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無知は罪
無知は罪であると言ったのはソクラテスだったか?
そしてハンナアーレントは悪の凡庸さを語った。
私もそれには同感だが、最近の風潮ではそんなことさえも言いにくいというような世の中の流れになっているようだ。
そしてその言葉を思い出させることがあった。
キュウリとカブトムシ
小学4年になる末っ子が学校で育てていたキュウリを一本持って帰ってきた。
普段スーパーなどではお目にかかることのないような、はてなマークの上の部分のような形をしている。
夕食にスティック状になってプチトマトと共に登場したきゅうりを「うまいうまい」と食べながら、カブトムシの幼虫も育てているのだと話し出した。
今日その幼虫たちの多くがサナギになったんだという。
ツノの形がわかるからオスがたくさんいたんだとうれしそうに話す。
私は「みんな、ちゃんと❘孵《かえ》るといいなぁ」と言いながら去年のことを思い出した。
去年のカブトムシ
去年の末っ子の担任はまだ若い女性教師だった。
音楽が専門教科だったようで、音楽会でピアノの伴奏という重役を任ぜられた末っ子に「3年生には少し難しすぎるから」と譜面に手を入れて弾きやすく直して、ていねいに指導もしてくれてなかなか良い先生だなと思っていた。
植物を育てたり、虫や小動物を育てたりということを学校教育のひとつとしてすることも多いようで、去年も教室で、カブトムシの幼虫を透明のプラスチックケースに入れて育てていたようだ。
子供たちは幼虫が日に日に大きくなるのを観察し、楽しみにして学校へ通っていた。
家でもカブトムシを育てたことはあったのだが、それは末っ子がまだ小さい時だったのでほぼ記憶にはないらしい。
「いつカブトムシになるんやろ⁉」「ホントにカブトムシになるんかな⁉」
子供は好奇心でいっぱいだ。
そして・・・ある日ふと、私は末っ子がカブトムシの幼虫の話をしなくなったことに気が付いた。
「カブトムシ、もう成虫になったんか?」
「みんな死んだ」
「え⁉ いっぱいおったんやろ?みんな死んでもたんか?」
「なんかみんな黒ーくなって動かんようになってしもたから先生が捨てた」
「 捨 て た ! ? 」
そ れ は サ ナ ギ に な っ た の で は な い の か い ?
「無知は罪」とは
いくら若いとはいえ、女性とはいえ、いや一般の方なら別に問題ない事なのかもしれないが学校の教師が昆虫のサナギを知らないとは。
専門外のことではあるかも知れないし、そういうモノに親しむ機会のない生活をしてきたのかも知れない。
どのようにして捨てられたのか詳しくは聞かなかったのだが、生きたまま集められて捨てられる姿が、私の頭の中では映画「ライフ イズ ビューティフル」のアウシュビッツの映像と重なった。
「凡庸な悪」とまでは言い過ぎかもしれないが、残念ながら「無知は罪」という言葉が、こういうことなのかも知れないと思うのであった。