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ラブレター to 泰尊&中原木材&音鳴文庫&旅で出会った全ての人々

4月6日~11日まで、泰尊のツアーに同行し、出店旅行へ行ってきた。
一日目の会場は山口県萩にある中原木材。ここの主、中原忠弦さんのことを友人知人からよく話しを聞いていて、ウェブのインタビュー記事も読んで、ずっと密かに憧れを抱いていた。二日目の会場、島根県津和野の音鳴文庫のことも同じようにずっと存在を知っていて、いつか訪れたいと思いつつ、その遠さ(隣の島根県なのに片道5時間半!)になかなか訪問の機会をつくれずにいた。

「汽水空港」という名前を店につけたのは、様々な人が訪れ、様々な本やモノに触れ、様々な人が行き交うようにと願ってそう名付けた。でも、それは運営する側、乗務員である僕もまた汽水空港を経由して思いも寄らぬ場所へ飛び立つ可能性を含んでいたのだと、今回初めて知った。泰尊という名の大型飛行機がここに着陸してから一年。「汽水空港でライブがしたい」と言ってくれて、やりとりを重ねていく中で、我々モリ家は気づかぬうちに泰尊号に乗り込んでいたのかもしれない。そしてそのことへの感謝の気持ちが溢れてとまらない。

ネイティブアメリカンの哲学が記された大好きな本『植物と叡智の守り人』に、「儀式とは思い出すことを思い出す為に行われる」と書いてあった。
僕は一年間かけて、泰尊から儀式に誘われていたのかもしれないと今感じている。僕は何を思い出したのか、端的にいうと、それは「世界の豊かさ」だ。これまでの人生、37年間も生きてきていながら、「心をひらく」とか「人を信じる」という言葉の意味が本当に分からなかった。みんな何の話ししてんのかな?って、ずっと疑問に思ってた。世間も、人も、自分も、家族でさえ、みな孤独であり、孤独のままに生きているのだという設定でずっと生きてきた。その設定が当たり前過ぎて、自分がそう思って生きてきたことにさえ気付いていなかった。でも、泰尊の歌で節々に感じる優しさ、「がんばろうぜ、マイメン」というあたたかな言葉。それを聴いた時に、涙が溢れてとまらなかった。何故そうなるのかも直後は分からなかった。僕は、ずっと人に「がんばろうぜ、マイメン」と言いたいし、言われたかったんだと気付いた。そういう熱量の高い関係を求めていながら、自分でもいつからそうなったのかも分からない程ずっと昔に、その気持を封印してしまっていた。世界はサバイブの舞台で、自分がサバイブする為に建築も田畑も店もずっとやってきていたのかもしれない。もちろん時々、人と協働する喜びも感じていた。でもそれは時折訪れる偶然の奇跡でしかなく、求めてつくれるものではないんだと思っていた。でも、今回の旅では、目にうつる全てのものが奇跡だった。奇跡しかなかった。中原木材に集う人々、熱量。とてつもない山奥の村、津和野にある音鳴文庫は平日にもかかわらず大勢の人が集まっていた。そしてその奇跡は、人の熱がつくっていた。奇跡って起こせるものなんだと教わった。歌でも、オブジェでも、家具でも、絵でも、食事でも、本気の熱と技術が重なった時、それは芸術にも儀式にもなり得る。空間はその舞台になる。その舞台を共につくろうとする時、人とそれをやろうとする時、まっすぐな言葉と行動を人に届けなくては何もはじまらない。そしてそれは、時に空振りに終わる。だから怖い。奇跡を起こすには「勇気を持って心をひらき、人を信じる」ことが必要になる。そのことがやっと分かった。今回の旅で出会った人々は、当たり前にそうやって人と接していたから。

人間がどんな気持ちで生きてるのか、やっと分かった。マジで知らんかったのよ。そしてこれまでの人生で出会った人々が、時にモリテツヤを信じて心を開いてくれていたことも多々あったのだろうと今、それを思い出してる。多分、凄い空振りさせてしまってたと思う。みんな今までごめんって思ってます。何かを贈ってもらうことの意味、受け取ることの意味、何も分かってなかった。パートナーのアキナ、よく今まで一緒に居てくれたもんだと今びっくりしつつ感謝してる。
泰尊以前/以降で、僕は人生が変わっていくような気がしている。忘れていることさえ忘れていた「世界の豊かさ」を思い出した。世界はサバイブの舞台じゃなく、生き方を披露し交流する為の舞台なのだった。旅で出会えた全ての風景、全ての人、ありがとうございます!そして一日目に体調不良でくたばってた時に家を開放してくれた原田さん、ありがとうございます。もっと人に優しくしようと思いました。旅の全てが儀式だった。そしてこの旅もまだ途中なんだろう。またみんなと会いたいです。

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