永沼敦子の来双船⛴

永沼敦子→パラレルワーカーの根無し草。 来双船(きそうせん)→あれもこれも乗せ、必要なところ・人に届ける船。 何かを所有するよりも、自分が感じること・体が反応することを軸にまとまらないnoteですが、私のひとつのストーリーとなればと思って書いています。鹿児島在住

永沼敦子の来双船⛴

永沼敦子→パラレルワーカーの根無し草。 来双船(きそうせん)→あれもこれも乗せ、必要なところ・人に届ける船。 何かを所有するよりも、自分が感じること・体が反応することを軸にまとまらないnoteですが、私のひとつのストーリーとなればと思って書いています。鹿児島在住

マガジン

  • ざっくばらん

    来双船のつぶやきです

  • 土の声

    私の、来双船ファームの家庭菜園初心者成長期です。土には見えないものだらけだから、声なんて聞こえないんですけどね、対話をしていきます!

  • 来双船の羅針盤

    いろんな港をめぐり、人と出会い、その出会いがその時限りの縁だったとしても来双船の大きな進路変更になったりすることもあり。ここでは気になる方々に登場していただきます。

  • エッセンストーク

  • あつこの小部屋

    文字通り、自分の事と役に立たないことしか書いていません。なんと自己愛が強いマガジンなのでしょうか。単なる凡人の文を誰が読むと言うのでしょうか!? ”雑記”マガジンより言いたい・書きたい放題で文章を整えないので、読みにくいかとは思います。それでも有料とするなんて私のちょっとした強気・勇気です。 有料とすることで、限られた枠とさせていただき、今の本音を書いていこうと思ってます。

最近の記事

オレらの夏、ずっと終わらんくね?

藤井風の真夏の日産スタジアムライブ配信が延長になってから(現在は配信終了。本当にありがとう!!!風さんはじめ、ずっずさん、スタッフのみなさま、神や!YouTubeJapanの方々もありがとう)、最高すぎる”オレらの夏、終わらんくね?”の『まつり』を狂ったように聞き続けたんですよ。リリース時から好きすぎる曲なので、誰か私の葬式にこのライブバージョンを流してほしい。いや、葬式とかいらんのだけどね「ああ、あの人終わったらしいね。あれをかけてあげようか」 ”まつり!” って感じで

    • 泣く用意はできていた

      きっとあの海を目の前にしたら、あそこに到着したらいろんな感情があふれだして車の中で大泣きしてしまうかもなあ、そんな自分を予想していたけど、そんな大波はなくていつものように穏やかにその町は私を迎え入れてくれたので、いつものように寮の鍵をピックアップして玄関を開けました。 12月末まで愛媛県八幡浜市に滞在してみかんの仕事です。 今回で6回目。出発する前日の夕方まで今年は行けないかも、あ〜キャンセルしないといけないかな・・・ でもとにかく行きたい、あそこに帰りたい。 それなら行こ

      • 亡くなった友人のプロジェクト すばらしい作家でした https://www.lifeisdramatic.net/

        • 相変わらずあまり聞かれていないstandfmのエッセンストークをアップしてます。 もうすぐ途中退校する職業訓練校で出会ったTくんとの話です。性差とか年齢差とかめんどくさいね! https://stand.fm/episodes/670cff9f726968be52164d9a

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          32本
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        • あつこの小部屋
          14本
          ¥300
        • 私を雇ってみませんか?
          6本

        記事

          私のストーリーへの序章

          マインドというのをもっと大切に。 まっとうな批判精神というものを失った世の中で生きていくサバイバル力。 と言ってしまったらストイックな印象になりますが、批判とは難癖をつけるのではなくて、より深く探っていき差異をなくし、新しくよりよくするために物事をシャッフルする感じ。 自分を客観的に見て批判ができること。 それには内省が必要だと思います。 そんな場所を作りたいな。 リアルな場所。 * 積極的な動きをすると失敗したり、すぐに企画倒れになったり、涙を流すほどくやしい思いをした

          私のストーリーへの序章

          Kちゃんのこと

          その連絡をもらってから何も変わらないいつもの日常が流れていくけど思い出さない日はない。 この歳になるといろんな死に向き合うなあ、、と冷静を装っていても 出会った当時の写真を見返したりしている。 やはり悲しいのである。9月は彼女の誕生月なのに。 だけどなぜ誕生日を待たずに空に行ったのか。 彼女のとの出会いは衝撃的だった。 中国の真ん中にある世界遺産の街で、とあるアート祭典に参加したことがきっかけでKちゃんと出会い、 ホテルの部屋が同室で10日間ほど一緒に過ごした。 ほぼ同い

          カレー畑のその後

          カレー畑を作ると意気込んだのは彼方はるかのような、あれは夢だったかな、寝言をnoteに書き連ねたのだろうか。あれ?このあまり成長していないと思われる生姜、そして葉の勢いがいい春ウコンと秋ウコンはどうしようといたっけな?と思うくらい、私のカレーベクトルは当初が最大としたら現在は0に近い状態です。あいかわらず私の畑は草原だったのです。本日草刈機でバッサバッサと切り倒し、やっと耕耘機で除草しやすい状態になりました。管理不届き。 久しぶりにやってきた強い台風10号に備えて雨の中畑の養

          安心安全から安心解放へ

          言葉の心理的影響とは自分が思っている以上にズシンとくるもので、 それが引っかかったままだと呪縛なったりする。やっかいだなあ。 私だけがかもしれないが、いつごろからか「安心安全」という言葉が多用される(と見える)ことが気になり始めていた。 何をもって安心安全なのだろう? とつっこみたくなるし 場合によっては何か闇を感じたりする時がある。 相手の身を案ずるときに使えば温かい印象も受け、間違いがない確実性がある。 私は素直じゃないのだろう。「そこ、不要じゃない?」って場面で使われる

          安心安全から安心解放へ

          となりの人 〜『おはよう、しっぽ』の感想〜

          自分のとなりにたまたまいた人が、人生になにかの影響を与えるということがあります。 ・ いきなり私の話になりますが、ここ数年立て続けに信頼を置いていた人に突然ぶった切られるという経験をしました。(冒頭からすみません) 相手にも事情があってのことだろうし、それ以前にぶった切ったつもりもないだろうけど、もうあんなことはもう起きないで欲しいと願っても続いてしまうと自分を否定してしまいます。 「どうせ私なんか」 私の名前は永沼敦子ですが ”スネ沼スネ子”が発動し、誰もわかってく

          となりの人 〜『おはよう、しっぽ』の感想〜

          あ、晴耕雨読です。おとといアップした記事の出だし、「晴天雨読」になってました。今日も雨。低気圧がいろいろやらかしてますね・・・。種まきのタイミングが難しいですが、それでも例年より2週間ほど早めに動く予定です。 温暖化に合わせて。正解かわかりませんが。

          あ、晴耕雨読です。おとといアップした記事の出だし、「晴天雨読」になってました。今日も雨。低気圧がいろいろやらかしてますね・・・。種まきのタイミングが難しいですが、それでも例年より2週間ほど早めに動く予定です。 温暖化に合わせて。正解かわかりませんが。

          惟ることなく

          晴耕雨読、今日はわりと強めの雨なのでそれを理由に畑作業を中断してこの記事を書いています。 本当は雨が降っていてもやることは山のようにあるよ。 少し前に、「カレー畑を作る」とつぶやきの方に宣言しました。それから頭の中は自分の畑で栽培した材料でカレーを作ることでいっぱいです。大人なので妄想だけではあっという間に歳をとって体が動かなくなるのは自覚しているので、私なりの猪突猛進です。 ネコまっしぐら的な。 3月24日で46歳になるのです(あ、どうもありがとうございます!!予祝)

          決めた、カレー畑をつくる (畑でカレーを作るような) カレーに必要なものをできるだけ栽培 食後に合うお茶用も

          決めた、カレー畑をつくる (畑でカレーを作るような) カレーに必要なものをできるだけ栽培 食後に合うお茶用も

          私のロードムービー

          あー私のひとつの物語が終わる。 悲しい。 私は現実世界が苦手で、現実社会というべきか、 子供のころからすぐに自分を物語の登場人物にするクセがあります。 そうすることで、いろんな自分になりきることで癒されるから。 よく利用していたこのガソリンスタンドに入る自分が好きでした。 おしゃれでもない、はっきりと言えば冴えないスタンド。 決してガソリン代は安くない。若いお客さんは少なく、高齢者のお客さんが多かった。愛想がいいわけではない。フロントガラスを拭いてくれる時もあればない時も

          私のロードムービー

          ねえ、サステナブルでいいと思う?

          またはそれでは遅いんじゃない?そんなぼんやりとした疑問が何年もありました。 安全圏はなく限界だ、または限界越えしている。 何かが終わりに向かっている、もしくは強制的に終わらせないといけないものがある。 そこからの”持続可能”じゃダメなの?かなり先かもしれないが。 どこかの誰かの批判にならないように書き進めたいけど、言葉をきれいにオブラートに包む技術がない私には正直に書く、という技術しかありません。(泣) 以下、 また身も蓋もない、オチのない余計なことを書いてる気がしないで

          ねえ、サステナブルでいいと思う?

          優しさパラダイス

          先日standfmでバリアフリーって絶対に必要なのだろうか?って疑問があると話した。それからもたまに考えている。ただその時私が思っていた「バリアフリー」とは父親のことがあったので高齢者にとってのバリアフリーしか考えていなかった。 よく視野を広げると妊婦の方やベビーカーを押している方、年齢問わずなんらかの障害がある人たちはたくさんいるわけで必須なのだが、そうなるとこれまでの住宅事情の根本的なところから考え直さないといけないんじゃない?さらにはインフラ問題もあり・・・と収拾がつ

          そういうふうになっている

          タイトルは、さくらももこさんのエッセイ『そういうふうにできている』のマネです。もう手放してしまった本ですが、確か以下のことが書かれていました。そのままの文ではありません、手帳に残っていた走り書きです、あしからず。 ”その渦巻いている時に過剰に深刻になっているだけ。だからその渦の中にいてもその流れを俯瞰する冷静さを持つことがとても大切” みたいな。 音声配信のstandfmでは話してましたが、89歳の父親がツツガムシというダニに刺されて高熱を出し、年明け早々に入院。熱で立

          そういうふうになっている