核ボタン家族
我が家は核家族である。
否、核ボタン家族であった。
皆がそれぞれ核ボタンを所有している。
有事の時にも核の抑止力によって家庭の平和が保たれている。
ぶちギレたときに核ボタンを押されては堪らないので「まぁまぁ」と周囲がなだめる。
妻と息子、私と娘はそれぞれ協定を結んで核の傘の下にいる。
普段から「核のボタン」を意識して生活しているわけではない。あくまでも普通の家族を装って、平和な家庭、楽しそうな家族と周囲からは見られているはずであった。
それは突然勃発した。
私の放った不用意な一言に過剰に反応した妻が、突如としてボタンを取り出した。
ボタンに延ばした手を息子が握りしめ、ゆっくりと首を振った。
そこからが冷戦の始まりだ。
先ずは資金が断たれた。
お小遣いかもらえなくなったのだ。
私の給与の振込先銀行は全て妻に握られている。そこからの再配分が受けられなくなったのだ。
しかし私は妻に内密の口座を当然用意しており、そこにいくらかは蓄えがあるので当分の間倒れることはないのだが、長期戦になれば安定供給が無い私に勝ち目はない。
資金が底をつけば私も核ボタンに手を伸ばすことになるかも知れない。
それだけは避けたいという意思はあるが最悪の状況は人の判断を狂わせる。
例えばマルシアのプッチンチンにしたって同じことだ。奴をそこまで追い詰めてはいけない。なんとか着地点を模索するか・・それとも消すかだ。
吉田松陰も言っているではないか「人にして不仁なる、之れを疾むこと己甚しければ、乱するなり(不仁、慈しみの心のない人を甚だしく憎むと、その人は必ず乱をおこす)」(吉田松陰一日一言、川口雅昭 編、致知出版)と。
私も消されてはたまらんから、どうにか話し合いの道を探りたいのだが、妻とはどうも話が噛み合わない。
こんなにも考え方に隔たりがあるとは、これまで考えてもみなかった。全く気付かなかった。
仲介役の娘と息子を間に挟んでの交渉なのである程度仕方の無いことか、と思っては見たがそれにしても・・である。
何で結婚したのかと、後悔ではなく謎でしかない。
だいたいオムライスに何で鶏肉じゃなくてハム入れてんだ。中身はチキンライスって知らないのか。
しかもそうめん茹ですぎで、あの、プリッ ツルッ とした食感が台無しやないか。
あ、いや、そんなことはどうでもいい
いつも食事の支度してくれるだけで感謝しなければ。
そうだ。いつまでもいがみ合っていても仕方がない。平和を取り戻そう。
・・・
和平交渉で、ひとまず停戦は合意した。
表面上は一般的な幸せな家庭の形を取り戻した。
だが心の中には「いつ また」という不安だけが残った。
この心のなかに燻っているものをどう処理したら良いのか。
本当の平和は難しい。
しかし考えてみれは核の傘、核のボタンなど何の役に立つというのだ。
それがあるからと言って使い道がないことに気付くべきだ。
使ったら最後、一家心中でしかないじゃないか。
よし、核などという自分の手に負えないようなモノはさっさと廃棄して、それよりも強力な諜報機関を立ち上げよう。ゴルゴ13と。
岸ダくんにもそれがいいと勧めておこう。
ここのところ使えそうな人材が新聞を賑わしているではないか。
【だいたいフィクションです】