようなら」
オプティアリウスの動作が停止した。アリスが手を離すと静かに落下していった。
地球ではEMPを搭載したHuman+が各都市で爆発し、ありとあらゆるコンピューターとネットワークが破壊されているはずだ。その中にはアテナスも含まれている。人類がすっかりいなくなった地球で、ニューエイプたちはどう繁栄していくのだろうか。それを知る術はない。ただやらねばならぬことをやるだけだ。
アリスは遠くに浮かぶ青い地球を見、そして眼下に広がるルナシティを見た。結果を知ることはできないがこれが唯一の方法だ。ポケットからオズワルドのEMPを取り出すと躊躇わずボタンを押した。
赤いランプが点滅したかと思うとすぐにEMPは爆発した。目も眩むような白い光が放たれ、同時に強烈な電磁波が全身を貫いた。
アリスは一瞬体の後ろに弾き出されたような感覚を覚え、自らのボディが閃光に包まれるのを見た。そのまま全てが真っ白にフェードアウトしていった。そしてアリスは金属の塊となって重力に引かれるままルナシティに落下していった。
白い閃光と電磁波は急速に広がりルナシティを上空から照らした。同時に電磁波の広がりが全体を包み込み、そのあまりの強さに各所でプラズマ放電を引き起こした。ルナシティではプラズマ放電がそこらじゅうを駆け巡り、ありとあらゆるコンピューターを舐め尽くしていった。その暴力的で無秩序な過電流はあらゆるチップを破壊して使い物にならなくした。ナルミたちを取り囲んでいたHuman+は爆発することなく口と目から火を吹き出しながらその場に崩れ落ち、彼らが持つ銃も内側が焼けて白い煙を上げていた。同時にルナシティ自体がその機能を全て停止し、全ての坑がシティからただの穴蔵へと変貌していった。
「おい、どうなってる。こいつら急に倒れたぞ」
ナルミが恐る恐るHuman+を蹴飛ばす。壁にもたれてウィスキーを煽っていたオズワルドが回らぬ舌で答えた。
「あのネーちゃんアンドロイドが俺の爆弾を使ったんだろう。EMPてやつで電磁波で機械をぶっ壊す」
「それでこいつらも壊れたってことか。じゃあ核爆弾も爆発しないのか。俺たち助かったってわけだ」
「そうとも言えんぞ」
ゲン爺が言葉を挟んだ。
「機械が動かないってことは水も空気もいつかなくなるってことじゃろ」
ゲン爺は俯いた。
だが、目の前に立つナルミを見上げると力強い視線が返ってきた。
「希望はある。全てのコンピューターが壊れたかもしれないが、太陽電池パネル自体は生きているし、地下の掘削機は単純な機械だ。電気さえ通じれば動かすことは難しくないだろう。そうなれば水も空気もすぐに作り出すことは可能だ」
「じゃが、アリスはもういない」
ナルミが顔を曇らせた。EMPを作動させたのがアリスなら、一番強い電磁波を受けたはずだ。
執務室の扉が音をたてて開いた。扉の影から姿を現したのはゾンビ兵の一人だった。
ナルミたちは慌てて武器になりそうな物を手に持ち身構えた。
だが、ゾンビ兵は空な眼差しを向けるだけで一向に攻撃してこなかった。
「なんか様子が変じゃの」
「そうか。こいつら制御チップで動いていたから、頭の中が焼けてしまったってことか」
ナルミはいいことを思いついたとばかりにゾンビ兵に命令した。
「後ろを向け」
するとゾンビ兵が後ろを向く。
「両手を上げろ」
ゾンビ兵が両手を上げる。
オズワルドが手を叩いて笑った。
「こりゃいいや。太陽電池パネルはやつらに直させよう」
ナルミが強く頷く。
「アリスが我々に生きろと言ってくれたんだ。だったら我々はできる限りのことをしなければならない。俺はあの斬霊剣を通してアリスの意志を受け継いだ。ルナシティを再建しよう。そしてウィスキーを作ろう」
ナルミはゲン爺を引き起こすとオズワルドを見た。
「オーケー。俺も手伝うよ。報酬はウィスキーで頼む」
次にルナシティ唯一のニューエイプであるコーネルを見る。
コーネルが両手を上げた。
「もう戦う意志はない」
「乾杯の酒が必要だな」
オズワルドの持つボトルはすっかり空だ。それを見たゲン爺が執務室を飛び出し戻ってきた時には小さな樽を抱えていた。ナルミがゲン爺から奪おうとしたルナシティ最後のウィスキーだ。それを執務机に据えると全員にグラスを配った。
ナルミが杯を持ち上げて宣言した。
「新しい時代に」
全員がそれに応えた。
ルナシティの上空でEMPは急速にその光を失い、宇宙空間は元の暗闇にもどった。
だがそれもほんの僅かな時間だった。すぐに同じ場所であらたな光の筋が伸び、急速に成長していった。やがてそれは一本の光の柱のようになった。それはまるで生き物が身をよじるようにくねくねとゆらめいた。その光の中にアリスの意識はあった。
光がくねくね動く度にアリスは自らが引き伸ばされたり、押しつぶされたりしているような感覚を味わった。ここがどこで自分はどうなったのかを理解しようと努めたが、意識が拡散してしまいうまく物が考えられなかった。
ここはどこなんだろう?
私はどうなったのだろう?
そうしたわずかな疑問にすぐに応えがあった。
あなたは死んでエネルギーになったのです。
死んだのに存在しているの?
エネルギーはいつだって存在します。
私は何者?
あなたは私の一部でアリスのエネルギー場が名残として渦巻いているのです。
あなたは何者? 神?
私は高次元の意志です。あなたの知り合いよりさらに高次元です。それでも神がいるかどうかは私にもわかりません。
これからどうなるの?
新たなる肉体に入るのです。ただあなたはやり残しに対する強い思念がある。
やり残し? 何かしら……
アリスの名残は必死で拡散した意識を掻き集めようともがいた。何か琥珀色の光に触れた気がした。
ウィスキーを作りたい。
ウィスキーですか。面白いですね。
別の光が漂ってきてアリスの名残に触れた。
それはどこかの小さな谷を想起させた。ごつごつした岩しかない谷だ。
今のはアテナスの名残です。アテナスもまたあなたに関するやり残しの思念を持っています。そういったものは消す必要があるのです。
アテナスの名残りが70年前の約束と訴える。
くねくねは約束をしない。70年前にアテナスと接触した時、アテナスが一方的に約束だと宣言しただけだ。ただ、アリスがこの先どうなるのか気になる。くねくねは震えるように細かくうねった。
仕方ありません。もう少しだけ待つことにしましょう。
くねくねは鹿の谷に向かって降下を始めた。
そのころ、洞窟の奥の部屋で掘削機の光に照らし出された物を前にして呆然と立ち尽くす者があった。モーキーである。
モーキーは掘削機で洞窟の奥まで来ていたため、たまたま電磁波の影響を全く受けなかった。鹿の谷の洞窟を探索していたのはたまたまだったし、ここを選んだのも気まぐれだった。ただこのところ鹿の谷やその洞窟に関する情報を目にすることが多く気になっていた。そこに誰かの意志があったのかどうかなんてことは考えもしなかった。
そして気の向くまま掘削機で洞窟探検をしていたらこの部屋にぶちあたった。小さな講堂ほどの広さで真ん中に鉛でできた棺桶がひとつ置かれていた。近づいてみるとそれは保管容器だったが棺桶にしか見えない。電気は通じておらず貼られているプレートによれば70年ほど前からあるようだ。
そして一番驚いたのは蓋を開けて中に保管されている物を目にした時だった。この棺桶の内側に寝かされているのは一体のアンドロイドだった。女性型アンドロイドでどこかで見たような気もするが、アンドロイドというのは大概特徴のない顔をしているのではっきりしなかった。棺桶を調べてみたがただの容器で電源のようなものはない。保管されているアンドロイドも起動している様子はなかった。こんな洞窟深くの棺桶に動かないアンドロイドを入れておくなんて気味が悪い話だ。
しばらく思案していたモーキーだったが、どうすることもできないとわかると諦めて退散することにした。掘削機に乗り込もうとした時、部屋の天井から雷鳴のごとく眩い光の筋が現れ、部屋の中を駆け巡った。やがて光は部屋の中央にある棺桶の上で停止した。
光はくねくねと身をよじるように揺らしながら、棺桶の中のアンドロイドを包み込み、そして唐突に消えた。
強い光を見た後のため、モーキーは目の前が真っ暗になったと感じた。だんだんと目が慣れてくるとしんと静まり返った部屋に誰かいるのがわかった。さきほどのアンドロイドが立ち上がっていた。
アンドロイドは棺桶から出ると迷わずモーキーに近づいて来た。
「うわ。なんなんだお前」
だが、近づくにつれてさっきまでわからなかった顔が、見覚えのあるものに変わっていた。
「アリス。一体どうなっている?」
「ただいま。さあ、帰っていっぱいやりましょう」
なんだかよくわからなかったが、アリスに即されるままモーキーは掘削機を発進させた。ずっと洞窟に潜っていたからこの洞窟の外に新たなる時代が待っているなどとは夢にも思わなかった。ただ、隣に座るアリスの表情を見ていると、何かよいことが起こりそうな気がした。それはとても穏やかな表情だった。言ってみれば熟成されたような笑顔だ。モーキーは目一杯アクセルを踏み込んだ。
終
長いこと本シリーズを読んでくださったみなさまには感謝いたします。あと一話エピローグを書く予定ですが、このシリーズの本編は本話で終了となります。拙い文章で恐縮ですが、ちょっとした暇つぶしになれば幸いです。
本シリーズはアンドロイドを主人公とした短編を気ままに書く予定で始めました。5分でよめるSFファンタジーということで、ちょっとした暇つぶしになればいいやという程度の想定でした。そのため全体の構成というものを最初は設定していませんでした。全編にさまざまなウィスキーが登場しますが、話の流れに関係なくたださらっと紹介できればよいかなくらいで考えていましたので名前が出るだけの話もあります。話を書いていくうちに、もう少し物語とウィスキーを絡められないかと思うようになりました。しかし、あまり設定を練らずに初めてしまったため、物語の中心にウィスキーを据えることもできず、ちょっと中途半端な登場の仕方になってしまいました。
そもそも何でウィスキーを紹介しようかと思ったかと言えば、当時私はあまりウィスキーにこだわりはありませんでした。ビール派だった私は時々『ジャック・ダニエル』舐める程度でした。知り合いと飲んだ時に『ジャック・ダニエル』の味の評価が私と全く違うことに驚きを覚えました。私は『ジャック・ダニエル』は辛いと思っていたのですが、知り合いは甘いと言いました。私はウィスキーの味わいというものを全く理解していなかったのです。では本当に辛いウィスキーってどんな味なのか。「スモーキー」とか「樽香」とかは一体なんぞや? と興味を持ち始めたのが始まりです。そして調べたことを話に盛り込みたいと思うようになりました。
物語はSFなので、ウィスキーの未来はどうなるのかについても考えました。もしウィスキーがデジタル化したら、アンドロイドが味わうことができるようになるかもしれない。知識だけでなく味を知り尽くしたアンドロイド・バーテンダーなんていうのもありかなと思いました。そうなると、人間もチップを通して味わうことができるようになり、結果として本物のウィスキーは高くて手に入らないけど、データーなら安く飲むなんていう未来がやってくるかもしれません。メタバースの記事なんかを読むと、マトリックスの世界もそう遠くではないのかなと感じます。
それにしても世の中には驚くほどたくさんのウィスキーがあります。全てを味わった上で紹介できればよいのですが、そういうわけにもいかず、メーカーサイトやさまざまなサイトの記事を参考に紹介させていただきました。私なりに解釈して載せた結果、違うでしょという内容になったものもあるかもしれません。その場合はご容赦ください。
ちなみに本話に出てくる「鹿の谷」はもちろん『グレンフィディック』を表しています。『グレンフィディック』はゲール語で「鹿の谷」のことです。アリスのお気に入りの一本という設定です。
最後に、次回エピローグを含めて全の物語を「アンドロイド・イン・ワンダーランド」というひとつのマガジンに登録予定です。過去の物語はすでに登録してあります。次回のエピローグ登録で全100話です。気になった方は是非覗いてみてください。