見えない海を泳ぎきれ(るのか?)
なにかになりたい、と強く思うことは大変重要なことだと思う。まあ犬になりたいとかいう話になるとややこしいので、職業というか、「わたしはこんなことをやっていまーす」と胸を張って言えるようなものになりたいってことでいいですか? あー、職業でなくても、きちんと熱中していることを表明できるくらいになるっていうか。
副業ワッショイ! な世の中だし、いろいろな仕事をこなしている方もいらっしゃることかと。かくいうわたくしも、noteのプロフィールでは小説を書いている人ということになっています。でも小説だけでなくいろいろやっています。頼まれたら(頼まれなくとも)戯曲を書くし、生活の糧として街で働いていますしね。だからなんとなく人には「小説を書いてます、本も出したんですよ」というのを躊躇してしまう。親しい人は知っているけどそこまで親しくない人にはきっと「楽で責任感のない仕事をしてるまったく向上心のない、この厳しい世の中でいつか溺れるであろうやつ」と思われていると思う。別にいいけど。でも溺れかけたら救ってほしい。頼んだ!
お金は超絶大金持ち、みたくならない限り、やっぱりいつまでも足りないものです。よくビジネス書で年収一千万になる方法みたいな身も蓋もないタイトルの本が、ばばんと本屋で平積みになっている。喫茶店に入るとなんちゃらビジネスの勧誘的なアレを見たり、成功者になった(らしい)パイセンが後輩に説教してたりする。世はまさにワンピースを求めている! 一億総大航海時代といえよう(適当ですみません)。ミニマリストとか、ていねいな暮らしとかの本を読んでいても結局はいかに「お金」から自由になるか、だ、と思える。そしていつまでたっても僕は「お金」といい距離感で友情を結ぶことができない。いやそもそもお金とは友人なのか、恋人なのか、いやもう一人の自分なのかもわかっていない。だからといって別に「教えましょうか」とDMがきたとしての返事はしませんけどね。お金に関してはまた別の機会に考えるとして、
小説の話だった。いや、誰かに認められたい、という話だった。いや自分を認めたいという話かもしれない。
Webに小説を載せていると、わけがわからなくなるときがある。小説を世に出すっていうのはだいたい、新人賞をとる、とか編集者に書きませんかといわれることから始まる、というのが一般的なやつだと思うけど、Webに載せたらそういう手順飛び越えて、読んでくれる人がいたり感想まで書いてくれる人がいる。これってもう世に出たといってよかろう。あとはもうどうやってより多くの人に読んでもらうかでしょう、となる。最近では広告収入なんてのもあり、人気作品はわりといい稼ぎであるらしいし。
いちおう小説サイト内にコンテストなんてあったりして、みんなどどんと送ったりする。賞をいただくと書籍化もされるし。「自分の作品を本にしたい人」「自分の作品を多く読んでもらいたい人」あるいは「誰かに自分の作品(もしかしてその人自身なのかもしれません)を見つけてもらいたい人」「界隈の顔役みたいになりたい人(ゾッとしますが、いる)」がいて、とにかくWebには小説が溢れている。いや、そういう分類もできないくらいに、僕たちはぐるぐるで、いろんな思惑を抱えているんだろう。
僕は小説家の肩書きが欲しいと思っていた。なんなら自分はずっと小説家のつもりで生きてきた。ちょっとヤバいやつっぽいけど。書いてなくても椎名桜子みたく「処女作執筆中」ってテンションだったし、大学に入って小説を書き始めてからも、新人賞送りまくってたしね。
仲の良くない知人や初めて会う人に、「小説家のキタハラっす!」といえるようになりたいのだ。コンテストを受賞し、本を出したけど、まだなんとなくそこまでいえない。直木賞をもらえればいえるのか、めちゃ本が売れたりメディアミックスされたりすればいえるのか、さっぱりわからん。経験したことないから。
どんだけ売れたところで知らないやつは知らないのが世の中である。面白いものが世の中にはたくさんあって、人はそれぞれの嗅覚を用いて好きなものを見つけていく。小説が好きでも、小説というジャンルは広いから、ライトノベルのベストセラーを知っていても芥川賞受賞作を知らないってのはざらだ。僕だってWebに載せるようになってから、ライトノベルってすごいたくさん出てるんだな〜って知ったくらいだし。ちなみにわたくしの小説は、ネットストアや本屋さんで「ラノベ」「ケータイ小説」「一般文芸」「男性作家」「女性作家」など店ごとにいろんな場所にいます探しづらいかもしれません。どれも正解なような気がするし、これだけ分類できないと逆に読まれないのではと不安になります。
小説なんてぜんぜん興味ない人もいる(むしろ世の中のほとんどの人がそうです)。僕の知っている大学生は、アニメと漫画には詳しいが、小説など一切読まない。ある者はヤンキー漫画とプロ野球の結果しか興味がなかったりする。僕の小説を読んでくれる人を大事にしたい、同胞であると感じる。僕の小説を読んでいない人はとんでもない数いる。というか世の中のほとんどだ。その人たちに「自分はこういう者です」としっかりいえるのか。いえるようなものを持ちたいなと思う。「人間です」「男です」「×才です」からの、「僕は何者であるか(それが意味がなかったとしても、そんなことでなにを語れるのか、なにもないとしても)」を。学歴や就職先ではなく、自分はこういうことを生業としているときちんといえるようになりたい。まあ言い切ればいいだけの話かもしれないけど。
泳いでいるうちに、いえるようになれたら嬉しいし、泳ぎ切ったときにいえるのかは知らない。経験していないから。メンターのいない海でじたばたしながら前進していくのであろうなあ。体力が続くまで。
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