この木はなんと言っている? その2 庭木のアカマツ編
今日は買い物に行く途中で、
この木と目が合う。
で、この木が人間に語りかけるとしたら、
何と言う?と想像する。
で、言い分を聞くチャレンジを。
木🌲木🌲木🌲木🌲木🌲木🌲木🌲木🌲
松の木ほど、
人間の期待を背負っている種類の木は
ないと思う。
というのも、他の木も、
丸や四角い形に
整えられることはあるけど、
松には、人間好みの松のかたち、
というものが、はっきりと
決まっているように見える。
そりゃ、中には変わった
樹木医さんもいて、
木はどれでも、ありのままがいい、
剪定はできればしない方がいい、
といっている人もいるけど、
あれはきっと少数派でしょう。
松は庭木でも盆栽でも、
植木屋さんがこまかく手を入れて、
独特の形に仕立ててくれます
(いちおう、こう言っておきます)。
だけど、ときどき
健康志向の高い樹木医さんが
プンプン怒っているように、
形を整えるにしても、
枝葉を切りすぎて、
生気のうすーい感じになっている木も
ありますね。
あれは、確かにどうなんだろう?
と自分も思う。
お金と手間暇をかけて
やってくれていることなので、
文句を言うと、怒られそうだけど…
でも、枝葉はムダにつけているわけでは
ないよ!ってことを、
時々は思い出してほしい気もする
(はーっとため息がもれる)。
そんなことを言っていると、
思い出すことがある。
昔、親の形見で大切にしていた
庭木の松を、
植木屋さんが大胆に剪定して、
枯れてしまったお話。
実はこれは1件だけでなくて、
何件もあるんだけどさ。
枯れてしまった松を見て、
お家の人が泣いているのを見るのは
辛すぎる。
人間に、枝葉は木にとって
大切な生産工場、
とわかってもらいたい、
とずっと願ってきたけれど、
これは理解するのが、
とてもむずかしいことのよう。
人間は自分で光合成して
稼がなくてよくて、
他の生きものやそれを加工した食品を
スーパーやコンビニで買って
食べて生きていけるから、
無理もないか。
で、自分の身の上話をさせてもらうと。
お庭にある松の木は、
こんな感じで背が低くて
曲がりくねった形をしているから、
松はそういうものだ、と思ってない?
そんなことはない、
ということだけは、知っておいてほしい。
松と言っても、
種類がいくつもあって
庭によく植わっている
アカマツやクロマツは、
長生きです。
最長老は何歳なんだろう?
マツ材線虫病、いわゆる松食い虫で
立派な木が次々と枯れてしまったので、
大きくて立派な木は、
だいぶ減ってしまったと思うけど。
で、長く生きるってことは、
少しずつでも大きくなります。
背も高くなるし、太くもなる。
ある先生の話によると、
昔は東京にも45mくらいの
すごく立派な松があって、
立っている姿が中央線の
電車の中からも見えた、
とか言っていた。
だから、自分のように、
頭が平べったいのは、
なんでもないのに、
こうなったわけじゃない。
庭木だから、
あまり大きくなっても困るっていって
あるとき、植木屋さんが、
幹の先端を切ったから、
こんな形になったというわけ。
松は特にそうなりやすいけど、
上に伸びようとする枝を
こまめに切り続けていると、
幹(のような枝)が上に伸びなくなる。
だけど、手入れされていない、
自然な姿の松の姿も
知っておいてほしい。
山で暮らすアカマツも、
海岸にいることが多いクロマツも、
どちらとも、
自然にのびのびとした姿は
立派です。
代々木公園などの公園や
お寺や神社にも、
時々、太くて立派な仲間が
暮らしているけどね。
庭木は小さく、ちまちまと生きよ、
というのは、まあ、そうするしかない。
だけど、自然な姿の松の美しさ、立派さも
知っておいて損はないよ!と思いつつ、
人間が通り過ぎるのを眺めて、
毎日暮らしてる。
ほとんどの人は忙しくて、
まっすぐ前を見てどんどん行くか、
またはスマホを見ながら通り過ぎるけど、
ときどき、立ち止まって、
ブツブツ言いながら見上げたり、
写真を撮っている人もいる。
どっちでもいいけど、
今を生きている人と同じ、
この時代、この空間に、
自分たち松も
一緒に暮らしていることを
時々は思い出してもらえたら、
うれしい気がする。
それはそうと。
毎年、お正月を過ぎると思うこと。
門松だった松の枝を
ゴミの集積場に、
そのまま、捨ててるのはどうなの?
バチが当たりそうで、コワイんだけど、
大丈夫?
木🌲木🌲木🌲木🌲木🌲木🌲木🌲木🌲
さあ、どうでしょう?
これから、外を歩くとき、
木が気になって仕方なくなりそうですね。
その木が、何と言っているか、
よかったら、聞いてみて下さい。