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【52】束縛の愛と無償の愛

こんにちは😃


朝から「束縛の愛は本当の愛ではない」というインスピレーションを得ましたので、本日はこのことについて考えてみたいと思います。


人間関係、特に家庭環境でトラブルを起こしそうな「束縛の愛」というものですが、具体例を考えてみます。


「あなたのために〇〇を買ってあげた」

「あなたのために〇〇してあげた」

「あなたのために払ってあげた」

「良かれと思って忠告してやってる」



一見、他人のために奉仕しているように見えます。

ですが、「〜してあげた」「〜してやった」という気持ちが入っているので、「してあげた」と思っていることが裏切られたり、思った反応と違ったりすると、その反動でネガティブになります。


「あげたものをいらないと言われた」

「あげたものを使ってもらえない」

「〇〇してあげたのに感謝がない(足りない)」

「良かれと思って言っているのに、言うことを聞かない」



こうなると、怒りが湧いてきて、さらに相手が望んだ反応になるようにしたいと思ってきます。

これがエスカレートすると、完全に相手を何としてもコントロールしたいという状態となります。


さらに悪いことに、本人にとっては「相手のためにやってあげている」という状態のため、歯止めが効きません。


単に自分よがりの正義感を相手に押し付けているわけですが、その人にとっては、相手に対して愛を持ってやってあげているんだと思っている状態。


従って「本人にとっては」非常にポジティブな行動になっています。

しかしやられた方にとっては、こんなにはた迷惑な愛はありません。まさに「余計なお世話」です。


子育てにおいても、「子供のために〇〇してやってる」「教えてあげている」「習い事にお金払ってやっている」んだから、「ちゃんとやらないとダメでしょ」という状態になりがちです。

子供が納得しているならば良いですが、これでは単なる親の価値観の押し付けです。

親のエゴでコントロールしようとしているだけに過ぎません。


これでは真の愛とは言えず、本人が良かれと思っても、人間関係に歪みを生むことになりかねません。


人に施そうとする時、とりわけ子供に対しては、何もかもやってあげないととなりがちです。

しかし、そこにエゴがないかどうか、相手をコントロールしようとしていないだろうかと自分に問いたいものです。


束縛の愛の反対は、無償の愛ということになるでしょうか。

見返りを求めず、ただ施すことは「与える」ということになり、非常に徳の高いことでもあります。

基本的にこの考え方で日々過ごしたいものですね。


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました😊

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Kisou
日々実践記録として書いておりますが、何か心に響くことがありましたら、サポート頂けましたら幸いです。何卒よろしくお願い致します。