モリテツヤ

汽水空港というピューンとした本屋をやってます。 https://www.kisuiku…

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汽水空港というピューンとした本屋をやってます。 https://www.kisuikuko.com/

最近の記事

SUPER HAPPY FOREVER

単身赴任でインドネシアに暮らしていた父。幼年期の夏休みは丸々一ヶ月間、北九州からインドネシアへと父を訪ねに行った。 そこがバリ島だったのかどうかも把握できていないが、雨が降るなか、リゾートホテルのプールで泳いだ。雨がプールの水面に落ちると、氷柱のように水が無数に立ち上がるのを立ち泳ぎしながら見ていた。雨の向こう、プールサイドに父が立っている。 何の出来事も起きていない、ある1日、ある瞬間が、ずっと記憶に残る風景として心の中にある。 自分がじいさんになった頃、孫を連れてたまた

    • 小嶋光次郎先生に会いたい

      中1の時の担任で、国語の先生だった小嶋光次郎先生が、助動詞の活用みたいな授業で「せえせえせるせるせれせよせろ!」と叫び、学生たちはそれに続いて叫んでたのをふと思い出した。 あれ楽しかったな。 「わけいってもわけいっても青い山ぁ!」と、種田山頭火の句も叫んでた。教科書に放浪しながら生きた人、種田山頭火が載っているということが「定職に就かない人生だってある」と示しているようで、中1の僕はなんだか安心感を覚えた。 小嶋先生は元気かな。当時で50代だったろうか。また会いたいな。と、

      • 2024 9/9 海に行く

        古本買い取りの帰り道、ボケッと見てたスマホの画面からガザの人々の動画が流れてくる。ボロ雑巾のようになった人の遺体。それから、道くんぐらいの子どもの遺体。その子の頭は穴が空いていて、空洞になった内側に、残された皮膚がパタパタと揺れていた。見ていられない。 涙が出るが、その涙の行き場がない。 それで、泣きながら海に行った。 全ての生きとし生けるものが大切にされますように。

        • パープルタウン

          道くんが「僕、パープルタウン大好き。」と言う。パープルタウンは我が家から一番近くにあるショッピングセンターだ。創業は81年で、施設内には映画館や飲食店、衣料品店、スーパー等が併設されている。アメリカっぽいものに憧れていた時代の名残がある施設だ。最近リニューアルされて、パープルタウンの出入り口には人工芝の広場がつくられた。道くんは広場で駆け回り、時々パープルタウン内のゲームセンターや100円で動く電車に乗って遊ぶ。2歳10ヶ月の心には、既にパープルタウンで過ごした楽しい記憶が刻

        SUPER HAPPY FOREVER

          夏のある日の店番

          「協生農法」という農法があるらしく、ターミナル2で区画を借りてそれをやってみたいという方が現れた。人から忘れ去られた集落の一番奥に位置する耕作放棄地、汽水空港ターミナル2。今はプロ農家も含めて総勢8人が使っている。敷地はまだまだ広く、奥へ進むにつれて草から低木へと植生が変わる。僕が借りる以前は梨畑で、梨畑になる前の植生を知る人はもういない。それでも色々な歴史を経てきたのだろう。この場所で初めて栽培をした人は何本もの木を切り、土地を平らに均したことだろう。その汗を記憶している人

          夏のある日の店番

          「もう大きくなったからね。」

          2歳9ヶ月になる道くんは、自分で布団を用意したり、ごはんをつくるのを手伝ってくれる時がある。こっちはそうしようと意識せず「すごい~!!」と驚く。すると道くんは得意げに「もう大きくなったからね。」と言う。大人になること、成長することへの素直な憧れと喜びがある。この喜びは本来、人間が死ぬまでずっと抱かれるものだ。 僕は小学生の頃には既に「大人になりたくない(社会という土俵に立ちたくない)」と思っていた。大人になるとは、自分を押し殺すことなのだと感じていた。枠に入ることを許可される

          「もう大きくなったからね。」

          「福島原発20キロ圏内ツアー」報告文

           今回のツアーは、ダニーさんの自宅から始まった。前日にダニーさんの家で宿泊したのは、鳥取から来た僕と、水俣から来たせきねベイベーさんだった。夕暮れ時、庭先でかほるさんも交えて様々なことを語り合った。 せきねベイベーさんは5月1日に行われた水俣病患者団体と環境省との懇談会で、環境省がマイクの音声を切ったことが問題になっていることを話した。「患者とコミュニケーションを図りましたという証明」をする為だけに行われるような懇談会の話しを聞きながら、人間のことを軽く見ているのだろうと感じ

          「福島原発20キロ圏内ツアー」報告文

          慮の時代

          今の社会は遠慮と配慮に満ちていて、「どれだけ他者を慮ることができているのか」という点が、個人においても店においてもそれを表明、証明することがなんとなく重要な指標になっている。慮るとは、「用心して、考えをめぐらす」ことで、それは人と関わるうえで大切なことではある。しかし考えをめぐらせている間にも時間は過ぎ、目の前で起きている出来事は次々と過去のものになっていく。そして残るのは「何もしてない」という小さな無力感と昇華されなかった思考。それらが体と心に堆積し、重くなっていく。この重

          町議会議員に立候補する妄想をずっとしている

          という文章を以前『世界思想』という文章に寄稿した。「whole crisis catalogをつくる」というアイデアを思いついてから5年。このアイデアはジワジワと全国各地に知られ、色々な方々がそれぞれの場所で時々開催してくれている。 僕はというと、この会を思いついたものの、開催する時間や気力がつくれないでいる(一度開催すると、自分の場合6、7時間かけてその場にいる人と話し続けてしまうから)。しかしずっとうまい具合にちゃんとカタチにしたい、このアイデアを社会に組み込みたいと考え

          町議会議員に立候補する妄想をずっとしている

          汽水空港ターミナル1(店舗)とターミナル2(食える公園)

          大山町でハクナマタタというアフリカ文化を取り入れたゲストハウス兼シェアハウスを営んでいるカカさんと出会った。まだ行ったことはないが以前から気になっていて、敷地内につくった竹の建築物などが素晴らしく、いつか訪れてみたいと思っていた。 アフリカと日本を行き来しながらハクナマタタを運営しているカカさんは、「国内ワーホリ」という制度を使ってビジターを受け入れ、共に作業をしているらしい。「国内ワーホリ」、全然知らなかった。今調べたら正確には「ふるさとワーホリ」という制度らしい。 概要は

          汽水空港ターミナル1(店舗)とターミナル2(食える公園)

          福島原発20キロ圏内へいってくる

          2010年の秋頃、僕は栃木の農業学校でボランティアスタッフをしていた。その年は原発建設を巡る山口県祝島に関するドキュメンタリー映画が何本か上映され、僕も周辺の友人たちも祝島に関心を寄せ、行ける人は現地へ行き、何が起きているのかを知ろうとしていた。それと同時に原発そのものについても調べることを同時並行で行っていた。ウランの採掘で人が被爆すること、原発労働者の日常、祝島で強行的に建設が進められていること、チェルノブイリでどの程度の範囲が汚染されてしまったのか等。2010年の12月

          福島原発20キロ圏内へいってくる

          2024.4.24 草々書き申し上げ候

          朝、道くんを送る。昨晩は随分遅くまで起きていて、「おしっこがでた」と言ってオムツを替えるようにせがんだ。寝室を出ると、道くんはマルちゃんの元へと一目散に駆け寄り、そのまま倒れ込んで頬をすりすりしていた。ひとしきり猫を愛でた後、音の鳴るおもちゃを手に取り「よし!」と言って寝室へ戻ろうとする。オムツは全然濡れてなくて、ただリビングで遊びたくて理由をつくっただけのようだった。恐るべし。寝室へ戻ると、道くんは案の定おもちゃのスイッチを入れて「わーらいまーしょ、はっはっは!」とおもちゃ

          2024.4.24 草々書き申し上げ候

          2024.4.22 「では、そろそろ本を読みますか」

          ずっと読みたかった『釜ヶ崎と福音』をようやく読み始めた。牧師の本田哲郎さんが、教会の外へ出て、釜ヶ崎の街で「貧しく小さくされた者たち」と時を過ごす。その時の中で、キリスト教という宗教をこれまでとは異なる読み方をするという話し(多分)。まだ1/5も読めていないが、心打たれる言葉に出会う度に、秋さんのことが頭に浮かぶ。この本をくれたのは秋峰善という人で、最近『夏葉社日記』という本を自力で出版した人だ。僕は『釜ヶ崎と福音』を読み進めながら、まずは『夏葉社日記』を読まなくてはいけない

          2024.4.22 「では、そろそろ本を読みますか」

          ラブレター to 泰尊&中原木材&音鳴文庫&旅で出会った全ての人々

          4月6日~11日まで、泰尊のツアーに同行し、出店旅行へ行ってきた。 一日目の会場は山口県萩にある中原木材。ここの主、中原忠弦さんのことを友人知人からよく話しを聞いていて、ウェブのインタビュー記事も読んで、ずっと密かに憧れを抱いていた。二日目の会場、島根県津和野の音鳴文庫のことも同じようにずっと存在を知っていて、いつか訪れたいと思いつつ、その遠さ(隣の島根県なのに片道5時間半!)になかなか訪問の機会をつくれずにいた。 「汽水空港」という名前を店につけたのは、様々な人が訪れ、様

          ラブレター to 泰尊&中原木材&音鳴文庫&旅で出会った全ての人々

          ラブレターto泰尊

          鬱で休職中の旅人が「自分が必要とされていないということ、やるべきことがないということに向き合うのがキツイ」と言った。定年退職したお客さんが「分かる。やることがないのはつらい。」と返していた。僕は無言で「分かる。」と思って聞いていた。 「本屋なんて需要あるんですか?」というのが汽水空港を事業登録した時、事務所からの去り際に言われた言葉だ。「なくてもいいんです。」と返した。 OPEN当日、カメラを持ったディレクターが「挫折するまでを追いかけたい」と言った。土地を探し、バイトに明

          ラブレターto泰尊

          汽水空港ターミナル2(食える公園)をレンタルします。

          PPPP(ピンポンパンポン) 数年前からこコツコツと開墾している畑(湯梨浜町久見付近)をレンタルします。 これまでは「できている野菜は誰でもいくらでも無料で収穫していいですよ」と公言していました(その意図はこちら「モリのガジュマル」という記事に書いていますのでよければ読んでみてください)。 今年からはそのルールを変更し、「定めた区画を自由に無償で使えます」にします。 野生へ還ろうとする力が強い耕作放棄地ターミナル2を、今思い描いている最高の「食える公園」にするには、まずは人

          汽水空港ターミナル2(食える公園)をレンタルします。