俺は骨の髄までありきたりだ! #1 恥めまして
Noteでなにかを書くとき、記事一つにつき、ワンテーマで書いた方がいいのだと思うのだけれど、なんだかそれがうまくいかない気がするのだ。
書いていてあっちへころころ、そっちへころころして、まとまりがあるようなないような、でもなんとなく言いたいことがある(気がする)ので、こんなふうに書いていくことにした。おちがあるようなないような、そんな文章を連載したいなと思う。
ちょうど中野翠さんの新刊を読んだ。
コラムニストの中野さんはサンデー毎日で時評的コラムを長年連載されている。まとまって一冊になったものを読むたびに、「そういやこんなことありました」なんてしみじみと思うのだが、そうだ、こういうのがやりたいんだ! というわけで、今回から連載の運びとなりました。うぇ〜い。
でも世の中のことあんまり興味ない人間ですし、半径十メートルくらいのことをあれこれ書くだけの話である。ひとつテーマに沿って書くものは別で綴りつつ、このあれこれ思いついたまま書く連載をしていきたいと思います。そういうのってあんま「いいね」つかないんだけどね。別にいいか。どうぞよろしく。
タイトルは尊敬する山田太一さんのシナリオの名台詞「おまえらは骨の髄までありきたりだ」をもじりました。恥の多い毎日を過ごしております。
過去は早く、未来は遠い。
去年の5月からパーソナルトレーニングに通っている。まあなんやかやあって12キロほど痩せた。道は険しかった。そもそも運動あんましてこなかったので。その顛末をきちんと書こうと思っているのだけれど、ぜんぜん始めようとしないのは、ゴールがわからないからなのかもしれない。
去年の春に年老いた母が骨折をした。我が家は大騒ぎになったのだけれど、そのてんやわんやのなかで「うむ、足腰は鍛えたほうがいいな」と思い、このスポーツクラブに会費払ってるだけの人生、一歩進もうと決意した。ところで、「どんなふうになりたいか」がやはり筋トレっちゅうもんは大事らしい。一時期YouTubeやらインスタで散々いろんなダイエットだのトレーニングだのを見てきたので、おすすめ欄はいまでもなんか肌色っぽい画像ばかり出てくるわがSNSです。こうなりたい、というのはないのだけれど、なんとなく胸とか大きくなった方がいいのでは、とか背中がぎゅーっと逆三角形なのはいいよね、と思いつつ、トレーニングに通っている。
そして本日、
「キタハラさんはすぐにそうなれると思ってるかもしれませんが、最低でも3年はかかりますよ」
と若きトレーナー、K藤にぴしゃりと言われたりして、
「えーっ、この苦行をそんなに続けるのお!」
とやる気を無くしたり(お陰でその日の胸のトレーニングは前回を超えることがなかった)したわけである。
K藤曰く
「僕の身体もまだ6年でこのくらいですよ。ガチでやっていても!(いや十分立派だよ、と思うのだが、やはり彼なりの理想もあるのだ)ということは普通の人がトレーニングをしたらもっと時間がかかります!」。
言いたいことはわかるけどさ〜、なんかよく雑誌で「夏までうんぬん」とかあるじゃん、もっとこう、さあ!
いや、自己評価的には今の時点でもわりかしいい感じではあるんだが、このレベルではSNSに肌を晒すことはできない! そもそもするつもりもあんまりない。だが、高みを目指さなければなりたい自分になれないぞ、と。いやべつにマッチョになるつもりは。毎度毎度K藤に言われるのだが、
「とりあえずベンチプレス100キロいけたら、もうなりたい身体になってますから!」
……っていつになるんだよ……現在60キロ持ち上げるのにもひいひい言ってる始末。道は遠い。
しかし3年というのは思ったよりもあっという間な気がする。若い頃の3年と、いま中年ナウ、な3年では明らかに体感が違う。しかし、やっぱ3年、そしてそれをもっと続けると思うと、気が遠くなる。
仕事のせいなんだかわからんが。僕は中学も高校もたいして面白いこともないように過ごしていた。
「さっさと卒業したいな〜」
と思っていた。あのときは長かった、ような気もする。でもいまその頃を眺めてみると、「あっちゅーま」だったなあ、とも。
「あと何年ここにいなくちゃいけねーのかよお」から「あと3年頑張んなきゃいけないのお」と、歳を取っても未来は遠く感じる。過去になるとあっという間だ。なんだろうな、けっこう長く自分でいるんだな。
旅の支度2023
一泊二日旅行に持って行く荷物、それだけで人は生きていける。クシュムナリティの本にあった。というか、「あれも欲しい〜これも欲しい〜と〜」いろいろ持って行くのだけれど、全然使わない。そもそもホテルに泊まったら歯ブラシあるしな、とかタオル多めに持っていっても使わんよな、とか。いつまで経っても旅慣れしないのである。いつも背負ってるリュックに、着替えとちょっとした化粧水でもあれば、国内一泊二日ならなんとかなるもんである。
先日品川駅で新幹線に乗ろうとしていたとき、ぺたんこのヴィトンのボストンバッグ一つ持ってる人を見かけた。すごい、旅の上級者だ。
最終的に時間があるならホテルで洗濯して翌日も着れば、荷物なんてほとんどいらんよなあ。でもずぼらな上に疲れてだるく過ごしてしまい、そういうことできなかったりすんだよなあ。
わりと取材であちこち出かけているのだから、そろそろ荷造りに慣れろ、という話なのだが、まったく学ぼうとしない自分。旅の荷物は少なく、というのが今年のテーマである。そしてクシュムナリティの言葉のように、旅でなくてもべつにそこまでものを持って暮らさなくてもなんとかなるのだ。自分が「いいな」と思うもの「だけ」持つ。こんまり的な意味でも。旅の支度は、日常生活の態度が浮き彫りになる。改善しないところも。
もしよろしければ!