あたたかいづうづうしさ。
大きな災害や事故が立て続けに起こった正月。私はテレビの前で茫然とした。このことを語ろうとすると膨大な感情は体内をぐるぐると渦巻くだけで、それを濾過して言葉にできずにいた。漏斗に詰まった言葉たちはガラクタになり私の心は錆びていく。私はただ四角い画面の中に収まりきらない現実に打ちのめされた。そしてそのうちになにをしても心ここに有らずになった。読書をしても目から文字がすべり落ちるし、音楽を聴いても耳がばらばらに音を拾うし、noteを書こうとしても手が動こうとしなかった。あからさまな無力さと薄っぺらい罪悪感と狂気じみた同情を持ち、苛立ちながらも時間はきりきりと進んでいき、その度に体は自責の念で溢れた。
ざらざらしたやるせない気持ちのまま日常をなんでもない顔をして過ごした。傾いた心は治りそうもないけれど、私は私のまま生きなければならなかった。日が昇るとタスクをブレることなく熟して、日が落ちると無理矢理眠りに就いた。そうしているうちに正月から半月が経過していた。
その間も淡々の中に潜む当たり前を口いっぱいに頬張りながら、私は生きている、と卑怯にもそう感じていた。弱者のナルシシズムを羽織る自分が厭で厭でたまらなかった。
私は粘着するそれを払うように外へ出て海岸沿いを歩いた。頭上では頭蓋骨を貫くほどの光がさんさんと輝き、乾風がびゅうと枯れ草を揺らし、熟れた海はてらてらと瞬いていた。
私は海岸沿いの階段へ腰掛けてその景色を体内へ落とし込んだ。海はしゅわしゅわ言いながらやって来てはまた来た道を引き返した。その繰り返しをただ、ぽつんと見ていた。
すると、頭の中で中原中也の『死別の翌日』が光った。
この詩篇は中也の弟の死後の翌日に書かれたもので、空虚と共に生々しい事実がある。まさに死別の翌日の感情がありありと言葉に変換されている。自分が生き残った事に負い目や引け目を感じて自由に生きていることを申し訳なく思い恥じていることが私と重なった。
私は青空文庫を読み返して、携帯を上着のポケットへ入れてまた海を見た。見るから視るへ変わるくらいに。
海のゆらめきは有機的な形をしていた。それはとがったりまるまったり忙しく姿を変えながら砂浜を撫でていく。その真新しい繰り返しを視ていたら体の芯がぞわぞわとした。私の細胞の隙間を海がドッと流れていくような、そんな気がした。それは水面を通してコンタクトするみたいに私の中へ流れ込む。
私は立ち上がり砂浜を歩いて波間でうろうろする海をおそるおそる触った。すると海はとてもやわらかかった。そして触り確かめた感覚を頼りに、冷たい、とあとから温度を感じた。濡れた手は海を纏いそのうちに乾いた。
海は私の感情を容易く無視して、しゅわしゅわ言いながらやって来てはまた来た道を引き返した。私は無視されることを心地よく感じた。ざらざらしたやるせない気持ちは確かに消えることはなくそこに在るけれど、それでいい、と思った。
いままでひとりで生きているみたいな顔をしていた。しかし日常の一片に影響されながら生きていることを切実に思い知った。そのことが体の隅々まで行き渡ると、この瞬間がかけがえのない尊いものだと気がついた。日々の積み重ねで溢れてくる陰も陽もひっくるめて、いまここに居る事に感謝した。そしてあたたかいづうづうしさを携えて生きて行こう、と思った。
すこし離れたところでカイトが空を泳いでいた。それは風を味方につけて、ぐんぐんと上昇していく。私は、どこまでも飛んで行け、と心の中でつぶやいて海をあとにした。
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新年のごあいさつができないまま今に至りました。被災地の方々へ心よりお見舞いと1日も早く日常が戻りますように心より祈っております。