そういうふうになっている
タイトルは、さくらももこさんのエッセイ『そういうふうにできている』のマネです。もう手放してしまった本ですが、確か以下のことが書かれていました。そのままの文ではありません、手帳に残っていた走り書きです、あしからず。
”その渦巻いている時に過剰に深刻になっているだけ。だからその渦の中にいてもその流れを俯瞰する冷静さを持つことがとても大切”
みたいな。
音声配信のstandfmでは話してましたが、89歳の父親がツツガムシというダニに刺されて高熱を出し、年明け早々に入院。熱で立てない歩けない父を無理になんとか病院に連れまわして申し訳なかったけど、3カ所目でやっとツツガムシ病の疑いという主病名をもらったんです。(入院初期)
3週間の入院生活がやっと今夜で終わり、明日はやっと退院。
ホッと安心というより、まだ介助が必要な父を家に迎えることにいろいろ巡らせます。母親も同じく高齢のため父の介助はできないからです。やりたい気持ちはあるようですが、体がついていかない。トイレ、お風呂、一人での歩行、家のバリアフリー、介護保険の申請。その不安や心配の裏には、自分の自由がなくなる恐れがあるのかもしれません。
毎年お世話になっているみかんのバイトで愛媛に滞在で2ヶ月家を不在にしており、年末に帰ってきてゆっくりしようと思っていた矢先のことでした。合わせて元旦に友人が住む能登半島で大きな地震がおきていたので、気を抜くとさらにナーバスになりがちでした。現実に向き合いたくないのか、心を平常に持っていくためか、無になるために突然粒あんを作り出したり、白菜と大根の漬物をこしらえたり。そしていまだかつてない、家の断捨離でした。(持ち家だと引越しをしないのでたまっていく一方)おかげでスッキリよい節分が迎えられそうです。
*合わせて自宅介護が終わった友人からいろんな介護用品を一式送ってもらいました。急なことだったので何が必要で、どんなものがあるのか全くわからなかった。
でもふと思ったんですが、介護ってどうしても「大変ね・・・気の毒に」というイメージがあったりでなにか解せないんです。今まで私もそう思っていたけど。それは死に向かっているからなのか。ならば、そこを到達点(死)としたときにどう楽しく生きてもらおうかという考えに切り替えました。
神様がいるのなら粋なことをなさるな。余裕シャキシャキな無職のときにどデカい学びがきましたよ、大きな大きな新天地。
「そういうふうになっている」のだろうな。
そして、さくらももこさんの続き。ちがっていたらごめんなさい。
”毎日、人の数だけちがうことが起こっており、同じ瞬間もない。自分に起こることを観察しておもしろがったり考えたりすることが生きる醍醐味”
さて、どんな生活がはじまるかな?
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